補足と反論_『KuToo』本の感想に関して

三行で(舶匝氏むけ)
・あなたの誤読です
・『KuToo』本への批判であってKuToo活動への批判ではありません
・KuTooの理念には賛成しています

 先日下記のような記事を書きました。

 それに対し、下記noteで言及いただきました。

これだけで、
(猫柳)
は、#kutoo にケチ付けたい輩、
と分かる。
(猫柳)
は、女性差別主義者である、
と分かる。

 えぇ……。

 前提として、批判は自由です。
 私自身は差別主義者のつもりは無いですが、フェミニズムなどを学問として修めてらっしゃる方などから見れば差別的なところもあるかもしれません。

 ただ、誤読なんですよねぇ……。挙げられている理由が全部。
 さすがに誤読で「差別主義者」と決めつけられたら腹が立ちます。

 ですが、私の感想文にも誤解を招く表記がありました。

 なのでこの記事では、前記事の誤解を招く部分の補足と、上記舶匝氏の記事への反論を書いていきます。

・前記事の補足

 私はKuToo活動の理念(女性が職場でヒールのある靴、およびパンプスを強制されないようにしようという理念)には賛成しています。
 私は女性ですが、ヒールのある靴を履くとよろけて歩けないし、パンプスだと履き口やかかとに靴ずれができてしまうので、そういう靴で仕事をするのは、負担を無意味に増やしているだけだと思います。

 前記事で批判したのはあくまで『KuToo』本です。
 KuToo活動自体についてはまったく批判していません。

 ですが、はじめにKuToo活動の話を持ってきてしまったので、混同させてしまったのかな、と思います。
 これは私の落ち度で、書籍『KuToo (クートゥー): 靴から考える本気のフェミニズム』のことを【『KuToo』本】、「女性が職場でヒールのある靴、およびパンプスを強制されないようにしようという活動」のことを【KuToo活動】と記しているということを、もっと明確に書けばよかったですね。
 誤解させてしまった方には申し訳ありません。

・反論

 はい。
 それはそれとして、舶匝氏の記事はあまりに誤読がひどいです。
 下記に引用つきで反論していきます。

重箱の隅をつつくだけ。

 記事冒頭に”だいたいが些事である”と書きました。
 そのうえで、些事をあげつらう理由として、「単純なミスだと思うが、石川氏を信用できないので、わざとやっているのではないかと勘ぐってしまう。石川氏を信用できない理由は、2章があまりにも不誠実だから」と書きました。

(批判1:用語の定義がない について)
結論左右しないタームは詰めても、無意味。

 「無意味」の意味がわかりませんが、「パンプスやヒールつきの靴の強制をなくそう」と言っている人が「パンプス」や「ヒールつきの靴」の定義を示すのは当然だと思います。
 例えば、「ピーマンは体にいい」と言っている人がいたとします。この場合、「ピーマン」が何を示すかは自明ですので、ピーマンの定義を説明する必要はないでしょう(説明しても構いませんが)。でも「野菜は体にいい」と言っていたなら、「あなたの言う野菜にはスイカは含まれるのか?」「イチゴは?」「キノコは?」という疑問を持った人がいても不思議ではないでしょう。「パンプス」という語は(「野菜」ほどではないにせよ)広いし、けっこうな割合で誤解されています。イチゴは野菜ですし、キノコは菌類です。
 男性用ビジネスシューズの定義を長々と書いたのは、「とはいえ、『男性の革靴』って言えばなんとなく通じるしいいじゃん」と思ってもらうためです。パンプスも同じで、「『パンプス』って言えば、女性用のビジネスシューズのことって、なんとなく通じるしいいじゃん」の枠に入っています。だから、職場でパンプスが強制されるし、パンプスじゃなかったらスニーカーを履くのか、なんて言われてしまうわけです。だから定義が必要なのです。

(批判2:健康被害のデータがない について)
外反母趾というタームすら、聞いたことないのだろうか。

 パンプスやヒールつきの靴の健康被害については、「KuToo活動について - FAQ※非公式」に記事へのリンクつきで書きました。
 パンプスやヒールつきの靴が健康被害を招くということは知っています。
 そのデータが書籍に掲載されていないことを批判しています。

(「オフィスでヒールのある靴を強制している企業がある」というデータがない について)
(上記と)セットで、(猫柳)は、女性差別主義者である、と分かる。

 上と同じで、データが書籍に掲載されていないことを批判しています。
 直後に朝日新聞の「ヒールつきの靴を履くよう規定している企業は存在する」という趣旨の記事にリンクも貼っています。
 正直いって、どうして誤読されたのか理解に苦しみます。

 ここまでで分かるのは、舶匝氏が私の記事をきちんと読んでいないか、読んだとしても理解する気がないか、さもなくば私に対して悪意があるかのどれかである、ということです。

(批判3:活動の目標が載っていない について)
で?

 「タイトルが『KuToo』なので、当然、KuToo活動についての本だと思って買った」と書きました。
 活動の本なら、活動の目標が載っているのは当然ではないですか。

(批判4:KuTooタグ誕生の経緯が載っていない について)
だから?

  「KuToo活動が広まったのは、『(石川氏が考えたものではない)KuTooという語が分かりやすく覚えやすいから』という理由もあるのだろうから、分かりやすく覚えやすいキャッチフレーズを考えてくれた方に敬意を表する意味で、ツイートを引用させてもらえばよかったのではないか」と書きました。「2章でさんざんツイートを『引用』しているのだから」とも。

(「シャットダウン」について)
誤記を食らいついて何がしたいのか。

 「誤記『に』」です。
 こちらは記事にもコメントいたしましたが、このような単純な誤表記が残っているということは、校正が機能していないか、校正者の意向がまったく反映されていないことを意味します。いずれにしろ本として不出来です。
 これを「個人的に一番許せなかった」としたのは、私が以前校正の仕事をしていたからです。校正者の名前が入った本で、こんなにあからさまな誤表記があるというのは、私にとっては我慢ならないことです。ですから「個人的に」と書きました。

そもそも、シャットダウンは元々、「窓を閉める」の意。

 へえ。
 で?

 ……で済ませてもいい気はしますが。
 語源がどうあれ、日本語のカタカナで「シャットダウン」と書くとき、「窓を閉める」という意味で使う人はいないでしょう(「Windowsを閉じる」なら使いますけど)。単に誤記ですね。

 これにて反論を終わります。
 形式として、舶匝氏に対するおてがみのように書きましたが、長文がお嫌いだということですので、読まれることは期待しておりません。
 氏の記事を読んで、私のことを差別主義者だと思われた方がいるかもしれませんので、そういった方々がこれを読んで誤解を解いてくれればいいな、と思って書きました。
 これを読んでも差別主義者としか思えなかった、という方については、特に反論はございません。感じ方はそれぞれですので。単純に、誤読から誤解されるのがいやだっただけです。

 以上です。