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The Origins of Family Medicine

ここでは家庭医療の歴史について紹介する。と言っても、以下のテキストの抜粋である。テキストはカナダのWestern Universityの著者らによって書かれているので、北米における歴史が中心である。

McWhinney, I. and Freeman, T., 2016. Mcwhinney's Textbook Of Family Medicine. Oxford: Oxford University Press.

しかし、この流れをみることで、家庭医療がどのように生まれてきたのか、何のために生まれてきたのかが見てとれる。同時に、家庭医療において何を外してはいけないかも見てとれるようになる。というのも、家庭医療の歴史は、医療において失われたものを取り戻すための歴史とも言えるからである。その失われたものへの焦点がずれてしまえば、それはもはや家庭医療ではないのかもしれない。

McMemo1:医療には大きな変化が起きているが、それは歴史を辿ることでようやく理解できるようになる。なぜ家庭医療が生まれたのか(これは言い方を変えれば「なぜ必要になったのか」)について理解するには、歴史を知ることが不可欠となる。

McMemo2:社会が変化し、専門分化が起こり、新しいパターンのillnessが生まれたことによって、社会は新しいタイプの医師が必要になった。科学はこれまでの諸問題の様々な分野に新しい洞察を与えてくれた。そして、既存のdiscipline(ここでは科目とほぼ同意)は、家庭医療によって対処される問題を扱わない(問題と見做さない)ようになっていった。社会が過去の形から変化したからこそ、家庭医療によって対処される問題が今重要性を増していると言える。以前大きな問題だったことは今はそうでなくなり、以前大きな問題ではなかったことが今は問題なのである。

McMemo3:人間社会が狩猟から農耕を中心に生活するようになり、疾病構造は変化した。また、都市型の生活が広がるにつれて、コレラ、麻疹、水痘などが集団発生し、集団の健康や寿命に影響するようになった。これが最初のepidemiological transitionである。主要な感染症のコントロールに成功を納めると、今度は新しいパターンの疾病に対処が必要になった。慢性疾患、発達障害、行動障害、事故、その他の感染症などである。小児や成人の死亡率が低下することによって、高齢者の割合が社会の中で増えるようになった。かつての命に関わるような疾病は、死亡するか回復するか数週間で決着がつくものだった。一方今日の臨床家は、そうした状況に対処するという場合より、慢性疾患や障害を有する患者が環境との間に新しい動的平衡を構築することを支援する、という役割を期待される状況が多い(これは疫学的頻度の観点)。

McMemo4:慢性疾患に対してアプローチするには、患者自身とそれを取り巻く環境を理解することが不可欠である。医師が遭遇する状況の多くは、身体的あるいは行動的な要因が複雑に絡み合っており、身体疾患と精神疾患を分離するような従来の対処方法は非現実的となった。予防医療の役割も変わっていった。ある意味、現在は公衆衛生の時代から、個人の健康の時代に変わりつつある。新しいルールを設けて集団をコントロールするというより、喫煙、家族計画、予防接種などの数多ある個人の意思決定に影響していく教育者としての役割が、医師にとってより重要となってきている。このような医師の役割の変化は、epidemiological transitionによって生じるものであり、主に先進国で顕著である。つまり、国によって家庭医に求められる役割にはある程度の違いがあることになる。

McMemo5:我々が知る診療科が興ってきたのは19世紀からであり、その前は様々なhealerが問題に対処していた。医師はhealerのなかのわずかな割合を占めていたに過ぎない。17世紀から18世紀にかけては、いくつかしかない大学で教育を受けた少数のエリートだけが臨床医であった。こうした臨床医は都市部で富裕層や有力者に対応しており、手術をしたり薬を処方したりすることはなく、貧困層や田舎の人々に対応していた職人や商人と連携することもなかった。この徒弟制度のもとで活動していた職人がのちの外科医であり、商人が薬を処方するようになる薬屋にあたり、次第とmedical practitonerの役割を担うようになっていった。

McMemo6:ヨーロッパの医学校から北米にトレーニングを受けた医師が渡ったが、医療ニーズに応えられる数ではなかった。Philadelphiaに医学校ができたのが1760年代である*。18世紀のVirginiaでは9人のうち1人だけがトレーニングを受けた医師だった。こうした巨大な医療需要にこたえるために、医師としてのトレーニングを受けていようがいまいが、職人も商人もgeneral practitionerとして活動した。つまり、18世紀の北米においてgeneral practitionerという集団が発生したことになる。

