タイムフリーが終わる前に♪9の音粋(#キュウオン)「ヌートバーミュージック特集」2023,4,10つまみ聞き

Bay-WAVEナビゲーターであり^^;音楽家には閉じないでグローバルな音楽を作って欲しいと願う音楽評論家DJと、ジンバブエJポップトップソングを自慢気に繰り返しちゃう野球選手の^^;DJ2人の音楽トーク番組bayfm9の音粋(#キュウオン)月曜日。2023,4,12「ヌートバーミュージック特集」タイムフリーが終わる前に是非お聞き下さい!ここではちょっとつまみ聞き。DJはスージー鈴木(スー)ミラッキ大村(ミ)

スー)えー、心地よい音楽と共に週の始まりを優しく包み込む。9の音粋月曜日はあなたの心を癒す時間です。ハハッAIに作ってもらいました。スージー鈴木です。
ミ)番組紹介文ですか。ミラッキ大村です。
スー)楽しいですね、このChatGPTってのは。
ミ)今一番楽しいかもしんないですね。
スー)すぐ飽きそうですね。
ミ)ハハッ。
スー)これによると私スージー鈴木はプロレスラーですよ。
ミ)私はサッカー選手です。
スー)ハハハハッ!凄い番組だなあ。今回は《ヌートバーミュージック特集》という事でTwitterが紛糾しております。何なんだヌートバーミュージックとはと。定義はですね、無いんです。
ミ)無い⁈
スー)これから皆さんと一緒に作って行く。ヌートバーミュージックの定義を作るのはテレビの前のあなたです!
ミ)ラジオじゃないですか?
スー)あぁそうですか失礼しました。
ミ)ハハハッ。
スー)洋楽と邦楽の間と言いましょうかね、和製邦楽とかすべて英語の歌詞の邦楽とか、あと海外で評価された邦楽等々。この番組は“真剣邦楽番組”と言っておりますが、たまに洋楽がかかってちょっと怒られたりする訳ですけど。1.5って言いますかね、真ん中ってのもあるんじゃないか、今はそれがかなり大きくなって来てんじゃないかという事で。ヌートバーミュージック、略してヌーミュージックをですね。
ミ)ハハハッ!ニューミュージックならぬヌーミュージックなんだ。
スー)ヌートバーはWBC(※’23,3)で非常に活躍した、侍ジャパンにいた日系メジャーリーガーですね。だから別にオーディー与那嶺でもエンディー宮本でもスージー鈴木でもいいんですけど、洋邦の間くらいの音楽って言うので今日は定義を作ろうじゃないかという事でございますね。
ミ)はい。
【21:00台前半 ニセ洋楽の発端】
スー)まずはヌーミュージックの発端と言っていいでしょう。日本人が作った、言葉悪いですけど“ニセ洋楽”。深津エミというイギリスのクォーターの日本人女性DJがいまして、この方をエミー・ジャクソンという名前で、且つ日本のコロンビアレーベルでなく洋楽のCBSレーベルから出した。今手元にそのドーナツ盤ありますけど、全部英語なんですね。これは洋楽だと売り出そうとしたんですよ、ただ記者会見で日本語喋っちゃってバレたっていう。スー・ミ)ハハハッ。
スー)エミー・ジャクソン『涙の太陽』という曲でございます。作詞ン所にR.H.River’sって書いてて、これはREIKO HOTRIVER’S湯川れい子さんですね。
ミ)はあー。
スー)安西マリアで有名になった『涙の太陽』ですけれども、一応レコードに書いてある通り英語で紹介しますね。EMY JACKSON! CRYING IN A STORM!
