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はたらいて笑顔になったカモ


#はたらいて笑顔になれた瞬間

こんにちは、シンガーソングライターのガラシャです。
今回は、私を知らない人も読んでくれるかも?という期待を込めて
そして自己紹介も兼ねて #はたらいて笑顔になれた瞬間
というお題の企画にあわせて投稿してみたいと思います。

それでは、自己紹介&私の音楽経歴と「はたらく」についてお話します。

珍OL・アーティストになる

まず、私がこの名前(ガラシャ)を名乗って活動を始めたのは
2016年のちょうど今頃です。
当時、DTMが趣味という珍OLだった私は、

自分の曲の良し悪しがわからない!
知人の意見は信用できない!
見ず知らずの人からの忖度のない感想が欲しい!

という謎の追い込み精神で、ライブ&ライバー活動を始めることを決心しました。

結果、朝8時からライバーとして動画配信→10時に出社→昼休みと退勤後に再度動画配信→夜行バスで上京&就寝→次の日東京でライブに出演&配信(もちろんライブ終わりは配信をしながら夜行バスまで走り、移動&帰宅後はそのまま出社)
というトチ狂った日々を送るOLが爆誕してしまったわけですが、
こんな生活を約1年半ほど送っていました。

「はたらく」の迷宮に迷い込む未年の女

さて、当時の私の生活を振り返ると、
寝ている時以外は常に「はたらいて」いたと言っても過言ではありません。
過言ではないと書いたのは、一般的に音楽活動=はたらくとは思われない場合もあることを理解しているからです。
そもそも「はたらく」という単語にはさまざまな意味があります。
労働という意味だけでも、アンペイドワークやシャドーワークも該当するでしょう。そのため一旦は「はたらいて=仕事して」ということと限定してお話を進めたいと思います。

話を戻しましょう。
もちろん、正社員として会社の制服で勤務していた会社での私は、誰がどう見ても仕事していると思われたでしょう。一方で、私の当時の音楽活動は、他人が見たら仕事しているように見えたでしょうか。おそらく、OLの趣味・少しクリエイティブな余暇と捉える人がほとんどだったでしょう。
なぜなら、カードを作るときの書類は仕事欄で会社員を選んでいたし、実際に最初の半年間は音楽だけで生計を立てられると想像できる状態になかったからです。
また残念ながら、インディペンデントなアーティストはどれだけスキルがあるプロでさえ「仕事せずに遊んでいる」かのように捉えられることがあると知っているからです。

実際、私自身も初期の音楽活動は自己実現の意味合いが大きく、利益目的で活動を始めていませんでした。
そのため、もちろんいつかは仕事と呼べれば良いなと感じていましたが、どこから音楽で「はたらいて」いると自他ともに認められるのかということは、常にどこか疑問に思っていることでした。

例えばライブに出演するとなると、お客さまはチケット代を払って入場されます。チケット代に見合う価値を提供せねばならないとは、心の底から思っています。
個人的には、人様にお金を支払われるものは全て仕事だと思っているからです。
しかし、ライブハウスにはノルマというものがあることが多く、実際にアーティストの懐に入るのは0円の場合や、むしろ経費で赤字ということはよくあることなのです。そうなってくると、これは「はたらいて」いると言えるのだろうか?と疑問に思ってしまう日々が続きました。
それは、初めて会社員としての月収を音楽活動の売上高が超えた時も同じでした。
なぜなら来月の保証などどこにもないからです。

調子に乗った女、作詞作曲家になる

「仕事とは何か」「はたらくとは何か」という難題の迷宮に迷い込んだ羊ならぬ未年の元OL(この辺りで会社を辞めました)は、暖かく応援してくださるお客様に恵まれ、自分の音楽制作能力はなくもないらしいと調子に乗り始めました。
そして、作詞作曲家としての活動もしようと考え、2017年半ばから半年ほど勉強し、2018年の4月に作詞作曲家として採用を取り作品が世に出ました。(ちなみにそれはこちら
ビギナーズラックが少し続いた私は、作家活動初年度の採用曲がほぼタイアップがついていたので(これも)、告知をしていなくてもたまたまその番組を見た知人から連絡が来たりするようになりました。

すると、
「提供曲がリリースされるまで死ねない」
「次のライブまでは生きる」とファンの皆様がSNSに書いてくださることが増えていきました。(つい最近もありました。書いてくれた人ありがとう)

この書き込みを見ると、自分の活動が誰かの生きる楽しみになっているのだと実感でき、本当に心から嬉しく笑顔になることができます。
そして「はたらくこと」とは「誰かの役に立つこと」なのだと私はやっと理解しました。

はたらいて笑顔になったカモ

極め付けに、こんな出来事がありました。
2019年の夏だったと思います。
天気が良かったので、少し遠出して都内の少し大きな公園に出かけました。
するとそこにはたくさんの子どもたちと、いろんな水鳥がいました。
そしてその鳥を見て子供達が歌っていたのがこちら。


これは私の2つ目のビギナーズラックが1年越しぐらいでリリースされたもので、私は主に作詞を担当し、この歌詞にたどり着くまでメロディーを担当されたペンギンスさんと5個くらい案を出した記憶があります。

街で自分の曲が流れているよりも、SNSで感想を見るよりも、
幼稚園児と思しき、見ず知らずの子供の口からかつて自分の書いた言葉が出てくることの衝撃ってこんなに強いんですね!?
と思いながら本当に笑顔になってしまいました。

だって子供かわいいし。

もちろん、私の採用曲はほとんどコンペなので、仕事だと考えていましたし、仕事として、超本気で真面目に曲を書いていました。
ですが、この出来事のおかげで、やっと私のやっている音楽活動はれっきとした仕事(はたらくこと)であり、誰かの役に立ち、その生活や心の一部になっているんだと実感し、心から思えるようになりました。
今では胸を張って私は音楽で「はたらいて」いると考えています。
ライブでお客様に会うときは、はたらいて笑顔になれるのです。
夢が仕事になるとこんなに幸せなのだと毎回思うほどです。

そしてもし、このnoteを読んでくれたそこのあなたに、
何かやってみたい・仕事にしてみたいことがあるならば、
うまくいくカモ?と思えるキッカケにこのnoteがなれば嬉しいです。

そして、はたらいて笑顔になりましょう〜!

それでは最後まで読んでくれてありがとうございました!




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