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懐かしいオールド携帯電話の魅力!【vol.1】

みなさん、いかがお過ごしですか?「I'm a Graphic Designer」です。清々しい秋の季節となりましたね。
先日、押入れ奥底に保管している資料を取り出さなければならず、押入れをがさごそと探索することになりました。私の押入れには、たくさんのダンボール箱があり、ほとんどが仕事に関するし材料を保管しています。その箱の一つに、箱の横に「古い携帯」と書き込んである箱が一つ出てきました。「古い携帯」と書かれている通り、中には懐かしいオールド携帯電話が保管しています。「久しぶりに古い携帯電話でも見たいなぁ」と、ついそんな衝動に駆られてしまいました。典型的な仕事が進まない「あるある」パターンですね。

〈 部屋の片付けの場合の「あるある」パターン 〉
(1) 部屋の掃除をしていたら古いアルバムがでてきた。
(2) アルバムをペラペラと見返す。
(3) 時間が過ぎていく
(4) どんどん時間が過ぎていく。
(5) 結局、片付けは終わらない。

ほんと典型的な例です。私も基本から外れることなくその典型に見事にハマり、「やはりそうなったのね」的な展開に発展する事態に。我慢ならずに昔を懐かしんで、私はついついそのパンドラの箱を開けることにしました。


前置きが随分と長くなりましたが、ここからが今回の話の始まりです。「懐かしいオールド携帯電話の魅力!」と題して、古い携帯電話を手にして、昔を懐かしみながら、語らせていただきます。携帯電話はスマホしか使ったことがないという方、「しもしも〜っ、ギロッポンでシースーしない?」なんてバブルの頃から使っている方も、皆さんが日頃から体の一部のように使う電話の話題なので、幅広い方に楽しんでいただける話題なのではないでしょうか。携帯電話初期の頃の様なショルダータイプってほど古いわけではありませんが、携帯電話がアナログからデジタル方式に変わり、最も携帯電話市場に活気があった黎明期の携帯電話たちを懐かしみながら、オールド携帯電話の魅力をじっくりと語らせていただきます。それでははじまりはじまり〜。


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〈これが決して開けてはならないオールド携帯電話を収めたパンドラの箱 〉

「仕事が忙しい」とぶつくさ呟いているのに、どう考えても今優先すべきタスクではないにもかかわらず...開けてはいけないとわかっていつつも...ついつい開けてしまう。それが自分の弱さなのです。なぁんてこと言いながら、私は、決して開けてはならないオールド携帯電話を収めたパンドラの箱を開けるのでした。


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懐かしいオールド携帯電話がずら〜り登場!

ずらりずらり、出るわ出るわ懐かしい携帯電話たち。
写真は、これまで私がこれまで使った携帯電話の全てではありませんが、実際に私が使っていたものと知人から譲り受けた携帯電話たちです。それらに加え、今年になり落下によりディスプレイが粉々に割れてしまったiPhone7(右上、右から2番目)、それから現在愛用中のiPhone12mini(右上)。総勢21台です。
いや〜、圧巻ですね。携帯電話が世に登場し、サービスや技術が進化してゆく黎明期を渡り歩いてきた携帯電話たちが多く揃っています。スマートフォンiPhoneが世に登場するまでは、様々なデザインの携帯電話があったんだなぁと、あらためて感じます。携帯電話もそうですが、デジカメもそうだったんですよね。発展途上の黎明期ならでは、メーカーが試行錯誤してトライアンドエラーを繰り返し進化させてゆく過程。どの業界でもこの時代は、デザインが個性豊かで実に面白いのです。


あらためてこれらの携帯電話を眺めてみると、家庭用の電話の子機のようなボタン剥き出しのバータイプ、ボタン部分もカバーするフリップタイプ、お化粧のコンパクトのような二つ折りなど、様々なスタイルがありました。
今はiPhone同様の全面液晶ディスプレイのものばかりで面白さに欠けます。成熟するとデザインに差が無くなってくるんでしょうかねぇ。