♪エミー・ジャクソン(深津エミ)『涙の太陽(Crying in a Storm)』
スー)今から”知らんけど“の話をしますけれど、この洋楽のレーベルから出るって言うのがかなり大きかったらしくて、日本のレコード会社は当時作家が専属制となっていたと。コロンビアと言えば古賀政男、服部良一とかレコード会社に紐づけられてた。洋楽のレーベルだったらフリーの作家が書けると。この話って言うのは何気に大きくって、ブルー・コメッツもCBSレーベルかららしいんです。グループサウンズブームって言うのは、筒美京平に代表されるフリー作家が出られる土壌を作った訳ですよね。
ミ)なるほどそうやって日本の音楽界が出来て行く過程なんですね。
スー)です。私の生まれる前なんで”知らんけど“なんですけど、らしいですよフフッ。という訳でニセ洋楽とやや卑下した言い方しましたけど、割と大きな意味があったそうでございます。知らんけど。言うまでもなくヌーミュージックの発端の発端はKYU SAKAMOTO『SUKIYAKI』なんですよね。それがビルボード№1になって。ヌーミュージックの1番底辺にあるのはKYU SAKAMOTOを目指そうじゃないかと。俺達もアメリカや諸外国でヒットを出せるんじゃないかっていう気運の音楽を、9時台前半は楽しみます。夢よもう一度という事で日本で人気出た歌手が英語の曲を吹き込んで向こうでリリースしたという事が、割とあるんですよ。中々ヒットしないんですけれども、そん中でも沢田研二はかなり早くって’74に英語の曲のアルバムをロンドンで録音しヨーロッパで一斉発売。
ミ)ヨーロッパで。
スー)フランスではね割と売れたんですよ。確かね“世界の果てから来た男”とかっていうハハッ名前のリリースをした。日本では当時英語曲はあんまり売れなかったんですけど、12位ですから英語曲としてはかなりのヒット曲だと思います。あとね、今回初めて聞いて「あ!」と思ったんですけど、レゲエなんですよ。まだねレゲエって言う言葉が定着してなくって、細野晴臣や加藤和彦のインタビュー見ると「レギー」とか「レガエ」とか言ってた時代なんです。それが12位まで行ってるから、おそらく日本初のレゲエヒットじゃないかと思うんですけれどもね。『THE FUGITIVE』って言いますね。日本題は『愛の逃亡者』。
♪沢田研二『愛の逃亡者THE FUGITIVE』
スー)ちょっとわかんないので憶測ですけど、曲中でフーッ!とかハーッ!っていうのは東洋風って言いましょうか、これれヌーミュージックの特徴で外国に出る時に東洋の味付けしてインパクトみたいなものを狙っていたのかも、しれません。
ミ)少林寺拳法的な掛け声というような事ですか。
スー)‘74だからそういう時代ですよね。沢田研二『愛の逃亡者THE FUGITIVE』これ作家は全員外国の方ですね。こんな感じで日本で人気が出ると、さあ行くぞ諸外国へと言う気運は確かにあって、’80代になるとそれにプラスそれに日本が経済力を持って行くので、そういう事が現実味を帯びて来る。今日は10時台もバブル時代の曲が多いんですが、まずビックネームのヌーミュージックをと。ずうとるびから始まるさんメール《KUWATABANDは一連のシングル盤と異なりアルバム「NIPPON NO ROCK BAND」は英語だった》と。桑田佳祐でとなりますと’87コカ・コーラのキャンペーン。シールを集めるとミュージックビデオが入ったVHSが当たるキャンペーンフフッ。ミ)デカいなあVHSハハッ。
スー)デカいVHSが。それがホール&オーツがコーラスで参加して、もちろん全編英語の『SHE’S A BIG TEASER』っていう桑田佳祐の曲があります。KUWATABANDとかその前のサザンオールスターズ『Tarako』とか『みんなのうた』の前、桑田さんが一瞬英語志向になった時代があった。ホール&オーツをコーラスバックにして英語の曲でビデオにしてる、これはかなりヌーミュージック度が高い曲でございますね。アルバム「フロム イエスタデイ」シングル「いつか何処かで(I FEEL THE ECHO)」のカップリングで入っております。
