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物語4 あなたの望みに愛を含んであげると、あなたに愛として返ってきます



自分の幸せや望みを実現しようと実践している方へ、望みを設定する際にあることに気をつけるとそれは大変素晴らしいツールと化してくれます。

今回はそれについての考え方をしおりさんを通してミカエルにチャネリングを行いました。

1.愛が自分の望みにあるかどうかを見極めて(設定して)いくとその結果、その循環としての愛があなたに返ってきます

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潤:自分の望みを実現できるために最も重要なことはなんでしょうか?

大天使ミカエル:(以降、「大天使ミカエル:」の記載を省略)
まず、望みが愛に基づいているものなのかが大切です。

人を押しのけて利己主義に走っているエゴからその望みが来ているのか、あなたの良き心、良心の泉からその欲求要望が沸き起こる者なのかを見極めることが大切です。


それが愛に基づくものであるならば、そのあなたの希望を実現させよう、叶えようとする、助け、仲間の力であったり、有益な助言であったり、そのようなものが必ず、神(※補足)から与えられるでしょう。

(※補足:ここでいっている「神」とはその人に関わる人や関わる物事などを通してその人の人生に働きかけられる後押しのようなパワーのことと解釈していただいて良いです。)



それらに素直に耳を傾けて行き、感謝して実践していけば、自ずとあなたの望むものは得られるでしょう。
その望みはあなた一人で完結するものではなく、必ず得ると同時に、与える、周りに、環境、周囲に循環する、得たものを自然に返せる。
愛を持った循環がそこで生まれてきます。


愛に基づいた望みであれば、それをあなたのところで止まっていくものではなく、必ずあなたは周りに与えたい、返したいという気持ちが自然と現れてくるはずです。


潤:(愛に基づいた計画であれば(愛の)循環の流れが発生していくことになりますね)


そうして美しい清らかな水の流れのように愛のある循環が生まれてきます。良心、愛に基づいた願いというのは、そういった大きな循環が生まれてきます。


あなたの望みがエゴ、私的な望みからくるものであるのか、喜び、愛に基づくものであるかを見極めるのはそういった愛の循環、流れが自然と沸き起こってくる、流れが起きるかどうかを自分でチェックできると思います。

潤:(愛の循環であるかどうか見極める方法は、観察者の視点に立って、自分が起こした行動の結果が愛のある循環であるように感じたのであれば、愛の循環であると判断して良いということですね)


そうして自分でそれをチェックしながら行動の指標にしていけばどのような望みであってもそれが個人的なもの、もしくは社会的なものであるか、それは望みの代償、貴賎によって大きなものが素晴らしいものであるとか、小さな望みが、劣るものである、そういった優劣、望みのランクは関係ありません。


例えば、世の中を良くしたいという大きな望みであれ、家庭の中の小さな望みといった、世の中と家庭で規模は違いますが、望みの優劣はそこにはないです。
絶えず、愛のある循環がそこに起きているかどうか。
そこが大切です。



潤:愛である循環が大切ということですね。
自分の望みがあったとしても、それが愛に基づくものであることが最も大切ということですね。



それは得るということだけではなく、与える、分かち合いたい、溢れる喜びを共有したい、分かち合いたいとか、独占とか独り占めしたいというような行動とは逆の、分け与えたり、共同して与えたいという行動が生まれてくるはずです。


愛に基づいているのであれば、独り占めしたいというような気持ちは起こらないはずである。
愛に基づいた望みであれば、独占したいという気持ちは起きないでしょう。


自然と自分がそれを得たら、周りにもお返ししたくなる、分け与えたり、喜びを分かち合いたい、という気持ちが自然に起こってくるはずである。
愛に基づいているのであれば。



潤:愛に基づいた望みというのは、具体的にはどのようなものがありますでしょうか?


その人によって望みは違ってくる。
シンプルだけど、おいしいお菓子があって、このケーキがとても美味しかったと、そしたらこれを大切な恋人にも食べさしてあげたいとか、


こんなにおいしいものを自分一人でだけ食べようではなくて、このおいしい、幸せという気持ちをあの人と、自分の愛する人と分けて、二人で一緒に幸せな気持ちになりたいとか、その人が何を大切に思っているか、


その人が今の現世で今の使命、自分が定めた課題、この世に生まれてきた課題によると思います。
例えば政治や社会、世の中を変える方向に、愛情を向ける人もいれば、前世では家庭内の愛を例えば愛情が薄かったので、今回生まれてきた時には家庭内の愛というものを知りたい、


というそれぞれの人の設定してきた課題があるので、幸せというのは生まれてきた一人一人の幸せの数だけあります。
ですから、幸せの形や、具体的な何に対して幸せを感じるのかはこの際、これ自体は問題ではない。


