ひとの人生を壊してもいいよ - 2回目の未来チャネリング① -
鎌倉リトリートを受けたのち、なぁなちゃんからメッセージをいただいた。
それから、まぁ起きた。
次から次へといろんなことが。
小悪魔みたいに楽しそうななぁなちゃんの笑顔が目に浮かんだ。
彼女が起こしたんじゃないかとしか思えないほどに、起きたイベントはメッセージとリンクし、リレーのように次のイベントが起こる。
リトリート中に言われたことも、メッセージで言われたことも、結局全部やる羽目になった。
そして、2回目の未来チャネリングを受ける流れが来て、乗ったのはつい先日のことだ。
前回言われたのは、降りてきた言葉を目の前のひとに伝える、ということだった。
なぁなちゃんは、わたしに「そんなに見えるのにもったいない」と言ってくれた。
わたしはただの器だけれど、言葉はわたしを選んで降りてくる、のかもしれない。
神様だか誰だか知らないが、わたしを選んでいる存在がいる。
だとするのならば、わたしは応えなくてはいけない。
そんな気持ちになる。
なぁなちゃんが言ってくれるまで、わたしは、知らなかった。
誰にでも言葉は降ってくるのだと思っていた。
それに、降りてくる言葉はただの妄想で、無力だと思っていた。
力を持っているなんて、知らなかった。
けれど、その反対側でこれが自分への嘘だと知っていた。
降りてくる言葉だけじゃなく、子どもの頃も、高校生のときも、大人になってもわたしは、浮いていた。
景色になじめている感じがしたことはなかった。
誰よりも、空気を読む。
けれどそのことこそ、浮いていることの証明なのだ。
ほんとうのところ、怖かった。
降ってきた言葉が、ひとのこころや人生、世界を壊すことが怖かった。
足下から崩れ去っていく。
こういうとうぬぼれていると思われるかもしれない。
けれど、こどもだったわたしは、結果を受け止めきれなかった。
目の前でくしゃっと崩れる表情とか、そのあとに逆上して真っ赤になって投げつけられる言葉とかに出会うたびに、どうしようもなく苦しくなった。
わたし自身の痛みもさることながら、そんな顔をわたしに晒させてしまったことにいたたまれないような気持ちになる。
知ってはいけないものを知ってしまった、罪悪感。
入ってはいけない領域に入ってしまっているわたしを誰も許してくれない。
これは、わたしを縛り付けて動けなくさせた。
もう、ひとが怖かった。
聞くのも、話すのも。
知るのも、知られるのも。
近づくのも、近づかれるのも。
好きになるのも、なられるのも。
自分の娘を産んだときですら、抱っこしていいのかなと思った。
なのに、愛さずにはいられない。
ひとの中にある闇や醜いものたちは、わたしの中にもある。
人がこわい、それは自分がこわいのと同義。
でも、お化け屋敷のように、ひとの昏さはわたしを惹きつける。
怖いけれど、ないと物足りない。
ひとを覗かずにはいられない。
くしゃっとひとが崩れる瞬間に、一瞬快感を覚えたことも思い出した。
芯を食った、その瞬間に「これだ、見つけた」と思うときの興奮と高揚感。
そのときの自分の顔は、どんなに醜いだろうという恐怖。
そんないろいろな感情と向き合い、でもやっぱり伝えようと思った。
間違ったら謝ってやり直せばいいのだ。
前回から今回までの間の約1ヶ月間。
その間に、降りてきた言葉を伝えたのは、4人に、のべ5回くらいだった。
喜んでいるひともいた。
ちょっと怖い、わかるかもしれないというひともいた。
そして、不安にのみ込まれて連絡が来なくなったひともいた。
覚悟していたから、それほどショックは受けなかった。
自分らしいとも思った。
けど、恐怖が ” 0 ” にはならなかった。
降りてくる言葉が凶器になりうる、という事実と、その凶器を持っているのが自分だということに変わりはなかった。
子どものころと違って、目の前の誰かが憎くて傷つけようとしたことなんて一回もなかった。
降りてきた言葉を伝えるリスクは重々承知している。
そんなリスクをきらいなひとに負うわけがない。
事前に同意をとり、言葉に自分が混じらないように慎重を期した。
それでもなお、傷つくひとはいて、わたしは退けられる。
ワークで、「思ったまま言うと、ひとの人生を破壊してしまう」と思い込んでいませんか、と言われる。
そうなのだ、確かにそう思っていたし、今もあった。
自覚して忘れたから、もうなくなったような気がしていたけれどそうじゃなかった。
この1ヶ月、たしかにビクビクしていた。
「ひとの人生を破壊してもいい」
わたしが言った言葉に、みんなが
「い〜よ〜」
と答えてくれる。
ほんとうに?
わたしはここにいていいんだろうか。
この言葉を降ろす能力は、呪いじゃないのか。
祝福になりうるのか。
「壊さないと新しい世界は造られないんですよ。」
目の前の天使が、伝えてくれた。
「破壊神だけど豊穣の女神でもある」
「嵐のあとって、水がきれいになるんだよね」
みんなが言ってくれた言葉たちが宝石みたいにきらめく。
…あれ?
これこそ、「降りてきた言葉」なんじゃない?
降りてきてすらいない。
だって、天使本人の言葉だもの。
天からの言葉で、こんなに幸せになれることもあるんだ。
わたしの今までの世界が壊れた。
しあわせ、かもしれない。
壊れてもしあわせだってことがある?本当に?
疑いながら、もうすでに、なんだか、満ち足りている。
実はこのことに気づいたのは、ワークが終わった翌日だった。
この文章を書こうと思って、録画を見直していて、わたしへの言葉を見直していて、「このひと天使だったわ、そう言えば。」と閃いた。
このひとを天使だと確信したのはわたしだった。
ていうことは、これって天使の言葉じゃんって思ったら笑えた。
「わたしは、人の人生を壊せば壊すほど、安心な世界が造られる!」
何度も唱えながら、安心どころかもう至福なんですけどと思った。
だって、天使が言うなら、そうなんだよ。
そう、わたしは蠍座で、そのテーマは「破壊と再生」なのだ。
まんまじゃないかと笑えてくる。
だとしたら、蠍座を代表して?、このまま壊し続けるしかない。
新しい世界に命が芽吹くのを信じて、倒れた誰かが立ち上がることを信じて、愛を持って破壊するしかない。
木っ端微塵に、衝動のままに。
だって、その向こうにある世界を見たいじゃないですか。
知ってしまったから。
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