GPPのどうでもいい音楽略歴
ハーイ
みなさん、ご機嫌いかが?
あら、二郎混んでるなら野郎ラーメンに行けばいいじゃない 貴族のお漫〜才 ルネッサーンス
マリーアンコ食べっぞなGPPです 貴族です
にしても肥厚性鼻炎が治らん 鼻痛い
多分、タバコのせいだね 化学物質の刺激が原因らしいからさ あー、やんなっちゃう
てか、みんなこのブログ意外と読んでんのね
びっくりするよ ありがとうございます
そんなことは置いて寝かせておいてですね…
今回はタイトルをご覧頂いてお分かりの通り深刻なネタ切れです ネタ募集してます
そしてこの度は自慰行為みたいなブログに仕上がりましたこと深くお詫び申し上げます
と言うのも、今回は僕と言う人間"GPP"がどんな音楽を聴いてきたのかを、ただひたすら書いていくだけなのです つまらないでしょ?
でも、飛行機の出発時間待ってる間とかに読むには丁度良いと思うので僕と言う人間を知ってください はい、意味わかんないでしょ?
だけど、これが世の中よ じゃあ、スタート
「全ての始まりはラジオ」
小学生の頃は吃音症や運動神経のなさ、家庭が複雑だったせいで、低学年の頃はイジメられてまして学校に行きたくなかった日々でした
高学年になるとそれが落ち着き始めるも、そのイジメを引きずって内向的な性格になり基本は喋らないヤツへと変貌した僕に唯一の親友が出来ました 峯岸ってヤツで家が近所でよくゲームキューブをやりに行ったり、漫画を読みに行ったりしていた そこである日、彼からFMラジオを勧められた 当時はRadikoなんて便利なモノはなくてラジカセでラジオをアンテナ伸ばして聴いていた まあ、今はもっぱらAMラジオジャンキーなんで月から金まで深夜ラジオ 深夜の馬鹿力最高! と話は逸れたが、彼は普段は聴かないラジオを気分でたまたま聴いたところハマったらしくて、僕にTOKYO FMの月〜木の帯番組「SCHOOL OF LOCK」を教えてくれた 10代のリスナーに向けたラジオの学校をテーマとした2時間番組
当時のパーソナリティーは俳優の山崎樹範とお笑いコンビ・カリカと家城啓之
彼らが校長と教頭役に扮してリスナーからのメールを読んだりコーナーを仕切るスタイルで今考えるとマジでつまんないし、子供騙しで何故聴いていたのか疑問なラジオ番組だったけど当時のGPP少年はコレに夢中になり毎日必ず時間前にラジカセの前に座ってスタンバる生活を中2まで続けた "本当の学校はコレだ!"と言わんばかりの信者っぷりを見せていて、僕の唯一の居場所だったに違いない そこで、あるバンドに出会うこととなる それが「9mm Parabellum Bullet」である この番組で講師と言う役回りでレギュラーコーナーを持っていた彼らの音楽を聴いてビビビッときたのだ "ギター回し"とか"デスボイス"、MVではドラマーが最後叩き終えて後ろにひっくり返ったりする様が新鮮だった 本当に消し去りたい過去 今はハッキリ言ってダサいので絶対に聴けないけど、中学生の僕には"テレビに出ないアーティスト"に対する強い執着心と2000年代中頃にインディーズシーンで流行った残響系の影響でこのバンドをきっかけに日本のロックバンドに夢中になる
「エモと言う音楽に出会う」
そして、時期は高校受験を迎えて大した高校受けない癖に塾に通い始めた頃に洋楽の扉を開けることになる
それが"エモ"と言うロックのサブジャンルだ
今はエモいなんて言葉が日常会話で平気で使われるけど使い方は間違っていて、本来は音楽のジャンルのことをさす
感情的なメロディーにスピード感のあるリズム隊、洋楽なのに邦楽的な曲構成が特徴で代表的なバンドはJimmy Eat WorldやParamore、My Chemical Romance、SUM41
これらのアメリカの大学生あたりがフェスでモッシュしてそうなバンドの虜となった
きっかけはFACTやPTPと言った今は亡き、日本のジャパニーズラウドロックの流れで少ないお小遣いを貯めてCDを買い、ipodに取り込むのが至福のひとときだった
「僕の神様、Foo Fighters」
そんなエモい受験期を終えて、私立の高校へ進学したあたりでFFに出会う ファイナルファンタジーではない Foo Fightersだ
