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たかが家族

ドランの「たかが世界の終わり」をはじめて観た時、こんなに閉塞感が凄まじくて鬱々とした家族が海外にもあるんだなと驚いた。海外の家庭はみんなもれなくフルハウス(例えが古い)みたいに陽気で笑いに溢れたものだと思っていたから。

家族というものは本当に不思議で、たとえ家族写真の顔を黒マジックで塗りつぶすほど憎くても、壮絶な喧嘩をしたあとに母子手帳を送りつけられて幼少期のアルバムを捨てられても、ある程度時間が経ってしまえばお互い涼しい顔をして接したりすることができる。

アルバムをすべて捨ててやると母に言われたとき、わたしは黒いマジックで顔が塗り潰された祖母の写真も無かったことになるのならそれで良いと思った。幼少期の自分と永遠に会えなくなるよりずっと良い。何気なくめくったアルバムに映った祖母の顔が塗り潰されているのを見つけてしまったとき、あぁもうこの家は無理かもしれないなとどこか心の中で諦めがついた気がする。しかしそんなわたしも大概で、退っ引きならない事情があり親に懇願して現在お金を借りている。共依存とはまさにこのこと。早く自立してぇ〜
家族のいざこざ全部抱え込む宿命、一人っ子って無理ゲーすぎませんか?

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