私の携帯電話遍歴

私が最初に契約した携帯電話はNTT DoCoMo P101と性能が全く同じ、Panasonicのプライベートブランド「EB-PD350」という機種でした。発売は、おそらく25年ほど前の1996年くらいではなかったかと思います。ちょうど携帯電話がアナログからデジタルに変わっていった頃です。
当時私はサラリーマンをしていました。通信の仕事をしていた1996年〜2001年頃の期間は頻繁に機種変更をしていました。キャリアもNTT DoCoMo、セルラー、au、デジタルツーカー、J-Phone...数えきれません。また携帯電話を解約された知人から解約後の通信ができない携帯電話「白ロム」を譲り受けることもありました。それらの携帯電話の中から一部が現在まで生き残り、パンドラの箱で眠っていたものが今回紹介する携帯電話たちです。
私が契約していた携帯電話の中には、本体の大部分がタッチパネル液晶だったデジタルツーカーのパイオニアの機種なんてものもありました。iPhoneのようなコンセプトを持つ携帯電話でした。時代を先取りしすぎた感がいなめない早過ぎたコンセプトの一台でした。今思えば使ってきた電話のすべてを保管しておけばよかったなぁと思います。全ての携帯電話を並べて眺めてみたい。携帯電話を見れば当時の想い出を思い起こせます。おぼろげな記憶なので、わかる範囲ではありますが私の携帯電話遍歴を書き出してみました。

〈 私の携帯電話遍歴 〉
○ DDIポケット 機種名メーカー不明  1995年
○ Panasonic ED-PD350(NTT DoCoMo デジタルムーバP101と同様の機種でパナソニックのメーカーブランド)1996年
○ Panasonic ED-PD365(NTT DoCoMo デジタルムーバP201と同様の機種でパナソニックのメーカーブランド)1997年
○ NTTパーソナル パルディオPHS【ドラえホン 316S】 (ドラえもん型のPHS)1998年
○ セルラー HP-501(モトローラー)1991年
○ デジタルツーカー タイプNM(ノキア) 1997年?
○ デジタルツーカー タイプCA3(パイオニア) 1998年?
○ デジタルツーカー J-SH01(シャープ)1999年?
○NTT DoCoMo SO206(ソニー)1999年?
○ NTT DoCoMo P501i(パナソニック)2000年
○ NTT DoCoMo D501i(三菱) 1998年
○ NTT DoCoMo ER207(エリクソン)1999年
○ NTT DoCoMo ER209i(エリクソン)2000年
○ NTT DoCoMo NM502i(エリクソン)2000年
○ NTT DoCoMo SO506i Premini II (SONY)2005年
○ NTT DoCoMo M702iS(モトローラー)2005年
○ NTT DoCoMo L03C(LG)2011年
○ DoCoMo iPhone7(apple)2017年?2018年
○ DoCoMo iPhone12mini(apple)2021年

1996年〜2006年間は二台持ち、三台持ちなんてことが常で、記憶がおぼろげで記載漏れが必ずあります。NTT DoCoMoの携帯電話をメインに利用しており、セルラー、au(CDMA One)、デジタルツーカー、J-Phoneなど常に三社のキャリアを使ってきました。特に業務用として利用していた電話は記憶が薄い...思い出した時に追記することにさせていただきます。西暦は発売年のおおよそです。間違っていたらすみません...2006年以降は、クリエイターとして活動をはじめ、機種変更の頻度が急激に遅くなり、1台を長〜く利用することになりました。
私は自称apple信者で古くからMacユーザーなのですが、iPhoneデビューを限界まで拒んできました。私の最後の携帯電話は「NTT DoCoMo L03C(LG)」。バッテリーが老朽化したらバッテリーを買い替え、限界まで使用して、2018年にはとうとうiPhoneデビューに至ります。そんな私の携帯電話遍歴でしたが、いよいよパンドラの箱から携帯電話を取り出し紹介とさせていただきます。


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【01】 セルラー HP-501

ドーン!1台目からインパクト絶大な機種の紹介です。パンドラの箱の中でも最古となるアナログ方式の携帯電話セルラー HP-501です。無骨な男らしいデザインのこの携帯電話はモトローラー製です。年式を調べようとバッテリーを外して確認したところ、合格年月日:1989年7月5日、製造年月日:1991年2月との記載。今から30年前ですね。いやぁ歴史を感じます。
私が実際にがっつりと使っていたわけではありませんが、この電話を少しの期間だけ利用したことがあります。見た目の通り、重いでかいはもちろんのこと、バッテリーが全然持たないんですね。一日と持ちません。ハンデーホンなんてうたっていましたが、とてもじゃないけど手軽さはありません。
この頃の電話といえば、アナログ方式の携帯電話であることです。今の方はアナログ方式の携帯電話を利用したことはないと思いますが、音質は非常にクリアです。私の記憶ではデジタル方式のものよりもクリアでしたね。電波の受信が良好な場所ではデジタル以上に音質が鮮明でした。そして電波状況が悪くなっても簡単には途切れない。当時のアナログ方式はアンテナ基地局も多く携帯電話が利用できるエリアが広かったこともあり、デジタル方式の携帯電話が登場しても根強い人気がありました。

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長きに渡り電源を入れてませんでしたが、しばらく充電をして電源をON!

