ワイドショーシンドローム

ワイドショーシンドロームとは、私が勝手にそう呼称している事象です。

社会の中である事柄を論じる時に当事者でなく、または当事者意識なく、問題の解決ではなく、建設的議論ではなく「あるべき論」や「正論」をコメントし、自身が知識人であるとマウントと共感を得ることが好きな方々をそのように定義しています。

由来となるのはテレビのワイドショーです。ワイドショーは共感を得ることを目的に情報番組としてエンターテインメントを提供しているわけであり、ある側面では無責任な言動も含めたコメンテーターのやりとりをショーとして楽しむだけのコンテンツであり、あれは議論や討論といった性質のものではありません。

また、ワイドショーで取り上げられる内容もほんの数分聞きかじっただけで建設的な議論ができるような道徳の教科書のような浅い内容ではなく現代社会に密接に結びついた社会問題であり、共感を得ることを目的として構成されているワイドショーのようなスタンスを現実の議論の中でも取り上げるのは様々な問題が生じる恐れがあります。

ポリティカル・コレクトネスの傾向が強くなる中で全員が耳障りの良い言葉を選ぶ傾向が強まっていますが、一市民においても誰にでも耳障りの良い主張を無責任に取り上げるコメンテーターのような発言は歓迎されるべきでしょうか。また、誹謗中傷や迫害等を許すべきではありませんが、社会として現在抱えている分断や事実を表現を変える、もしくは口にせずに話をすることに意味があるのでしょうか。また、企業人や大人としてその姿勢は好ましいといえるのでしょうか。

もちろん、ただの雑談の中で踏み込んだ議論をしろという意図はありませんが、例えば企業の意思決定の場や就職活動のような場でワイドショーのコメンテーターのような当事者意識を欠いた建設的ではない正論が求められるとは思えません。

社会に出て、踊っている会議などを見ているとたまにワイドショーを見ている気分になります。誰もがコメンテーターのように無責任な言動を繰り返し、最後にツケが若い人に降ってくる。政治もなにもかも同じ構図ですね。

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