’22,7,18号音粋ヒストリアvol.2-「村井邦彦インタビューEp.3」

《←Eps2から続く》
【エピソード3 ユーミン】
スー:『翼をください』を発表する時、曲がメンバーの手に渡ったのが3時間前だったと。
村:そうです。
スー:ハハハハ。コンテストかなんかですか?
村:コンテストです。楽譜持って合歓の里まで車で運転して来るんですよー。
スー:発表するのに、まだ来ないなあ、楽譜はって。
村:そう。で、山ン中でスピンしたりして。
スー:アハハハハッ!
村:フフッ。クルッて後ろ向いちゃったりなんかして。
スー:良かったです。そん時大けがとかしてなくて。
村:フフそうだねえ。
スー:『翼をください』が世に出なかったかもしれませんよ。事故ってたら。
村:ハハッ、はい。
スー:でも赤い鳥は解散しちゃうんですね。でこれも「村井邦彦の時代」で後藤悦二郎さんがおっしゃってるんですが、ああなんとなくわかるなっていう事なんです。《PAが進化して、僕達がコーラスが下手になったんです》。
村:ああ。うんうん。
スー:あと、ベースとドラム・村上ポンタさんとか、赤い鳥が変わって行くとかって感じがして。今でも昔の赤い鳥の映像を見ると、村上ポンタさんがドラム叩きまくってますよね。
村:ああ、そうだね。
スー:赤い鳥の音楽性が変化して行く、と僕思ったんですけど。あれはどういう流れでああいうハードロックっていいましょうか、変わって行ったんでしょうか。
村:もう自然、バンドの中で、赤い鳥の中でポンタ入れようとか、大村憲司入れようとかいう動きがあって、音楽も周りがどんどんロックの音楽になって、そういう中で自然に変化して行くんですね。で、僕はもう、別にみんながやりたいようにやればいいと思ってたから、やらせていて。最終的にやっぱりフォーク派ともっとモダンな音楽やるハイ・ファイ・セットに別れて行く訳だね。
スー:はい。でもまあホントに、『翼をください』事故に遭わずに楽譜が届いてありがたかったと思います。ハハ。
村:はい。もう50年だもんねぇ。
スー:はい51年ですね。
村:51年かぁ。
スー:あと、件のB♭の和音はクラシックにはあったんだと。なぜか日本のポップスでは、それを使ってなかったんだと言う事ですね。
村:そういう事ですね。
スー:今のJ-POPとかヒット曲は聞かれたりします?
村:あんまり一生懸命は聞かないね。ま、自然に流れて来て。
スー:コード進行とかコードの幅とか、当時に比べて少しはリッチになってる感じはありますか?
村:あぁ多少はね、でもそうでもないんじゃない。和声的には。
スー:あー。
村:和声的に面白いと思った曲は聞いた事はない。うん。
スー:あーそうですか。
村:あ、こんな事やってるな、ていうのにはまだ。どっかにはあんのかもしんないけどね。聞いてないからね、あんまり。言えないんだよ。ハハハ。
スー:まだユーミンを超えるモノが無いと。フフフフッ。
村:う~ん。
スー:ユーミンの話が出ましたが、これも何万回と聞かれていると思いますが、一応ご本人から。少女荒井由実とどういう形で出会ったかという、出会いの瞬間を聞きたいです。
村:ユーミンが加橋かつみに曲を書いた。僕も曲を書いていた。それでビクターの原宿のスタジオに僕が出かけてった訳だ、かつみの録音にね。そしたら僕がこれから録音しようっていう、前がユーミンの曲やってたわけ。それをスタジオモニターで流してたのを聞いて「これ、誰書いたの?」っつたらさぁ、そこにいる少女が書いたって言う訳。
スー:フフフフッ。
村:「ちょっとおいで、ウチと契約しよう」って言ったの。フフフッ。
スー:あの、大体契約とかの話、早いですよね。その場で。
村:そう、全部、その場。ハハハ。
スー:16-7歳ですよね。高校生。
村:そうそうそう。
スー:そん時、荒井由実少女はどんな顔してました?
村:契約したいけど、今、大学受験をやってて落ち着かないからね、受験が済んだらじっくりお話しましょう。という事で、多摩美に入ってそれですぐ契約した。
スー:加橋かつみに書いたのは『愛は突然に』ですよね。♪加橋かつみ『愛は突然に』
村:そうですね。
スー:一番初めに『愛は突然に』がスタジオに流れた瞬間、どういう印象でした?
村:いやだから、いいなと思ったの。
スー:フフ、コード進行?