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赤いLEDで表示するディスプレイ部。めちゃクール!格好良い〜。
赤く光る「ロック」の文字。どうやら暗証番号を入力しなければならず。暗証番号はすっかり忘れていたものの「感」で入力し、見事、暗証番号入力に成功。
今の時代に、化石のようなオールド携帯を持ち歩いていたら、もうヒーローですね。残念ながらアナログ方式のサービス利用を終了しているはずなので、実際の携帯電話としての利用はできませんが、大事に保管したいと思います。

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〈 HP-501とiPhone12miniの2台持ち 〉

意外に天地の長さがあまり変わらない。正面から見ればほぼ同等。しかしながら厚みと重量は大人と子どもの差です。1991年製造のHP-501と2021年製のiPhone12mini。ケータイは30年間でここまで進化したんですねぇ。
*Phone12miniの待ち受け画像は、私が制作したオリジナル画像です。実際にOSが「Mac OS 9.2」なのではありません。私のユーモアでございます。誤解の内容にご注意ください。



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【02】 デジタルツーカーNM

この携帯電話は、デジタルツーカー タイプNM(ノキア) 1997年のものです。写真は5色のカラーバリエーションのものですが、もっともスタンダードな標準色、たしか「シティグレー」という名のカラーモデルが私の手元にありません。コンプリートならず。私は強引にこれらのカバーを着せ替えして、いろんな色のカバーで楽しんでいました。
この携帯の使い勝手は悪くて、笑えます。日付の設定がないんですよね。不在着信があった時に何時にかかった電話なのかわからないんですよね。マナーモードもありません。標準ではバイブの設定もできません。オプションでバイブ機能内蔵バッテリーを購入するとバイブ機能が使えるようになります。とにかく日本製の携帯に比べて使い勝手が悪かった。これは悪い意味ではなく個性ととらえ、不便さを楽しんでいました。田舎で丁寧に暮らすライフスタイルのようなもので、一日一日を噛みしめながら生きる。ちょっと大袈裟ですがそんなケータイがこのNMです。

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〈 タイプNM ヒョウ柄 〉

こちらはヒョウ柄。インパクトありますね。超個性的です。
サイズ、重量ともにしっかりとしたボリュームありますね。私はスーツのポケットに入れていましたが、ポケットが膨らみ過ぎて困ったものです。アンテナはわずかに伸びます。

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上の写真は、私が筋トレしている写真ではありません。先ほど紹介したHP-501モトローラーと二台並べてNM持ってみました。大きいはずのNMもモトローラーの横に並べばコンパクトに見えるから不思議。

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〈 タイプNM ウッドバージョン 〉

高級感漂うウッドのテクスチャー。この頃車のインパネもウッド調が流行っていました。ウォールナットやマホガニーのように濃いブラウンです。


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〈 タイプNM エメラルドグリーン 〉
何色って言うんでしょう青緑っぽい、なんともいえないひび割れの様な柄。


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〈 タイプNM レッド 〉
柄もどこか日本的ではないエキゾチックさがあり。液晶が劣化して焼けています。


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〈 タイプNM ブルー 〉
北欧を彷彿される濃いブルー。
日本人の美的センスとはまた違ったカラーセンスが面白いですね。

ご注意:これらのカラーバリエーションの名称は私がつけたもので、正式な名称ではありません。

ここまで、セルラー HP-501(モトローラー)1991年とジタルツーカー タイプNM(ノキア) 1997年の二台の携帯電話を紹介させていただきました。すでに5500文字を超え、まだ紹介できていない機種が13台も残ってしまいました。この投稿ですべき書いてしまうとどれだけスクロールをしても延々と続くことになりかねません。ついついケータイへの想いを書き綴り随分と長くなりました。当初は、前編、後編で紹介するつもりでしたが、今日のところはこの辺で。何回かに分けてお伝えさせていただきたいと思います。
また「懐かしいオールド携帯電話の魅力! 」でお伝えする情報は、不確かなものです。私の記憶やネットで検索し調べたものですので、参考までにご覧ください。間違えてましたらごめんなさい、ということでお願いします。
それでは「懐かしいオールド携帯電話の魅力!【vol.1】」をお読みいただきありがとうございました。【vol.2】もお楽しみに!
それではまたお会いしましょう!さようなら〜。

私が使ってよかったと思うカメラなどの機材などのレビューを「物と音」WEBSITEでも紹介させていただいています。よろしければこちらもご覧いただけたら幸いです。お時間ありましたら足をお運びください。


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