可愛い子には旅をさせよ。そしてピアノを習わせよ。
子供の頃の「習い事」文化ってなんなんだろう。
もちろん野球を習って野球選手になる人も、書道を習って書道家になる人もいると思う。
でも、そんなのごく一部。親だって、将来「〇〇選手になって欲しいから!」って習い事させる人そんなにいないんじゃない?
私はピアノを2歳から18歳まで習っていたけど、ピアニストにも、音楽の先生にならなかった。書いてて思ったけれど、私はまだピアノを習っていない人生の方が短い。
ちょっと気になって「子供にピアノを習わせるメリット」的な事をGoogle先生に聞いてみる。
・脳の発達に良い影響がある!
・リズム感を養う事でスポーツにも良い影響がある!
・忍耐力、精神力を養う事ができる!
・音楽に感動する情緒を養う!
いやいや、もっとありましたよ。ピアノが人生に影響を与えた事。
....
遅ればせながら。こんにちは、デザイナーの尾崎です。
今回は私の人生の中の「ピアノを習う」について書こうと思います。
小学校の衝撃。世の中の人、全員ピアノ習ってるわけじゃない。
私は初めてピアノを触った時の記憶がない。
朝起きる、ご飯を食べる、歯を磨く、それと並んで「ピアノを弾く」があった。
というか、世間知らずな小さい時の私は世の中全員そういうもんだと思っていた。
小学校低学年の音楽の時間の、今でも覚えている衝撃。
(なんでみんなピアニカが弾けないんだ...?)
その時に初めて、全人類ピアノを習っているわけではない事を知ったのでした。
少しの優越感と、何もしなくても音楽の成績で5が取れることが
習っていて良かったと初めて思った出来事。
小学校の憂鬱。合唱で歌えない。
合唱の時、伴奏をするのはピアノを習っている子ではなかっただろうか?
かく言う私もその1人で、合唱コンクールや卒業生を送る歌なんかは十中八九私が伴奏を頼まれた。
今でも覚えているのは、確か小学校5年生の合唱コンクール。伴奏がめちゃめちゃに難しい曲を先生が選び
「尾崎さん、頑張ってね。」の一言。
まあとんでもない楽譜だった。人は嫌な記憶に蓋をするもので、詳細は覚えてないけれど何度か家と学校で泣いたと思う。
確か卒業式は先生説得して、みんなと一緒に歌わせてもらった。
毎週木曜日の地獄。絵にかいたような鬼教師。
習っていたのは某りんごキャラの有名教室。
そこの先生がまあ怖かったのだ。
(この記事、見つかりませんように)
毎週のレッスンでは大きな声で怒鳴られていた。
…
思い返すと、毎週全力で練習してレッスンに臨んだかと聞かれれば
そうではなかった。
中学に入り、小学校より自由になった遊びたい盛り。
成績も良かったから
ちゃんと勉強も頑張っていた、と思う。
ピアノの練習は後回しにしちゃって
それが先生にバレて怒られる。
本当に頑張って詰めて詰めて...って時は
褒められる事もあった。偶に。
でも基本的には怒鳴られてばかり。
木曜日がレッスンの日なので、木曜日に1週間が終わり、金曜から始まる感覚。
レッスン前日の水曜日は憂鬱だったなあ。
年数回のコンクール。舞台の上では一人っきり。
それなりピアノを続けていると、先生の推薦でコンクールに出ることになる。ピアノを習っていた記憶の中で、今でも鮮烈に覚えているのはコンクール本番の事。
舞台の上では一人っきり。本当に一人っきりなのだ。
何歳だろうが、何年生だろうが、自分の順番になると一人で舞台袖から歩いて行く。
スポットライトに照らされて、ギラギラ光るピアノの前に立ってお辞儀。
椅子の高さを震える手で調節して、ドレスがシワにならないよう丁寧に座る。
静まりかえったコンサートホールの中
自分一人だけに、曲を弾き出す権利がある。
思い出しながら書いている今も、鳥肌が立っている。コンクールで良い演奏ができると、上から順に金賞、銀賞、銅賞、優秀賞なんてランク付けがされて、ちょっと重いトロフィーとか盾がもらえたりする。
良い賞をもらえれば嬉しかったし、期待より低い位置だと結構悔しかった。でも私は、賞のためにピアノを続けていたわけではなかった。
いつかピアノを辞める事は知っていたけれど。
なぜ私が