そして何と言ってもアメリカ進出と言いますと矢沢永吉でございます。これは村ちゃんさんからも予想メール貰ってます。’80代先駆けて本格的に向こうに家を移してアメリカ進出を試みました。ただ正直あまり上手く行ったとは言えないんですけど、ワーナー時代最後のアルバム日本では当時発売されず、後に発売される「FLASH IN JAPAN」。名前にも日本と入っていてFLASHこれは原爆の事と言われてますね、という風にかなりジャパネスク色を強く出して日本製を出してる。これが上手く行かなくてワーナーを辞めて東芝に行くんです。矢沢永吉「アー・ユー・ハッピー?」(角川文庫)という本がありまして、ワーナー辞める時のエピソードがサイコー!なんですハハッ。アメリカ進出最後のワーナー時代の曲です。
♪桑田佳祐『SHE’S A BIG TEASER』♪矢沢永吉『FLASH IN JAPAN』
スー)イントロに、わかんないですけど琴?のようなジャパネスクが入ってるっていうのが、ヌーミュージックのあるあるかなと思います。是非矢沢永吉「アー・ユー・ハッピー?」読んで下さい、ヒジョーな顛末が書かれてますんで。Twitter鶴見の海坊主さん《オフコースもアメリカ進出を考えたフシがある》と。この前『君が、嘘を、ついた』がディスコだったじゃないですか、あれもちょっとそういうのがあったんじゃないかな、と思ったりしております。
さて10時台1曲目クイズのヒントでございます。今回は「音」ですよ、耳澄ませて聞いて下さいよ。聞こえるかな。シュシュシュッ(※微かに何かをこするような音^^;)今私、顎を触ってます。ウーン…フフフッ。音聞こえました?ハハッ。
ミ)いいヒントですね。一応音拾ったと思います。

【宣伝タイム】4/10~2週間「bayfmウエルカムキャンペーン」4/10~1週間:全番組の中から抽選で50 名にクオカード\1000分ペイプレゼント。
4/17~1週間:各番組毎にスペシャル企画満載9の音粋もスペシャルモード。△月曜9の音粋4/17《第2回音粋紅白「1983年の歌謡曲vs1993年のJポップ》スージー鈴木選曲1983年の歌謡曲ミラッキ大村選曲1993年のJポップの対抗戦。勝敗はリスナーのメールfaxTwitterの投票で決まる。
△毎日抽選で5名タワーレコード\3000分ギフトカードプレゼント

【ミラッキ・ゾーン 元祖ヌートバーミュージック】
スー)(※?WAVEのような英語っぽいノリで^^;)bayfm9の音粋 Monday!今日はヌートバーミュージック特集。こっからは少年野球ではWBCヌートバーと同じセンターを守っていたミラッキ大村さんの選曲でございます。
ミ)ヌートバー選手はセントルイスカージナルスに所属、成績は去年108試合出場打率2割2分8厘ホームラン14本打点40。期待の新人で大事な時に日本代表に来てくれた。音楽界にもそんな人がいたぞと。元祖ヌートバーが40年前にいたぞと。1983年音楽日本代表に元祖ヌートバー来てくれました。ABCというバンドのドラマー、デビット・パーマー。
高橋幸宏さんに誘われてバックに加わる。幸宏さんはボーカルに専念したいと。ABCを脱退しYMO散開ライブに加わった。アルバム「アフター・サーヴィス」。
☆デビット・パーマーを紹介するナレーションが流れて曲に入る。坂本龍一や細野晴臣とアイコンタクト。
♪イエロー・マジック・オーケストラ『中国女』
☆’85アメリカでのアルバムリリースをニルヴァーナのカート・コバーンが聞いていた。’89アメリカで初ライブを行う。’91ニルヴァーナツアーの前座を務める。日本メジャーデビューはその後’92。これは日本語の歌’98。
♪少年ナイフ『バナナチップス』
☆’90代半ば様々なミュージシャンが英語でシングルを出すようになる。アニメ「剣風伝奇ベルセルク」(‘97日本テレビ)主題歌。
♪PENPALS『TELL ME WHY』
☆声優歌手舞台俳優、武蔵野音大声楽専攻。ミュージカル「ウィキッド」劇中有名曲。ライブ盤。♪高垣彩陽『Defying Gravity』
ミ)各種サブスクのグローバルチャートだけじゃなく、もっと細かい所見ましょうよ。 2022年1月アップルミュージックジンバブエのJポップトップソング知ってますか。
スー)アハハハハハッ。
ミ)ジンバブエのJポップトップソング1位ですよ。同時にオーストリアのJポップトップソングの31位ドミニカの36位イタリアの92位モンゴルの6位。これね同じ曲なんです。
スー)フフッ自慢気だなあ。今いい事言ってると思ってるでしょ。ハハ私好みハッハッハッ。
ミ)タイトルいいですよ『江戸川1K入居前』。
スー)それがジンバブエで1位。
ミ)Jポップで1位!