元Nirvanaのドラマー・Dave Grohl率いるアメリカの中堅ハードロックバンドだ
このバンドは僕にとってこれ以上でも以下でもない神様のような存在だ それは今も変わってない 後にHipHopヒーローのLupe Fiascoとか出てくるけど、ヒーロー具合が段違い
そもそも高校時代は一番の暗黒期で中学生活を遥かに越すのだが、友達を作ろうと必死でやりもしないバドミントン部に入部するも高1の夏で退部してからは地獄度が加速
クラスではトイレに行くフリをして、エアウ●コカマして教室戻ったら自分の席を女子に占領されてるなどは日常茶飯事であり、勝手にお昼の弁当をいつのまにかロンブーの淳みたいなノリの帰宅部のカスどもに食われてたりと色々悲惨でした 登下校は1人がマストでいかに早く家に帰れるかの自己ベスト更新を狙ってた10代
そんな中、ある休みの日に家でゴロゴロしながらWOWOWを見ていたら「洋楽主義」と言う洋楽アーティストを特集する音楽番組がOAされていた その時、たまたま特集されていたのがFFで彼らのMVを見てからずっとFF中毒 Dave依存症
そして、ここから楽器やバンドに手を出すことになる
「ドラムを始めてみる」
Foo Fightersに魅せられて、"俺もバンドがやりたい!"と溢れんばかりの思いが弾け飛んだので何か楽器をやろうと考えまして、父親から譲り受けたエレアコでギターの練習を始める
が、しかし これが壊滅的にセンスがない
ましてや教則本なんてクソみたいな本を買ってしまって「まずは開放弦を鳴らしてみよう!」なんて見出しに嫌気がさしてきて、すぐに諦めた "俺はDaveにはなれないのか…"
ただ、どうしてもバンドをやることを諦めきれずにいたので他のパートを選んでみることにしたわけです ベースは弦楽器なんで、同じ鉄は二度踏みたくない でも、ボーカルって柄じゃない
そこでドラムにしてみたら、案外出来ることに気が付いてスティック2本だけでモリモリ練習していくことになります
「90年代=音楽」
"叩けば音は鳴るし、シンプルな8ビートさえ叩けてしまえば後はリズムキープの練習をするだけ!"と甘っちょろい考えで色んなロックの曲をカバーしようと試みる
その中で90年代のロックを洋邦問わずコピーしていくうちに「音楽は90年代」脳になっていく
Nirvanaはもちろん、Oasis等のブリットポップからTMGEにBJCなどの日本のロックに狂わされた 聴き狂いました コピーは下手くそでとても聴かせられるレベルじゃないんだけど、とにかく一曲やり切ることの達成感がたまらなかった ここらへんからリハスタ通いが始まる
「Applause For Clydeを結成」
そして、いざバンドをメン募サイトで集めてやってみるとどれも上手くはいかず解散を繰り返した 解散と言うか、ほぼ自然消滅
だけど、唯一長続きしたバンドが1つだけあって それがApplause For Clydeってバンド
バンド名の由来はボニーとクライドと言うロックではよく引用される有名な犯罪者のクラウドをApplause(称賛する)する奴らと言う意味
全員別々の高校で休みの日に集まって、リハスタで練習してライブする日々を送ることになる
ただ、このバンドが特殊で相当鍛え上げられた
まず、90年代以降の音楽の話が通じない
60s〜80sのガレージロックやHRをこよなす愛しており、Rock 'n' Rollの精神論を叩き込まれた 同じ17歳なのに知識量は桁違いで特にギターの2人が拘りの塊で難癖あった
・ギターはアン直(アンプ直結)
・アンチ邦楽ロック
・DTM完全否定派
・作曲はカッコいいギターリフを探すことから
・見た目も大事で革ジャンやアイメイク大好き
それまで90年代=音楽だった俺からするに衝撃的な出会いで彼らの話に追いつく為にたくさんのロックやブルースを聴き漁った
The Rolling StonesからRAMONES、The Jam、CREAM、RCサクセション、村八分と言ってたらキリがない そんな濃厚な高2を送った
どうせ、みんなはこの頃文化祭で焼きそばとか作ってワイワイしてたんだろ?