毎週怒られる事が分かっていても
将来ピアニストにならなくても
賞をとる事が目的じゃなくても
ピアノを続けていたか。
それは、ピアノを弾くのが好きだったから。
そして、ピアノを弾く事があまりにも当たり前だったから。
高校に入って、なんとなく、
いつかピアノを辞めないといけない事実を
じわじわ、少しずつ、自覚し始めた。
ピアニストになりたいわけでも、音楽教師になりたいわけでもない。
ピアノで食っていく努力をすると、きっと私はピアノを嫌いになってしまう。
それでも喪失感は大きくて、まるで家族が一人居なくなるような、一緒に生きてきたペットを失うような
そんな感覚だった。
ピアノを辞めた自分に残っていたもの。
高校2年の進路を決める時
ピアノを辞めてしまった後、自分に残るものを考えてみた。
音楽が好きになれた事。
そこからクラシックも邦楽も洋楽もジャズも知れたこと。
自分が持つもの全てを出し切る戦いの厳しさを知れたこと。
努力の大切さ、そしてそれは実らない時もある事実。
でも、努力しないと始まらない事実も知れたこと。
音楽が好きで入った高校の軽音楽部で、またとない青春を送る事ができたこと。
人前で演奏する、ひとときの尊さ。
そして何より
「私はいつでもピアノが弾ける」ということ。
ある人が絵を描いて自己表現をするように、私はいつでもピアノで自分を表現できる。落ち込んだ時、心が荒れた時、悩んでいる時、自分には演奏という癒しがある。
多分ずっと、ピアノが好きだ。
いままで、アイデンティティーの1つになっていたピアノを辞めても、自分に残るものは沢山ある。
そう思えた時、進路という名の沢山枝分かれする目の前の道に、初めて自分の足で立って向き合っているような気がした。
ピアノじゃないとしたら、音楽じゃないとしたら
嫌なことがあっても飽きないような、仕事として考えられるような
興味を持てて、憧れを持てて、一生続けられそうな...
それっていったいなんだ?
それが、私にとってはデザイナーだった。
デザイナーという進路に、ピアノが背中を押してくれたのでした。
今年の年末、実家のピアノにさよならを言いに行く。
私の実家は、順当にいけば今年無くなる。
祖母が亡くなり、一戸建ての家で母が一人暮らし。
引っ越さない理由もないだろう。
それと同時にピアノも旅立つ事が決まった。
本当は次の母親の家とか自分の家に置いときたいけど、運ぶにはとんでもなく労力とお金がかかる。広いスペースだって必要だし、年に一回調律しないと音が狂ってしまう。
知り合いの工作好きに頼んで、ピアノを家具にしてもらおうとも考えた。そしたら一生手元に置いとけるし。
でも母親から
「ピアノを売れば、次の場所でまた弾いてもらう事ができる」
と言われてハッとした。
これからこの先も、私が死んでも、私のピアノはいろんな人に弾いてもらえるのだろう。
可愛い子には旅をさせよ、そしてピアノを習わせよ。
犬と子供にまつわる、イギリスの古いことわざがある。
この言葉を知った時、私はなぜだか自分のピアノの事を思い出した。
子供の頃から自分のそばにあり、ずっと遊び相手で
時には泣くほど恨めしく思い、それでもやっぱり憎めず
大学で上京するのと同時に離れて
実家に帰った時にだけ会うようになり
今年の年末には、二度と会えなくなる。
始まりから終わりまで
すべてを通して大切な経験ができたと私は思います。
....
(今年、実家で最後の調律をした時のピアノ)
今、少しずつ練習している曲がある。
https://www.youtube.com/watch?v=jEc_r33ODos
ドビュッシー ベルガマスク組曲 月の光
母親が好きな曲で
私が弾いてきた中で一番好きな曲。
今はもう昔みたいに上手には弾けないけれど、最後にもう一度気持ちをのせて実家のピアノで弾きたい。
南向きのリビング、大きな窓のそばに、茶色くて艶のある猫足のピアノが佇んでいる。
もうきっと二度と会えない友達と、最後の別れをするような気持ちで
私は年末実家に帰るのだろう。
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