スー)ハハハッ。めっちゃ聞きたい。
☆’93奄美大島生まれシンガーソングライター、トラックメーカー。ラップが載る前の音源がジンバブエで天下を取った。ここではラップが載ったバージョンを。♪ハザマリツシ『江戸川1Kサマータイム』
ミ)10時台1曲目クイズ正解者は?
スー)フフッちょっと多過ぎた…。ウーン簡単。

【22:00前半 CMから生まれたヌーミュージック】
[会いに行けるDJ告知タイム]
△スージーさん⇒NHK文化センター青山「ロック人国記」全6回4/19(水)~第1回「日本ロックの首都・広島」19:00
⇒BAROOM南青山4/21(金)19:00「春のタモリフェスティバル」発禁「タモリ3」を含め伝説の音源を飲みながら高級音響で楽しむ。残席たっぷり^^;安全でくつろぎながら見られます。
△ミラッキさん⇒4/21(金)SUPER珍盤ZEE:代々木WOOFER
⇒5/19(金)ジェネジェネ57MOVE~フランスへ行こう’98~:代々木WOOFER

スー)10時台1曲目クイズ正解者たくさんいたので、先に特製ステッカー当選者をラジオネーム、シミケ・ズンタロウさんでございます。おめでとうございます。
ミ)いいラジオネームだなあ!
スー)東京都小平市在住で職業はトロリーバス運転士、フフッちょっと狙いの匂いが。あとね解答が微妙に間違ってるんです。ジェリー・ウォレスの所をジェイミー・ウォレスって書いてあるんです。いいですいいです。《ジェイミー・ウォレス『マンダム~男の世界』じゃないの?》正解でございます、分かりやすかったですね。「ウーン、マンダム」っていうCMですね。
ミ)世代じゃない人でも知ってます。
スー)10時台前半は日本のCMから生まれたヌートバーミュージックを行きたいんです。英米の音楽家に曲を歌わせると言うのは日本のCM界ではたまにありました。その代表はなんと日本でオリコン1位!になった、ニセ洋楽『マンダム~男の世界』。ま、形としてはニセじゃないですよね。チャールズ・ブロンソン(※米俳優)を使ったCM(※男性化粧品メーカーの化粧品「マンダム」大林宣彦演出)で大ヒット。「マンダム」は当時商品名で会社名は㈱丹頂と言ったのですが、「マンダム」が売れに売れたので㈱マンダムになっちゃったんですね。歌ってるジェリー・ウォレスは米国で大変有名なカントリー歌手でございます。じゃあ、どこが“ヌー”なのか。まずは日本向けに作られた「マンダム」という商品名を歌い込んだ。という事は作家は日本人なのか、一応レコードにはM・ケインH・ケインって言う風に書かれてるんですけれども。本当は和田アキ子西城秀樹の生みの親と言われたレコード会社のプロデューサー、ロビー和田さん。日本で流れて日本人が作ったんですね。しかし歌ってる方は米国の有名なカントリー歌手と言う事で“ヌートバー”だと。ヌーミュージックの、ある意味広告界では代表作です。僕、思うんですけど、このリズム感って言うのが後の『また逢う日まで』(尾崎紀世彦)とか『あの鐘を鳴らすのはあなた』(和田アキ子)とかに影響を与えたんじゃないかと。♪ドンドンタン!ツカツカツンツンタ~ン。
ミ)この数年後に。
スー)これ’70ですから1年後ですね。レコード大賞とってます。(『また逢う日まで』)
続いてもう1曲。『ハロー・ミスター・サンシャイン』タニヤ・タッカー。これは’76日本のコーヒーAGFゼネラルフーズのマックスウェルっていうCMソング。作家の所にミック・スチュワートって書いてあるんですけど、これミック・ジャガーとロッド・スチュワートから取ったと言われてます。かまやつひろしさんですね。
ミ)アハハハ。
スー)これも日本のCMの為に日本人が作ったと言う事で、日本のCMマネーでアメリカ人の有名な歌手を使ったCMソングでございます。
♪ジェリー・ウォレス『マンダム~男の世界』♪タニヤ・タッカー『ハロー・ミスター・サンシャイン』