気が付いてないと思うから言うけど、君、そういう顔してるよ
「ついにHipHopを聴き始める」
このApplause For Clydeと言うバンドはロックがどうのこうのとか抜かしておきながら、ちゃーーーんと受験期になったら解散しました
それで僕は専門学校に行くことを決めていたので秋口から急に暇になりまして困っていた
まあ、暇だと音楽をDigる傾向が昔からあったので自然とディスクユニオンにいる時間が増えていった そこで家にいる時に90年代の音楽をまた聴き直そうとHMVの名盤紹介のサイトを閲覧していたら、全く未知のカテゴリーに出会う
それが日本語ラップ Japanese HipHopだ
宇多田ヒカルやナンバガ、くるりあたりは分かるのに、このジャンルだけ見たことないジャケだらけだった 新感覚だったね
早速聴いてみることにした しかも、一番最初のチョイスがTBH THA BLUE HERBだった
選んだのは1stアルバムの「STILLING,STILL DREAMING」、完全にジャケ買い "メンバー誰1人ジャケに写ってねえのカッケェ"ってだけだった そんな安易な考えで家のミニコンポにCDをセットし、再生してみたら…死んだ
意味不明 18の僕からしたらお経に近かった
全く心が動かず、眠くなり半分だけ聴いて途中で停止ボタンを押してしまった
それに比べてRHYMESTARやスチャダラパーあたりは聴きやすくてそこからFGにもすんなりイケた しかし、今ではTBHが一番大好きな日本語ラップのグループだし信者に近い もう、彼ら以上のHipHopクルーは出てこないと思う そう思えるのも大人になったからなのかな
んで、ここから全年代の日本語ラップと主要なUSのHipHopを派生で漁っていくことになる
後悔してんだろ? こんなブログ読んでることに
でも、ここまで読んでんならお前の負け
「Lupe FiascoとJ Cole」
Eminemや2Pac、Jay-Z、ATCQなどを聴いては首を振るようになっていた高3卒業間近
特に学校に思い出もなく、卒アルの後ろの寄せ書きを書けるページも最終的には真っ白だったけど、僕の頭のHipHopキャンパスノートにある人物たちが描かれていく
それがLupe FiascoとJ Cole
僕にとっての2大ラッパーでありスターたちだ
知ったきっかけはまさかのYahoo!知恵袋だった
18歳の僕は情弱だったので、何でもかんでも知恵袋が正解を教えてくれると思っていた
そこで、こんな質問をしてみた
「不良じゃないラッパーが知りたいです」
何故、こんな質問をしたかと言うと当時のHipHopシーンはサウスと言ったTrapの源流とも言えるジャンルの名残があってメインストリームはギャングスタラップ原点回帰の流れが主でそれに自分とのギャップを感じていた
なんともバカっぽいクソ質問だけど、これに対しての回答が以下だった
「Lupe FiascoとJ Coleがそれに当たるかな あとは貴様で調べろ」
知恵袋特有の上から目線アンサー
確かに調べてみると、Lupeは空手の有段者で親日家な上にリリックもリリシズムを感じる
J ColeはNBAのプロバスケ選手を目指していたが、挫折をしてHipHopに打ち込んで成功したスポーツマンタイプ 不良じゃなかった
これをキッカケに2人の楽曲を聴きまくり、アルバムやシングルを集めていくことになる
今となってはHipHop全年代を含めて、2トップで大好きなラッパーだ
「専門へ進学し、例のS君に出会う」
そして、音響の勉強をする為に専門学校へ進学
高校生の時の思いつきで「俺は将来、レコーディングエンジニアかツアーPAになる!」と意気込んで気合い充分で入学した