村:ま、それも含めて全体的にねメロディもいいし詞もいいし。
スー:それで、そっからAlfaで荒井由実「ひこうき雲」「ミスリム」と続いて行く訳ですね。
村:そうだね。そこにね、ひとっ跳び行かないんだよ。だって最初は作家として契約した訳だから、彼女に曲を書かせて、その曲を人に歌わせるっていう仕事をしてたのね。だから幸村いづみさんが「ひこうき雲」歌って録音してるんだよね。
スー:それはよく本とかに出て来ます。
村:そうそう。だけどねえ、やっぱり彼女の書いてるような新しいタイプの歌っていうのを、歌う歌手もいないんだよね。本人が下手でもいいから歌った方が、その音楽性がよく
伝わるんじゃないかってみんな思い出して、それでレコ―ディングしようという事になった。一作目はかまやつひろしさんに頼んで作って、シングル盤を。
スー:『返事はいらない』
村:これがあんまり売れなくて、それで「よしじゃあもう本格的にやってやれ」って事で細野(晴臣)に頼んで、テインパンアレーがバックになって、「ひこうき雲」をこうやって練り込んで作ってんたんだね。
♪荒井由実『ひこうき雲』
スー:細野さんとの出会いはどういうことですか?
村:細野はね、小坂忠も細野もユーミンも、僕の親友の川添象郎、後にAlfaに参加しますけど。
スー:さっきの川添紫郎さんの息子さんですね。
村:そう。彼がね1970年に「ヘアー」っていうミュージカルやったんだよね。それで小坂忠が「ヘアー」に出演していました。小坂忠と大親友が細野晴臣で、その周囲にいた追っかけみたいなファンみたいだったのがユーミン。そういうのが全部Alfa に来た訳ですね。
スー:いろんな本に、GSとかバンドの追っかけだった八王子の少女・荒井由実の話が出て来て、プロコルハルムとかいろんな洋楽のテープをメンバーに渡したりしてるって。ハハハ。
村:そうそうそう。
スー:ハハハッ凄い高校生だなと。じゃあ「ヘアー」から細野晴臣さんとの繋がりがあった。
村:そうですね。
スー:当時ユーミンの独特なボーカル、本人に歌わせようという話と細野晴臣を引っ張って来ようっていう、この二つの出会い。村井邦彦さんが作った出会いが無ければ、後の細野晴臣もYMOも無いかなと思うんですけど。
村:その通りだよね。だって細野連れて来たら、それにつられて松任谷が一緒にくっついて来たんだから。ハッハッハッ。そっから松任谷が始まっちゃうんだもん。
スー:じゃあ、村井さんがいないと、結婚もなかった訳ですよね。
村:フフッそうそうそう。
スー:ユーミンのこの独特なボーカルで、本人に歌わせようという判断に対して、別の意見とかこの歌は違うんじゃないか、という意見はAlfa の中で無かったんですか?
村:無かったですねえ。やっぱり歌ってね、歌手ってさあ、声質がかなりのウエイトなんだよね。いっくら上手く歌う人でも声質が特徴的だとか人にアピールするのが無いとダメだけど、ユーミンの場合には声質がイイんだよ。
スー:う~ん。
村:一度聞いたら忘れない、っていう、声、でしょ。
スー:でも、レコーディングはかなり手こずった感じです?
村:いやそれは大変だったよ。ド素人なんだもん。ハッハッハッ。
スー:ハハ。なんとか頑張って。
村:だけどド素人だから、こういう歌い方で特徴があって人の耳にカーンって行くようなモノだったんだよね。
スー:「ミスリム」「ひこうき雲」で、僕個人的には「ミスリム」派なんです。でも「ひこうき雲」はヨーロッパの耽美派の少女と細野晴臣が連れて来たアメリカンな連中、英米がぶつかってる感じって言いましょうか、まだちゃんと混ざってない感じが独特の魅力と思うんですよね。
村:うんうんうん。
スー:あと、コード進行の話ですけど、ユーミンのホントにクリエイティブな。『きっと言える』短三度転調繰り返して最後、元に戻るとか。どういう発想で作ったんだろうと思いますけど。当時ユーミンのメロディをどういう風に考えてました?
村:いやだから、そういうのが好きで「おーやるねぇ」と思ってさ。
スー:今、ニコニコ仰ってます。凄いですよね、あん時のユーミンがやってるコード進行の新しさって言いましょうか。
村:僕には新しくないですよ。
スー:アハハハッ!
村:皆さんには新しいだろうけど。
スー:あーそうか。お見それいたしました。
村:『きっと言える』みたいなの、サキソフォーン・ソロのね、西条(孝之介)さんって僕の慶應の先輩のジャズ・ミュージシャンを連れて来て「なんかジャズみたいのを若いのが書いたからちょっと来て!吹いてよ」とかって。最後の方ソロが出て来るんだよね。
スー:オッシャレなんですよね。ちょっと僕わかって来ました。村井邦彦という人のおしゃれな感じ、ユーミンのクリエイティブな感じっていうのは、今、村井さんが仰ったみたいにニコニコしながら「イイじゃんカッコいいじゃん」で始まったと。「えーこんな新し過ぎるよ日本にはわかんないよ、このボーカルはクセがあり過ぎるよ」とかいうような事は一切言わなかったんですね。
村:そうだね。大好きだった。
スー:あーこのスマイル、微笑みからいろんなモノが生まれたんですね。僕は「ミスリム」の『瞳を閉じて』という曲が大好きなんです。 ♪荒井由実『瞳を閉じて』
「ミスリム」はユーミンの全アルバムの中でも1番いいと思うくらい大好きなのは、この歌なんです。いやあ、いいなあ。で、キャラメルママとのコラボレーションも「ミスリム」で凄くいい感じになったなと思います。
村:はい。
スー:もちろんユーミンの凄みを重々わかってデビューさせたとは思うんですけど、ここまでの日本のポップスの女王になると思ってらっしゃいました?