スー)日本人が作るメロディとアメリカ人イギリス人が作るメロディと違うって話がありまして、母国語が音列も規定すると大瀧詠一が言ってて。ちょっとそうなのかどうかわからないですけど、♪ハローミスターサンシャイン~、ソゥ、グラデュユーケイムマイウエイっていきなりメロウなきゅんメロ進行っぽくなるのは、もしかしたら日本人の作者だからなのかもしれない。ちゃんとした確証はないんですけど、やっぱり日本人好みのセンチメンタルなコード進行っていうのは、母国語日本語とか文化がちょっと湿った感じってのが、あるらしいです。
ミ)なんかそうですね。英語で歌っててもリズムは日本語になってるとかあるんでしょうね。
スー)そうそう。で、そういう話に繋がって来そうなんですけど、こっからミニ特集で井上大輔さんの話をしたいんです。ブルー・コメッツの井上忠夫さんですね。(※本名井上忠夫から’81大輔に改名)この人は当然ブルー・コメッツとかソロシンガーの音楽的貢献もあるんですけど、CM音楽への貢献度が大きいんです。さっきからのニセ洋楽・ヌーミュージックという、日本のCMの為に洋楽の人を駆り出して作る時に、作家のクレジットで割と井上大輔が入ってるんですよね。だから日本人に受ける為に洋楽っぽいのと邦楽っぽいのとの中間を狙う作者として何曲かヒット作があるんですよ。1曲目は、私世代の人はわかると思うんですけど’81HONDAシティ。♪シティ!inシティ!ホンダホンダホンダホンダ。マッドネスが歌ってます。これねぇヌートバーミュージックだったんですよ。作者の外国人の名前の中に井上大輔って入ってるんですね。とても有名’81HONDAシティのキャンペーン。ほぼ同時期に前回かけた『街角トワイライト』(シャネルズ作詞湯川れい子作曲井上忠夫)♪ボンボンボンボンボンボンボンボン、こっちは♪ホンダホンダホンダホンダ。さすがにCMでは♪ホンダホンダですが、♪ドマドマドマドマって歌ってますけど、ほぼ『街角トワイライト』。これは井上大輔がいたのかぁっていうのを1曲行きたいと思います。
もう1個これはご存知の方少ないかもしれません。ストロベリー・スイッチブレイドっていう女性二人組がありまして『ふたりのイエスタディ』っていうヒット曲があったんですけど、日本でスバルレックスのCM『エクスタシー』って曲を日本でリリースしております。イギリスの女性二人組、日本独自の曲でこれもDaisuke Inoueが作家に入ってますね。だから洋楽のミュージシャン駆り出して、日本でCM打つ時のCMソングを日本人に受けるような形、でもポップスっぽいというのを作った人として井上大輔がいた!という事です。今から聞いて下さい日本人好みだと思いますね。
♪マッドネス『シティ・イン・シティ(In The City)』♪ストロベリー・スイッチブレイド『エクスタシー』
スー)車CMソングメドレー。この2曲だけで2時間位話せるでしょハハッ。
ミ)ホントですよ。曲かかってる間ずっと喋ってたんですけど。
スー)井上大輔と言う人は“日本人が思う洋楽”を作るんですよね。フフッ。ミ)とてもキャッチー。
スー)キャッチー。で、井上大輔(元)忠夫さんのアメリカへの想いっていうのを、ミニ特集の最後に締めたいんです。今からブルー・コメッツのあの『ブルー・シャトウ』を聞きます。元々のバージョンじゃなくって、’68に彼らはアメリカのあの「エド・サリバンショー」(※1948-‘71アメリカCBSバラエティ番組ゲストトークとパフォーマンス)に出てるんです。そん時にさっきも出た、日本人がアメリカにいる時にジャパネスクになっちゃうという。今から聞くんですけど、一番始めに琴から始まるんですよ。
ミ)ハハハ。
スー)それで『ブルー・シャトウ』を英語で歌うんですけど、さっき大瀧詠一が言った「母国語とメロディは繋がっている」。だから『ブルー・シャトウ』ってめっちゃ日本語のメロディなんで、英語、窮屈そうなんですよ。途中から日本語になるんですけれど、逆にめっちゃ楽しそうなんですよ。英語を歌うんだけれど、アメリカからはジャパネスクを要求されて琴を弾いて、でも最後普通に日本語歌うのがイイっていうね。この“ヌートバー感”っていうのが、さっきも言ったキャッチーな日本人が思うような洋楽を作る、っていうベースにあったんじゃないかと。