*John Morganが興したUniversity of Pennsylvania School of Medicineのことと思われる

McMemo7:UKでも同様のことが起きた。予防接種を発見したEdward JennerはEnglandの外科医だった。19世紀には外科医のトレーニングに徒弟制度と病院実習が加わるようになった。一方の薬剤師もUKの社会運動の中で、解剖、生理学、臨床、薬学を学び認証を受けるようになった。こうした動きを経て、医師としての認証のあり方も変化し、外科(職人の流れ)と薬剤師(商人の流れ)としての二つの資格を修めることが慣例となり、ここに助産学が加わり、卒業後は医業、外科、助産を行うことができるようになった。つまり、general practitionerは18世紀の北米で生まれ、その後19世紀初頭にLancetの中で初めて"general practitioner"という用語が使われるようになった。

McMemo8:こうした歴史は今日の専門分野としての医療のあり方と無関係ではない。二つの教訓を留意しておきたい。

1. もしある専門分野が公共のニーズに応えることができていなかった場合、社会はそのニーズを埋める何らかの道を見つけようとする。必要があればその専門分野の外部のグループに解決を求めることになる。

*当初の医師という集団は公共のニーズに応えることができていなかったために、社会は職人(のちの外科医)と商人(のちの薬剤師)にそのニーズへの対応を求めたことを指す

2. 専門分野は社会からの圧力に応じて発展する。それは時に専門分野内部のメンバーとの間にコンフリクトを生むことになる。

*当初医師は外科的なことも処方することもしないと主張しており、最終的な変化は当初の意向と異なるものとなったことを指す

McMemo9:19世紀はgeneral practitionerの時代だった。しかし、19世紀の終わり頃に専門科が生まれ始める。1889年のJohns Hopkins大学の設立が北米の医学発展の礎となった。設立者であるOsler、Halsted、Hurd、Welch、Kellyは医学教育を科学的基盤に基づいたものに変えることを目指した。ここからが専門科の時代の始まりである。医学教育は専門科によって担われるようになっていった。専門科の権威は高まり、手技や研究が患者の個別ケアよりも高い価値をもつようになり、general practitionerというキャリアも不人気となった。

McMemo10:専門分化とテクノロジーへの傾倒は、深刻な結果を招いた。患者医師関係の悪化である。Flexnerは1930年に医学教育を再構築した際に、失われたものがあることに気が付いた。彼は自らの書である"Universities, American, English and German"において、「科学的な医学はかつての柔軟な判断や広い教養を犠牲にしてしまう懸念がある」と記している。こうしたケアや医学の個人的な側面への無関心は、現在の医療過誤訴訟の増加、テクノロジーへの不信という形で現れている。この先に新しいgeneralistの必要性が生まれた。しかし、それは単に「専門的なトレーニングを積んでいない」という旧世代のものとは一線を画するものである必要があった(この「一線を画するものとして存在する」ための知の集合が家庭医療をdisciplineたらしめていることになる)。

McMemo11:行動科学と社会科学は医学のあり方に大きな影響を与えた。これらは医師に医師患者関係、家族関係、病体験についての視点をもたらし、医師が健康観、疾患、病体験、医師の役割、倫理などについて考えるきっかけを与えた。新しい知は、それを習得した臨床家が実践にとり入れそれを広めることで、新しい通常診療のあり方として統合される。患者中心の医療の方法を実践するジェネラリストとして、家庭医はこの統合を主導するキープレイヤーとなる。

McMemo12:病院の役割も変化した。入院医療は高額であるため入院基準は厳格になっていった。急性期病院は高度な技術と専門性が必要な患者にのみ入院医療を提供するようなり、そのような外来医療は専門クリニックによって提供されるようになった。様々な問題を長期間抱えている患者にとって、病院は満足のいくケアを提供してくれる場所ではなくなった。大きな組織は断片的なケアを避けられず、すぐ人が変わってしまう。統合された、個人に特化した医療を提供する要素と、反対の要素が集まっている。