村:思ってなかったなあ。う~ん、やっぱりさあ、その後僕にとって意外な展開なのは、最初ステージやるの嫌いだったのよ、彼女。苦手っていうかね。それがなんかマンタ(※松任谷正隆)と組み出したら、すっごいショー作り出しちゃって。ハハハ。
スー:象が出て来たリとかね。
村:ハハッそうそうそう。あれは僕には想像できなかった展開で、それをずっと続けてるから凄いよね。
スー:あの内気な少女が象に乗ってるってハハハハッ。
村:そうハハハハッ。
スー:いやあ、ユーミンと出会って頂いてありがとうございます。今日はもうお礼ばっかりですね。
村:うん。
♪加橋かつみ『愛は突然に』♪荒井由実『返事はいらない』デビューシングルver.

スー)ついに登場しましたユーミン。1曲目は‘71加橋かつみ『愛は突然に』これがユーミンの作曲家デビュー作2曲目’71,7,5荒井由実『返事はいらない』50年前デビューシングル盤。作詞作曲編曲ユーミン、プロデュ―スかまやつひろし。ここにユーミンの原点!
ミ)Twitterでも皆さんが村井さんの名言《僕には新しくないよ》。
スー)ハハハッ新しくない!なんと!と。私は明るくないんですけど、クラシック・ジャズには、そいういう機会的な転調があったんだと。ポップスにはたまさか無かったけどね、という事ですよね。
ミ)ビートルズが‘60-70大活躍したのを見てそういう音楽をやる、というその前の世代なんですよね。
スー)今ねぇミラッキさん、いい事仰った。それだけで4時間話せます!そうなんですよ。いつも言ってますがビートルズはコード進行の革命を作った。それはかなり感性的に作った。傍にジョージ・マーティンってオッサンがいまして、この人がクラシックなんですよ。
ミ)なるほどー。
スー)だから吹き込み屋がいるんですよね。だから調べたらユーミンも理論とかよりも、洋楽が好きだった。村井邦彦がサッと囁いたかもしれませんね。
ミ)プロデューサーの偉大さ大事さはこの番組でも何度も話題に出ますけど、そこですね。
スー)次はジョージ・マーティンにインタビューかああ。何語で話すんやろ。
ミ・スー)ハハハハハッ。
ミ)ポケトーク持って行きましょ。ハハ。
スー)ポケトーク、カッコ悪っ!
ミ)あの、何と言っても細野晴臣を「細野が」って(笑)
スー)朝妻一郎さん時も「大瀧クンが、加藤クンが」でドッキドキしましたけど、ついに呼び捨て。「細野が」ハハハ。
ミ)前半「僕は本当に恵まれていて」っていう発言。これ朝妻一郎さんも同じ事仰っていたんですよね。
スー)ねえ。今のユーミンデビューシングルver.はキャラメルママじゃなくて、ドラム高橋幸宏20歳!
ミ)うわっ!
スー)あれ?村井邦彦、Alfa、高橋幸宏?ああ、あの話を駆け足で聞いておかないと。
ミ)駆け足かい!
スー)30分でごめんなさい。YMOの話を聞きたいと思います。

スー)「村井邦彦三昧」最後のパートです。GSとかユーミンとか知ったかぶりしてますけど、僕はAlfaのロゴマークを初めて見たのは『テクノポリス』のシングル盤で、YMO 直撃世代なんです。10数年後に生まれたミラッキさんもYMOなんですね。
ミ)‘93にYMO は“再生”するんですね。その時に出たオリジナルアルバムのCDを手に取りました。
スー)YMO の頃になって来ると村井さんはもうビジネスプロデューサーで、皆さんご存知の通り世界を席巻したと。ですからここからの話は日本からイギリス・アメリカを席巻するようなミュージシャンがなぜ生まれたか、そして今後生まれる可能性はあるのか、という話をしています。‘80中盤に村井さんはAlfaを離れるまで、’70後半から非常に濃厚な世界制覇と言いましょうか、そういうものを成し遂げた日本の音楽界では唯一無二。この話の流れの中ではYMO以降世界に出て行った日本のミュージシャンはいないと。それは言い過ぎなんですけどBABYMETALもいるしね、でもそれとは別に、あの頃の日本に吹き荒れたYMO旋風を見てる自分からすると、日本人がイギリス・アメリカを制覇して日本に戻って来た!っていうね。逆輸入感っていうのはさすがに出会ってないかなぁ。…曲を挟みます。一番初めに私が直撃、中2の頃めっちゃ聞いた「増殖」A面収録『ナイス・エイジ』大阪にも吹き荒れたYMO旋風の象徴です。そして村井さんにその辺りを伺って、最後にYMOの散開コンサート『以心電信』を聞きたいと思います。
♪イエロー・マジック・オーケストラ『ナイス・エイジ』
《➡Eps.4へ続く》

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