ミ)なるほどなあ。’60代後半にその経験があって’80代に生きて来る。
スー)ですです、だから皆さん今からこれ聞いてもらいますが、KYU SAKAMOTOを目指して日本人がアメリカを制覇するっていう時に、やっぱりジャパネスクを求められる。英語は歌いにくい、でも日本語はわかんない。この「さよならアメリカさよならニッポン」(※はっぴいえんど’73の曲)みたいな、宙に浮いてる感じっていうのを的確に表した曲ですね。ブルーコメッツはエミー・ジャクソン同様、洋楽のCBSレーベルから出ておりました。アルバム「アメリカのブルー・コメッツ」からジャパネスクバージョンと言っていいのかなエド・サリバンショーバージョンと言った方がいいかな『ブルー・シャトウ』。
♪ジャッキー吉川とブルー・コメッツ『ブルー・シャトウ』
スー)これは文化人類学に深いですよ。ジャパネスクを要求される、英語で歌わなきゃいけない、でもやっぱり日本語で歌った時の方が生き生きとしてる。逆タケカワユキヒデ現象ですね。ハハハッ。
ミ)ハハハッ。面白いなあ。
スー)だから洋楽を日本でカバーするとメロディ変わる。逆もあって日本語の曲をたまーに英語にすると、たまに(月9で)かけますけど、メロディ変わっちゃうんですよね。音節っていうのかな音韻っていうのかな、それがメロディを規定するって大瀧詠一が言ってましたね。これはその典型。今のエド・サリバンショーYouTubeに載ってますので、是非見て下さい。私少年時代に1個突き抜けたのは、「ソウルトレイン」っていう番組にYMOが出て、黒縁眼鏡にカメラ持って、いわゆるアメリカ人が思う日本人ていうのを演じる人間、マネージャーかな?を出したんです。あん時にYELLOWっていう名前も含めて、それを逆に見てる自分っていうね。何十構造にメタですけど、だからイエロー・マジック・オーケストラは恥ずかしいと感じなかったんですよね。
ミ)それをやりに行ったから。
スー)そうそう確信犯で。でもこん時(ブルー・コメッツ)は必死でニューヨークでプレイしたんですよね。行って行ってマッドネスに行ってストロベリー・スイッチブレイドに行って、同時期に『妖精ポピンズ』(‘86ポピンズ)も書いてると。ハハハ。
ミ)アハハハッ。凄いな!その前には『マッハバロン』(‘74すぎうらよしひろ)書いてる。
スー)ですですフィンガーファイブも書いてます。
ミ)仕事の幅の広さ、今で言ったらヒャダインさんみたいだな。
スー)あーですです、話が盛り上がりますね。ヌートバーミュージックに非常な重要な役割を果たした井上大輔さんのミニ特集でございました。10時台後半は逆カバー特集って言うのをやってみたいと思います。

【ラスト・ゾーン 逆カバー特集そして60年前】
スー)わかってる方いますねぇラジオネームmoonyさん『シティ・イン・シティ(In The City)』の予想来てましたよ。ハッハッハッあとテリー・レザリオ『オーヴァーナイト・サクセス』(※’85ソニーカセットテープやビデオテープ等のCMソングとして制作発売された)よくご存知で、ありがとうございます。
という訳で井上大輔の日本にCMソング。CMってやっぱりお金をかけますからここぞとばかりにイメージアップという所でニセ洋楽って言うかこういう音楽を作った時代はあったんです。’80代後半から’90代はバブルですよね。そん時にそんなに流行らなかったんですが“逆カバー”って言い方があったんですよ。何かと言うと普通に日本マネーでCMとか関係無く、日本の曲を外国人に歌わせて、ちょっとエエ雰囲気、日本語よりもおしゃれな感じになる、っていう狙いがあった。その代表が日本でめっちゃ流行ったフハッこれもラジオであんまりかかんないだろうなあ、A.S.A.Pって知ってます?