McMemo13:情報はインターネットで容易に取得できるようになり、意思決定の主体は専門家や政府から個人へと移行した。しかし、これには欠点もある。インターネットの情報は質も正確性もまばらで、これらを統合して複雑なヘルスケアシステムの中で個人が行動することは、難しいことであった。いわゆるかかりつけ医をもつことは、こうした背景のなかで重要性を増していった。そして、医学的知識を、個人の環境や価値観に合わせて適切に統合できる、信頼のできる専門家のニーズが高まった。

McMemo14:前述の変化は、ヘルスケアがよりコミュニティの中で提供されるという変化につながった。臨床医の教育はこうした変化に連動するため、教育の場は患者や家族が住み、働いている場所に近く、長期的なケアが提供されるプライマリ・ケアの現場に移されていった。

McMemo15:アメリカでは、family medicineが新しい知識体系をもった科目であることを表現するために、かつて使われていたgeneral practiceという用語を変更した。これには副作用もあった。実際のところ、経験あるgeneral practitioner は新しい分野の医師であるfamily physician に期待される模範的なケアを提供していた。従って、この違いを説明することには困難が伴った。また、既存のgeneral practitioner は、自分たちが「質の低いケアを提供している」かのように感じるこの名称変更を、面白くは思わなかった。

McMemo16:discipline*に関する認識論的な基盤は、その分野の中で重要な問題は何か、それを扱うために必要な知識は何か、ということについてdiscipline内のメンバー間で合意があることである。臨床分野(clinical discipline)においては、共通の臨床問題が経験されること、合意された診療方法がとられること、合意された研究アジェンダがあることが要件となる。そして、真に独立したdisciplineには、そのdiscipline内でしか扱えないresearch questionがなければならない。Kuhn (1970) は、前述のような合意について、disciplineが発達していく過程のどこかで対立が生じるものであると述べている。

*discipline: an area of knowledge; a subject that people study or are taught

McMemo17:医学においてdisciplineの区分けが、認識論によってではなく、管理上の都合や政治的な意味合いで行われることは珍しくない。

McMemo18:歴史を辿って考えれば、family medicineは内科の一部門として発達していく余地もあった。そうならなかった理由は、認識論的なものではなく、歴史的・行政的なものである。20世紀初頭までに、internistは子どもを診なくなり、gynecologyもやらなくなった。このころに世界中で内科の分化が進んでいった。1950年代ころまで、family medicineがdisciplineとして発展しはじめるころ、内科はfamily medicineが重要とする問題を扱わなくなった。この時内科は臨床的観察、行動科学的な研究、集団に関する研究よりも、基礎研究に焦点を移していた。しかし、ここで扱われなくなった問題が生じたからこそ、family medicineがそれを扱う適切なdisciplineであるという立場を確立したとも言える。

McMemo19:1950年代から家庭医療研究は盛んになった。その中でも、医療の理論と診療に特異な形で貢献したのは次のような点である。

・病体験という個人的な体験を重視すべきことを訴えたこと
・健康や病体験において、contextが果たす役割に着目したこと
・医療をテクノロジーや機械的なアプローチから、humanityに基づくアプローチへ導こうとしたこと
・社会の中で十分なケアを受けられていない人々に注目したこと
・cureという理想的なゴールにだけ学術的な関心が集まる中、家庭医療の中で生まれるhealingについて概念化したこと
・患者中心の医療の方法を確立し、そのアウトカム、教育方法を探究し、他のdisciplineでも適用されるまで洗練させたこと

さて、ここまで家庭医療の歴史を一気に紐解いていった。この流れから分かるように、家庭医療をdisciplineにしている要素に

患者個人の要素である背景や価値観をケアに統合させる

というものがあることになる。

したがって、この部分を伴わない内科的診療も、小児科的診療も、整形外科的診療も、家庭医療のdisciplineを体現していることにはならないのではないか。

幅広い健康問題を扱うこと、すなわちcomprehensivenessは、access to careやresource allocationの観点から重要な要素である。しかし、それはepistemologicalというよりは、administrativeな観点なのだと思う。

ここで患者中心性、というInstitute of Medicineが提唱する医療の質の6つの目標のうちの1つが大きくクローズアップされてくることになる。ここの部分はのちに詳細に記したいと思う。

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