2.望みが家庭に及ぶ範囲、国家に及ぶ範囲であっても、それらの望みは宇宙的な視点で優劣はありません。

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それよりも今言ったように自らが求める幸せというものが愛に基づいた望みであるということが大切です。
ですから世の中に対して世の中を変えるような行動をしなければいけないとかそういった考えを持たない自分を卑下することはない。


その人の幸せを求める目線が宇宙や空に向けられている人、自分の足元に向けられている、それは関心を持つという意味です。
そういったその人の目標が遙か遠くを見ていたり、人によっては自分の手を


じっと見る、足をじっと見る人もいるかもしれない。で、それはどちらが、より遠くを見るのが尊い、ということではないです。
望みに優劣をつけるのはナンセンス。そこに向けた愛が大事。


より大きな高み、遠く、壮大な望みを求めると、それは権力にすり替わってしまう危険性がある。ヒトラーしかり。
愛や大きな望み、希望、大志を抱くということが、野暮、強大な権力を得たい、ということに簡単にすり替わってしまう。


その時点で、一見大きな崇高な望みで、当初あったとしても、卑しい、矮小な個人の私利私欲にまみれた望みに落ちてしまいます。
もうそれはすでに愛ではない。
そこに循環は生まれないし、単に一方的に奪うものになってしまう。


ですから望み自体が大きな遠く、国家であるとか、壮大な望みを持つ方が偉くて、家庭の幸せを望むのが小さな望みであるとか、そういった優劣はつけるべきではない、つけるのがナンセンスといったのはそういうことです。
ヒトラーのようにファシスト、わかりやすく、あれはもう大きな愛、望みではなく、彼個人のエゴに成り下がってしまう。


結局ヒトラーのような一見、国家を動かすとか、あれは壮大な出世ですけど、あれは個人的なもので、一見野望があるといっても、それは野暮である。
ヒトラーの望みは矮小であるということです。


3.自分の幸せを人に聞いていくものではなく、自分で自分の幸せについて考えるようにするプロセスが大事です。

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外界の情報をあえて遮断することの必要性があるということを皆気づいて実践しています。
いろいろな情報を得ても、最終的な判断は自分自身で下すものです、自分自身で答えを導き出すものです。


考えることを他者に預けて考えることを放棄してしまってはいけない、情報というものは解決するための手段ではあるが、それは本質ではない、本質は自らが考えて実践することにあります。


幸せをググったり、私(自分)の幸せってwikipediaで検索しても出てこないですよね。
今こうして地球上で肉体を持って生まれてきた、生まれて死ぬという生物、肉体、寿命を持った存在として、生まれてきていますよね。


だからこそ感じられる幸せ、それはやはり五感、肉体で感じられる五感、視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚、今その五感をセンサーとして、幸せの匂い、味わうとか、肌触りとか、精神的なもの、存在ではなくて、


肉体を持ってこの地球に存在しているということを意識して五感で幸せを感じ取る、訓練、感じ取るトレーニングをしていけばいいでしょう。
その五感の中の一つでも、例えば、とても心地よいこの音が好き、


気持ちいい音、好きな香り、気持ちの良い肌触り、その一つでもいい、一つから心地よさ、快感、幸せを感じる、五感を使ってその感覚、幸せ、快・不快を感じるのが一番根本的で、シンプルな幸せを感じ取れると思います。


頭で考える幸せではなく、そういった肉体、五感で幸せを感じ取ることを意識されてみてはどうですか。

潤:(ミカエルが言うには、幸せの具体例の答えをミカエルなど個人以外の他者から(たとえそれがサンプルであったとしても)答えを出してもらうのはナンセンスであり、

それは個人が自分のことをよく観察してきた結果、◯◯が自分の幸せであるという風に個人が自分の幸せがなんであるのかにたどり着くことが大事であるようです。

そのため、個人が自分で考えて、自分の幸せを理解できるための道のりへ、その人自身がたどり着くことへのプロセスを実践してもらうことが最も大事であるようです。
自分の幸せへ目指したという実績と経験を自分にさせるということです。)


肉体がない存在もある。
人間みたいな足とか手とか聴覚とか味覚とかがなくて、物質じゃなくて、形がないもの、肉体のない星の存在もいる。


まとめると、
①自分が持つ望みを実現するために大事なことは愛としての循環となるようにセッティングすること、そうすれば循環が起こり、あなた自身にも良いものが返っていくようになります。

②逆に望みに愛がないと、それは簡単に野望や権力にすり替わってしまい、あなた自身が愛のないシステム・仕組みに支配され、愛とは逆のものがあなたに返ってきてしまいます。

③自分が持つ望みが起こす最終的な結果には国に影響を及ぼすような大きいものであろうと、家庭という小さな規模で影響を及ぼすようなものであろうと、宇宙的な視点ではそれに優劣はありません。そのため、望みの規模が小さくとも自分を過小評価することはありません。


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