有用性

ゲームが好きだ。FPSからリズムゲームまで色んなものをやってきた。ゲーム機がなくともプレイできるソシャゲなんかは画期的なことだと心の底から思う。

ただゲームというと嫌悪感を示す人も一定数いる。ゲーム障害なんてものがWHOでも示されているし、依存して様々な懸念が生じるだけで何の役にも立たないなんて言われることは日常茶飯事のことになっている。有用性に欠けるということだ。

なぜこんな文章を書いているかというととあるゲームがきっかけである。アイドルを育成するリズムゲームといえば大体何のゲームかはわかるような気もするが、そのゲームが5周年を迎えた。そのキャンペーンとして5周年記念楽曲のアニメPVが実装され、Twitterでは瞬く間にトレンド1位を達成した。

何を隠そう私もこれを見て感動したのだが、その一方で自分、そしてその他大勢の人間の有用性を疑うことになった。こんなこというと怒られそうだが、当然このアイドル達はみんなゲーム上の実在しない存在である。にも関わらずこれだけ多くの人達に愛され、感動や笑いを与えている。それに比べ実在している私たちの有用性は彼女達の足元にも及ばないだろう。もちろん多くの人に有用性をもたらす人も中にはいる。ただ人間の大半は無名のまま人生を終えていく。有用性がもたらされる範囲なんてたかがしれている。データにさえ私たちの有用性は届かないのだ。

有用性が全てでないことは分かっている。彼女達にできないことを私たちはできる。しかし、ただ人の役にどれだけ立っているのか、という人によっては自分の人生の生きがいにさえしているような概念において私たちはデータにさえ到底敵わないことをふと思った。

データだけとは限らない。私たちの有用性は電気に敵わない、水に敵わない、ガスに敵わない、空気に敵わない、挙句の果てには机の上の1本の万年筆にさえ敵うか怪しい。つまらないことから逃げ出したくても勇気を出せない人間より、何の文句も言わずにただ外部からの力に任されるまま線を引く生き方の方がどんなに役に立つか分からないものだ。

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