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「先後」考

 おはようございます。今月は記事が多いですね。小出しにすれば連続投稿月数を伸ばせるというのに。

 さて今回はですね、最近読んだ本について考えたことがありましたという記事です。
 その本には「大人たちが激しく論ぜられている事柄が、その実何の役にも立たないことであって、その議論が盛大に空回りしている」というユーモアがあったのですが、それについて思ったことです。

 昨今、望まない妊娠を避けるための法整備が活発に行われていますよね。薬局での緊急避妊薬の販売を試験的に始めたとかなんとか。連日報道がなされていて、私よりアンテナが高い皆さまなら知っていることと思います。

 私はネット上で一切の政治的意見を表明する気はないのですが、この件に関しては、まぁ全てのニュースに目を通しているわけではないので判断の中立性は担保されていないのですが、端的に「遅っそいなぁ~」と思って見ています。

 現在の日本では、臨まない妊娠・出産や、父が雲隠れしたシングルマザーの孤立・困窮が社会問題化して久しいですが、まだ薬を売るとか売らないとかで時間をとられているのかという感じです。そんな初歩的な? という感想を抱きます。もっと早くやるべきでしょう。

 そこでこれとは別にもう一つ、面白い(不謹慎か?)事象があって。

 民法721条の規定では、母親の胎内にいる胎児に関して、損害賠償請求権が認められているんですよね。
 どういうことかと言うと、例えば夫と妊娠している妻が事故に遭い、夫が被害者となった場合、胎児はまだ生まれていなくても、生まれたものと見做し、損害賠償請求権を獲得します。擬制です。

 ……なんかおかしい感じしませんか? しないかな? するのは私だけでしょうか。文章力が無いので私の違和感が伝わっているか分かりませんが。

 ええとつまり、実際に生物的に人間が繁殖を行い、その結果として望まない出産が行われてしまっているということは、現実社会においてかなりこう、人々に近い事象というか、生き物臭いというか、そちらのほうが身近なケースに感じるんですよね。

 対して、胎児の損害賠償請求権については、判例とかを読んでいただけると分かると思うんですけど、失礼だけど相当レアケースな気がしませんか?
(被害者の方々には申し訳ないのですが、ここは「教材」として判例を見ているということにします)

 だのに、前者のより民間的なケースの議論がいつまで経っても進まなくて、後者の学術的なケースを、擬制などという法律上の解釈やテクニックを使ってまで、「こういう場合はこうである」「ああいう場合はああである」「何の何条を準用する」など、限界事例まで盛んに考察が進んでいる。なんかズレているというか。そういうことを考えることができるなら、その時間を使って、実際にもっと市井のケースを先に何とかした方が良いんじゃないかと思う。
 現にその判例って確か、昭和一桁年の時点で出てるんですよ。大昔ですよ。今令和ですよ。でも薬を売るとかの話はほんの最近持ち上がったばかりです。

 私は素人で法学の知識は全く無いのでこの記事で喋ったことは信用しないでいただきたいのですが、以上の具合のような人間社会が今あるものなんですよね。

 そういう一見不合理というか不都合というか、人間ってそんなもんですよね。

 纏まりがない記事ですね。つまりそういうことです。

 本記事のように誇れない記事は、Twitterでの更新報告を行いません。サイレント投稿です。この記事には電子の海に沈んでもらいます。


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