ミ)A.S.A.P…⁇。
スー)フフフッ黒人女性3人組でユーミン歌うんですよ。フフ全部歌詞が英語で。今このおしゃれっていうのは「」ついてますよ。「おしゃれ」カフェバーな感じ。
ミ)うんうんうん。
スー)フフッ今聞いたらね、めっちゃ懐かしくってホントにあの時代を思い出す。シャカタクを聞いた時に「うわっ」って来る感じに近いかもしれません。『卒業写真』の英語版が一番知られていると思うんですけど、今回は『あの日に帰りたい』の英語版でございますね。
ミ)Those Were The Days…。
スー)『Those Were The Days( Nothing stays the same)』聞いてみましょう。ちょっとアホみたいな言い方になりますけど、当時のJ-WAVEみたいになりますよ。
あとね、逆カバーの最高峰がCMサントリーホワイトの広告企画で、あのレイ・チャールズが『いとしのエリー』を歌う、題して『Ellie My Love』。A.S.A.P『あの日に帰りたい』は’90,3月ですね。その1年前’89の秋に『Ellie My Love』が流れたみたいですね。私’90に広告代理店入りましたんで(☆スージーさんは2年前に早期退職し音楽評論家1本勝負) A.S.A.Pの空気はわかります。『Ellie My Love』は入社1年前ですけど、まあジャパンマネーが凄かったって事ですよね。あと、さっきの話で行くと『いとしのエリー』『Ellie My Love』メロディ違って来るんですよ、やっぱりね。英語の音節に合わせるから。レイ・チャールズがメロディをどう違えるか、っていうのも聞いてもらえればと思います。(この2曲)かけるとね、なんとなく開局当時のJ-WAVEが思い浮かびます。
ミ)ハハハハッ。
スー)セブンティ・ポイントゼロ!bay-WAVE!ステイチューン!
♪A.S.A.P 『Those Were The Days (Nothing stays the same)』♪レイ・チャールズ『Ellie My Love』
スー)ああ~J-WAVEっぽいじゃないですか、当時の。サウンドディスティラリー…。ハハッ。
ミ)ハハッ。’89,10にbayfm開局してますから。
スー)ちょうどその頃だ。じゃbay-WAVEじゃないですか。
ミ)何で混ざっちゃうの。
スー)逆カバー当時のニッポン最強時代。A.S.A.Pもう俺聞く事ないだろうなあハハハッ。
ヌーミュージック、前提は遠い所で作られた洋楽の方がエライ、近所の邦楽はイマイチという文化の上下関係、格差と言うモノが前提になってる訳です。だからユーミンの日本語よりも黒人ボーカリストが歌った方がおしゃれでエエやないか、っていう価値観が当時、ホントにありました。しかし’00年代に入ってご承知の通り東京にも外国人の方や帰国子女が増えて、グローバル化、最終的にはジンバブエまで至る訳じゃないですか。サブスクもあってね。という訳でヌーミュージックの締めと言いましょうか、Def Techを。ハワイ育ちのShenくんと東京出身のMicroくんで英語と日本語がチャンポンになってるんですよね。僕割と好きなユニットだったんですけれど、2006年の個人的なレコード大賞の曲でこの2人が日本人とアメリカ人の文化衝突を歌う『Power in da Musiq~Understanding』というのがあります。曲ん中でアメリカ人と日本人が喧嘩するんですよ、でも音楽の力で融和するとかっていう事なんですけれども、ヌーミュージックの1個の転換点として、文化衝突を歌ってそっから今のようにあんまり格差とか洋楽コンプレックスみたいなモノが無くなって行くっていう、ちょうど転換点にあるような曲かなと思ってます。英語と日本語でラップの形でキツイ言葉で言い合いになるんですけれど、最後は融和するというので、締めにはいいかなと思います。でも、一番最後にもう1曲。今日、たくさんメール、リクエスト貰って、これかけないといけないかなと。まずはDef Tech2006年4月のアルバム「Catch The Wave」から『Power in da Musiq~Understanding』。続けて最後の曲は、「えー?関東人の言う割り下ってなんやねん。」
♪Def Tech『Power in da Musiq~Understanding』♪坂本九『上を向いて歩こう』
スー)今からちょうど60年前の6月15日ビルボード№1『SUKIYAKI上を向いて歩こう』KYU SAKAMOTO。まさか当時の日本人が60年間もビルボードチャート1位に行けなかったとは思ってなかったでしょうね。
ミ)そうですね。
スー)ヌートバーミュージックと、チャラい名前にしましたけれど、日本人がビルボード№1になって欲しいとあんまり強くは思わないんですよ。ただ、他の国にも広がるようなグローバルな音楽を作って欲しいという気持ちもあって。アメリカだけじゃなくてね。もっとっぐっちゃぐちゃになって、あんまり閉じないで欲しいとは思います。という訳でヌートバーミュージックの定義は最後まで不鮮明な部分もありましたが、定義を決めるのはテレビの前のあなたです!
