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日本人しか言わない「いただきます」は何をいただくの?

初めまして、グランドデザイン晶です。中国語のコピーライターとして頑張って、2018年から上海と東京を行ったり来たりして仕事をしています。今年の春節ごろ、日本に来たら、コロナのことでずっと中国に戻れない(苦笑)… 日本のゆる〜いコロナ対策の下で、不安を抱えながらどう生き抜けていくかと、緊張する毎日を送っています。1つ不思議に思ったことが、毎日コロナ感染者が100人〜400人ぐらい出る東京にでも、日本人は全然気にせず(?!)、いつも幸せそうに「いただきます〜」と歌いながら、ご飯を食べています〜!

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なんででしょう?!私は、「いただきます」と言っても、別に幸せに感じたことはなかったんですが...

もしかして、中国の食文化にない、食事前の行儀である「いただきます〜」には、何か日本人しか分からない幸せに感じるマジックパワーが潜んでいますか?

1万年前の「縄文土器」の美意識からヒントをいたきだきました

2018年東京国立博物館で開催した「縄文ーー1万年の美の鼓動」に見に行きました。その時、感動したのが〜:

命の文様をしている土器
~描绘「生命纹理」之土器~

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世界に魅了する縄文土器の文様には、「渦巻文様と勾玉文様」があります。「渦巻文は植物が豊かに成長する様子と本来目に見えない妊娠した胎内におけるへその緒の成長を2重に表現した記号であるとしたのである」(注1)。「渦巻き文様を見ると、始まりのところは勾玉の形をしているでしょう?勾玉とは胎児、つまり命の根源の形です。縄文土器もまた命を表した勾玉を連動させたり、反転させたり、増殖させた文様で成り立っています。そもそも土鍋は野草や木の実、猪や鹿などの獣の肉を煮たり焼いたりするもの。自分たちとは違う生き物の命を食らうわけですよね。だから土器は尊厳ある生命と等しく、最も尊厳のある形でなければいけなかった。それで土鍋に文様をつけて、魂を込めたんですね」(注2)                                 (注1)<縄文土器>の文様に意味がある>文・武居竜生 http://www.joumon.jp/wp-content/uploads/zokusinsyou.pdf
(注2)<縄文の心得no.1 縄文-生命の感受性に学ぶ> 文・草刈朋子 http://waccamedia.com/local/73

おぉぉー!思わず心が打たれましたー。今まで自分の無知な認識は、土器は「ただ食べ物を食らう器」に止まっていた。それ大間違いだ!まず、土器に装っているのが、食べ物じゃない、生き物の命だ!そして、動物だけではなくて、植物も魂を持っている尊厳ある生命だと思われてる!また、人間に劣っている生き物ではなくて、人間と等しい違う生き物の命だと尊敬されているんだ!

「ただの食べ物」を浅く思っていた私が、「私たちと等しい違う生き物の命だ」という感知にある1万年前の生きる姿勢に頭が下げました。

えぇ!ひょっとしたら「いただきます〜」がこれに繋がっているかも。

「いただきます」は、いったい、何をいただきますか?

「いただきます〜」の語源を調べてみました。「古代から日本では、この世の中にあるすべての自然物や動物・植物、自然現象までも霊威や霊魂が宿っていると考えてきました。これをアニミズムと言います。そのようなアニミズムの精神が、およそ1万年前から脈々と私たち日本人のDNAに受け継がれているのでしょうか。「いただきます」には2つの気持ちが込められているそうです。一つは、食事に携わってくれた人たちへの感謝。もう一つは、食材への感謝です。私たちは、肉や魚、野菜や果物にも命があると考え、それらの命をいただき、私たちの命に代えさせていただいているという感謝の気持ち。こちらが本来の意味だと考えられているようです。」(注3)
(注3) <何げない日常に潜む日本の文化「いただきます」「ごちそうさま」編>文・惣元美由紀 https://1200irori.jp/content/learn/detail/case07

なるほど!一万年前縄文時代から日本人のDNA受け継がれている、世世代代で「ご飯を食べること=あなたの命をいただいて私は生きることができます。ありがとうございます」という生きる姿勢で、「いただきます〜」と言いながら歩んできたんですね!どれだけ、ステキな生き方でしょうか。

だから、日本人は「いただきます〜」と言うとき、私たちの命を支えてくれる命に対して感謝している気持ちを込めているんですよね〜その感謝の気持ちで、私たちが今を生きることができる喜びを感じているから、いつも幸せそうにご飯を楽しんでいますね。外国人である私は、その生命への感受性に感心させられました。

外国語には、「いただきます」に当たる言葉はありますか?

「英語では『Lets eat』という時もありますが、『食べましょう』という言葉になりますし、イタリア語では『Buon appetito(ブォンアッペティート)』という「よいお食事を」という言葉になります。」(注4)ということが、「あなたの命をいただきます」に当たる考え方はないことでしょう。
(注4)<「いただきます」は日本だけ?~食育としての挨拶~> 文・関口真美
https://sekaiku.com/2015/01/18/itadakimasu/

中国では私たちの世帯には、「いただきます」にぴったり合う考え方と食習慣はないことだと思います。

食事前のあいさつとしても、「我先吃啦~」(さき食べるよ)、日本ドラマにある「いただきます」に当たる中国語訳字幕が「我开动了~」(私は始めますよ)である。まず、「我先吃啦~」の「吃」は、「食べる」との意味です。それが人間本位の考えで、肉や魚、野菜や果物を食べ物としか考えていないことでしょう。そして、「我开动了~」(私は始めますよ)は、「あなたの命を」という真髄を理解していない上に直訳したことだと思います。「いただきます」を直訳すると、「🙏感恩你把你的生命能量转赐予我」。

中国の古代食文化を探したんですが、「いただきます」にあたる食文化の記事はなかったんですね。もしかして、古い時代に有ったんですが、今では断層したかもしれない。今でも受け継がれるのが、「粒粒皆辛苦」で、一粒の米にも万民の労苦を忘れず、その食材のありがたさを大切にし、浪費してはいけないという考え方です。

いつの間にか、私たちは、それを言葉として覚えていて、その真髄の意味に潜んでいるありがたさを忘れてしまったのでしょうか。

コロナのことで、今までできた好きなことはできなくなったとともに、今まで感じた生きる喜びが突然に失ったような感じ...辛い時でも、感謝して、食べて、感謝して、生きる〜。これが、「いただきます」から学んだ大切なことです。

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「はい〜!いただきます〜!」

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