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私の漢詩紀行とシルクロード

自己紹介です
もともと理科人間でしたが,定年退職の後はもっぱら地質学と文学の間を行ったり来たりしています。漢詩や『おくのほそ道』宮沢賢治の話題が多いことと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
私の漢詩紀行 1 西安の華清池にて
高校生の時,担任の先生から斎藤茂吉『万葉秀歌』と吉川幸次郎・三好達治『新唐詩選』を推薦された。『新唐詩選』の一節にたいへん興味を持ったのが漢詩に興味を持った始まりだった。この頃買った『新唐詩選』もうボロボロになり,紙質も悪いため茶色にくすんでしまったが,いまだに手元にある。

これが高校時代に担任の先生から紹介されて購入した昭和27年発行の『新唐詩選』今でも大切に持っている。

王維の『送元二使安西』の「渭城朝雨浥軽塵 客舎青青柳色新 勧君更尽一杯酒 西出陽関無故人」の解説に「……柳の枝が折られるのも,もうすぐ。どうです,いいじゃありませんか,もう一杯おほしなさい。……こんなに気やすく酒ののめる人間は,いないんですよ。さあもう一杯のみましょう」とあった。この文章にしびれてしまったのである。さらに読み進むと白楽天の『長恨歌』には「……春寒賜浴華清池 温泉水滑洗凝脂 侍児扶起嬌無力 始是新承恩沢時……」の解説がまた素晴らしく「……まだ寒い春の日,楊貴妃は華清池でのゆあみを賜った 温泉の滑らかな水は輝くような彼女の白い肌を洗う/侍女が手を差し出して抱え起こそうとすれば,なまめかしくもぐったりとしている.これから玄宗の寵愛を受けるときが来たのだ……」
この解説がすばらしい――というか高校生の年代にとってはたいへん悩ましい解説だったのだ。そこでよくこの文言は覚えている。冒頭の写真は楊貴妃が住んでいたと言われる華清池,そして次の写真は湯浴みをしたと伝えられている浴槽の一部。 

楊貴妃が湯浴みをしたといわれる浴槽

私が初めて中国を訪れたのは1995年,そして1996年8月には万国地質学会議IGCで再び訪れこの時はあちこち歩いた。北京での会議の後,西安と桂林を訪れ,高校生時代に愛読した先述の王維や白楽天の詩を現地で味わうことができた。
そんなよしなしごとを古い写真,新しい写真を取り交ぜてアップします。

1.西安
 西安(昔の長安)は玄宗と楊貴妃が住んでいたといわれる。華清池では楊貴妃の湯浴みをしたと言われる浴槽が残っていたが,このあたりはいささか観光化し過ぎていて幻滅した。さらに西安の城塞に登り,玄奘三蔵が持ち帰った経典を保存するために建てた大雁塔,小雁塔などを観たり,ちょっと足を延ばして始皇帝陵の兵馬俑などを観た。ホテルの部屋から小雁塔が目の前だったので,出発前の時間に出かけたが迷路のような路地に迷い込んだが大変良かった。この頃の西安はあちこちで工事中だった。西安郊外の半坡遺跡などを訪れ,BC4000~2500年の仰韶(ヤンシャオ)文化を集めた半坡博物館や始皇帝の兵馬俑なども見学,中国の古い文化の圧倒された。

西安市の大雁塔
同じく西安市の小雁塔
仰韶文化の人面像


西安市郊外の兵馬俑博物館にて

さて,長安といえば李白の「子夜呉歌」も忘れられない。「長安一片月 万戸擣衣声 秋風吹不尽 総是玉関情 何日平胡虜 良人罷遠征」というのである。 綿の普及する明代以前,庶民の衣料は麻や葛を主体とするものであった。粗く固い繊維を軟らかく肌に馴染ませるために満遍なく敲く必要があった。ここに現れる擣衣(とうい)とはそのことを指し,妻が遠方にある夫の帰りを待ちわびる思いを詠うのによく用いられた。詩の意味は「長安の都に月の光がそそいでいる 都の全ての家から冬の衣を打つ音が聞こえる 秋風は何時までも吹き続ける 何もかもが遠く玉門関にいる夫を偲ぶ妻の思いをかきたてる いつになったら胡(えびす)を征伐して遠征から帰ってくるのだろう」という妻たちの息づかいがよく現れている。

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