そこで、出会ったのがこのブログでも過去に紹介した六角精児ソックリのS君 何のこっちゃ分からない方は遡って記事を読め
そういうところだぞ
同じクラスで僕と同じく無精で無頓着でだらしないヤツだったけど、ズボラレベルは桁違い
ただ、たった一個上なのに音楽知識もレベルが桁違い 先に言うと彼は一年間だけ勉強して、中退してしまう しかし、実は僕にとってこの一年間がかなり重要でRockとHipHop以外の音楽を彼からたくさん吸収した
上から目線で自分の話ばかりではあったけど、Jazzから渋谷系・City Popにダブステップ、プログレに歌謡曲からアイドルまで何でも知っていてリコメンドされたモノは何でも聴いた
アイドルに興味を持ち出したのも彼の影響だ
そして、一番デカかったのはハード(機材)やDAWの魅力を教えてもらったことだ
808とかMPCを知ったのもこの時
それまで音楽はパソコンで作らず、セッションして作っていくモノと思い込んでいたし宅録文化をDisっていた だけど、彼がそのイメージを払拭してくれたおかげで僕の今がある
最初は「俺よりも音楽詳しいヤツがいるんだ」と相当落ち込んだし「こんな性格クソなヤツも初めてだ」と頭を抱えたけど、今となっちゃ良い思い出だ
「Rapを始める」
僕は専門学校を卒業して、テレビ番組の映像編集や音響に携わるスタジオワークの仕事に就く
担当したのはナレーション録りやBGM、効果音を当てはめて、最終的にはミックスをするMAと言う部門のアシスタント
しかし、現実は辛いもので二徹は当たり前の超絶ブラックな世界ですぐに身体を壊して辞めてしまった そこから転職期間に入るんだけど、そこで「時間のある仕事をして、バンドをまた組みたい!」と言った感情に無性に襲われる
まあ、そうなると何のパートでバンドに参加するか考えますわな
ハッキリ言ってドラムは頭になかった
やっぱりブランクもあったし、またやるとなると面倒だったので除外
じゃあ、どうするかなと悩んでいたところにある曲と出会った
それはOKAMOTO'Sの「90s TOKYO BOYS」
僕は以前から"ガレージロック"の1つとしているOKAMOTO'Sを聴いていたのだが、その彼らがロックじゃないモノに挑戦していた
あのミックジャガーのモノマネみたいなオカモトショウがRapをやっていたのだ
その時、「あ、ラップなら面白そう お金もかからないしバンドでやったら尚良い」と思いついた さらにその時期はNeo City Popのブームが旋風を巻き起こしていて、SuchmosやNulbrich、ceroなどオシャレさを重視したモッシュとはかけ離れたバンドがジワジワきていた
そのせいもあってか、より韻シストみたいな形でラップとバンドで音楽をやりたいと思うようになりメン募サイトでGtやBa、Drを募集した
そこで、コンタクトを取ってきたのが今のjamjama(PABLO)だ 彼はその当時、ビートも作ってなければHipHopに無知なベーシストだった
アシッドジャズが好きでJamiroquaiのコピーとかをやろう!ってところから始まった
そして、他のメンバーも集まりSo What And Creamの結成に至ります
まあ、こんな感じで僕の音楽人生でした
深刻なネタ切れから生まれたブログだったけど、たまには良いでしょ?こう言うのも
僕のことよく分かってない人も、これで少しは素性が明かされたことであろう
そんで、バンド・SWACのライブも12/8にあるので良かったら来てみて
僕にも会えます 会ったところでただの
素人童貞だけどね
でまだまだこれからも音楽たくさん聴いていくし作っていくので、そこのところよろしく
やばい!鳥貴族のバイトの時間だ!バーイ
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