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ネ申への挑戦〜わらしべ拾者編〜


「最初に手にした物を大事に持って旅に出よ」──。仏から啓示を受けて歩き出した男は、道端で躓き、藁(わらしべ)を偶然手に掴む。

道すがら、顔の周りをうるさく飛び回るアブを捕らえ、藁に括りつけて(なんで?)(どうやって?)更に行くと、男はある母子連れに出会う。

子どもは男の持つアブ付きの藁を泣いて欲しがり(なんで〜?)、母親は藁と蜜柑(なんでなんで〜?)の交換を申し出る。

こうして始まった物々交換は、蜜柑から布、布から馬、馬から田(あるいは屋敷)と”なんで?”なトントン拍子を繰り返し、男は豊かな生活を手にする。

以上が、古来より日本に伝わるおとぎ話『わらしべ長者』のあらすじだ。

アブを藁に括りつける奇行を特段咎められる事もなく、男は成り上がっていく。男が布を交換した商人に「これはアブを括りつけた藁と交換した蜜柑なんだお(笑)ぶ〜ん(笑)」などと正直に語ったかどうかは定かではないが、奇特な人々の厚意を味方につけ、キモさによる障壁を跳ね除けて男は成功する。数あるおとぎ話の中でも珍しい、ただただ都合が良いだけのキモメンサクセスストーリーである。

現実世界には、アブが結びつけられた藁(キモすぎる、あり得ない)を蜜柑(甘いね、おいちいね)とわざわざ交換してくれるような人間は存在しない。では、「奇特な人」という要素なしで長者の座へと辿り着くことは可能か。本記事では、それを検証していく。


偶然を愛している。

たまたま目に入った看板、路上の落書き、公園の遊具、植物、動物、ゴミ、オブジェ──あらゆるものを見立て、冷やかし、斜めから見、面白がりながら歩く。ここ数年、何より時間を注いでいる趣味だ。

どんなに変哲のない場所にも、面白は隠れている。毎日のような歩く道でさえ、未知に満ちている。ただ、それらは見つけようと思ってもそう見つけられるものではない。どんな時も、1%の観察力と99%の偶然が路上の面白を浮かび上がらせるのである。

そういう意味では、今回の企画は普段の散歩や路上観察と趣を異にするものになる。いつものようにただ流されるままに漂い偶然を掬い上げるのではない。明確な目的──長者への成り上がり──を目指し、不自然をたぐり寄せる。

偶然を愛している。
だからこそ、愛すべき偶然に正面から挑むことにした。

2022年年末、これは神への挑戦である。


【ルール】
落とし物を拾いながら道を歩いていく。次の落とし物を発見したら、その質にかかわらず必ず手持ちの物を手放し、新しい方を拾う。明らかなゴミ(空き缶、食品の殻、ゴミ捨て場にある物など)は落とし物として扱わない。ストックは不可で、手持ちの1つのみを交換し続けて長者へと成り上がったら終了。


スタート地点は新宿駅。どう転んでも藁は掴めそうにない。わらしべ長者に真っ向から挑む企画にはうってつけのスタートというわけだ。

開始から約10分、狙い通り藁とは似ても似つかない落とし物に遭遇する。

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