ミ)ラジオでいいと思うんだけど。
スー)メール来てますか?
ミ)コウコさん16歳男性ですね《現在高校生の自分からしたら、昭和歌謡や平成初期のJポップ等生まれる前に作られた歌はとても新鮮です。お気に入りの歌が見つかったり、とても参考になります。そしてお二人がその歌を深堀りしてその作られた背景や考察を述べているのでとても音楽的にも勉強になります。これからも聞き続けます》広島県から。
スー)16歳!ありがとうございます。さて、その方や若者も聞きやすいかもしれませんね、来週は《第2回音粋紅白’83の歌謡曲vs’93のJポップ》という事で’83組頑張るぞ!
ミ)ミラッキ率いる’93も頑張ります。
スー)最後のクレジット紹介もChatGPTに頼んで作ってもらいました。棒読みします。
「いよいよ番組も終わりです、最後に音粋のスタッフを紹介しましょう。BGMドラマティックな音楽ダーン。まずは音粋のプロデューサーであり毎回素晴らしいアイデアを提供してくれる岡部イサコさん。(プロデューサー?まいいや。)次に音粋の技術面を支える音響ディレクターミツヤマさん、彼の技術力があってこその番組です。ガ―。そして音楽のエキスパートであり毎週素晴らしいプレイリストを作ってくれるハマノツトムさん彼無しでは音粋は語れません。バー。最後に音楽に関するあらゆる事を知り尽くし常に私達をサポートしてくれる西宮ヒロキさん彼のおかげで音粋はより深くより広く楽しめる番組になっています。拍手。いかがでしたか音粋のスタッフは皆さんのおかげで番組を作っているんです、これからも音粋をよろしくお願いします」AI凄い!
ミ)私は本名を入れてみたところ、プロ野球選手で’95にリーグ最多勝を獲得していると出ましたDJはミラッキ大村と。
スー)ハハップロレスラーのキューティーいやスージー鈴木でございました。うーんマンダム。
===終了===

★みにょん:「ヌートバーミュージック」洋楽と邦楽の狭間音楽の探求。”チャラい“題名に反し、邦楽と海外(欧米)の関わり音楽歴史を学ぶ回となった。欧米進出、日本CMマネーで海外有名ミュージシャンを起用したニセ洋楽。バブルマネー時期の逆カバー。洋楽がエライ!文化の上下価値観が前提だった。’00代以降洋楽コンプレックスなど無くなった転換点はDef Techだった。SUKIYAKIソングから60 年。音楽家には閉じないグローバルな音楽を作って欲しいというスージーさんの言葉は穏やかだが深く残る。

☆来週(4/17)《第2回音粋紅白「1983年の歌謡曲vs1993年のJポップ》
スージー鈴木選曲1983年の歌謡曲ミラッキ大村選曲1993年のJポップの対抗戦。勝敗はリスナーのメールfaxTwitterの投票で決まる。
☆番組特製サイン入りステッカー⇒シェア大賞デーンさん:なぞかけ大賞スザモンさん

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