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 昨日、福岡のジャニショに行った。
 このご時世なので、外から石を投げられたらどうしようと思ったが世紀末ではないのでそんなことはなかったし、オタク大集合空間でありがちな大声で悪口を言うオタクに遭遇することもなかった。←人間を信じなさすぎの人?
 オンラインでは理性が働いて買いすぎることはそんなにないが、実店舗に行ったら長きにわたる金欠で抑制されていた物欲が爆発してオンラインでは見たことない額になってガチでこれ(画像参照)になった。

ハリウッドザコシショウによる、誇張しすぎた福山雅治。飛び出た目のサングラスのようなおもちゃを目元に装着している。
ハリウッドザコシショウによる、誇張しすぎた福山雅治。

クソ長いレシートが出てきて嬉しかったし、写真を一枚一枚確認されているときはかなり気まずかった。オタクのあるあるを経験できて楽しかったです。(小学生の日記)

 アイドルのオタクでない人生の方が長いので(それはそう)(そうじゃない人もいるだろう)、応援している対象に気兼ねなくキャーと言えることってありがたいなとたまに思う。文字通り「キャー」と歓声をあげること、の意味でもあるが、対象を観測した際に生じた好意的な感情をそのまま表現しても咎められないことや、それが社会的倫理的に逸脱していない限り概ね肯定されること、が今思い浮かぶ表現では1番近い。あまり使いたくないことばの方が上手く表現できそうで、嫌。
 アイドルというシステムやアイドルにキャーと言うことの是非についてはここで語るつもりはないけど、これまではキャーと言うことが良しとされない対象を応援していたし、キャーと言う人が現れるたびにいわゆる「学級会」のような雰囲気になっていた。そのため、キャーと言うことを自分の中で禁じたり、キャーと言うことを悪とする価値観を内面化したりしていた。それも悪いことではないし、アイドル的な眼差しを向けられることを想定していない対象にはそうしないことが求められるのだが、私がキャーを封じ込めるとき、それは対象そのものを尊重しているというよりはファンダムの雰囲気を過度に意識しているフシがあり、「この罪悪感はなんだろう」「私は何と戦っているのだろう」と虚しくなることがあった。アイドルを応援するようになってからそれが解放されて、ちょっと楽になった気がする。人生のうち長きに渡って意識的にも無意識にも避けたり封じ込めたりしていた行為によって救われる心の部分もあるのだ。

 ファンによる欲望剥き出し消費行動を前述したのと同じ口でこんなことを言っても説得力はないのだが、私は「オタク」「推し活」「アイドル(をはじめとする「推される」対象)を応援すること」がやたら消費活動と結びつけられることに懐疑的である。この日記ではよく「推し活」の是非に対する意見を書いているのでハイハイと思われるかもしれないけど、昨今の状況で議論が「推し活批判」にズレてきていることで再燃してしまった。
 消費活動と結びつけられる「それ」はメディアの「推し活特集」などによってわかりやすく切り取られたもので、大半のオタクは「推し活」をしているつもりはないだろう、というのが私の意見である。むろん私もそうで、私がオタクなのは、物事に対して熱しやすく冷めにくい、収集癖、凝り性、文字を読むのが好き、好奇心旺盛などの性質によるもので、なろうと思ってなったわけではない。好きなアイドルのことも「推しを探そう」と思って推しているわけではなく、雷に打たれたような衝撃を受けて「知りたい!」という思いが止められなくなったため、転がるように好きになった。
 私にとって「応援」とは気持ちの話で、グッズや写真を買うのは収集癖、雑誌を買うのは「この人(グループ)のことをもっと知りたい」「いつもと違うメイクを施され、いつもと違う服を纏ったこの人が見たい」という好奇心である。好きなアイドルがコマーシャルなどに起用されたら「推しは影響力がある存在である」と示したい気持ちはあるが、収入に余裕がないのと、自分が気に入ってるものしか使いたくないので、私個人は「売り上げに貢献してやってるんだぞ」とは思わない。してないので。
 昨今の推し活/オタク批判として「消費活動によって推しの影響力を誇示する資本主義に毒されたファンダム、拝金主義的な推し活」のような言説が支持を集めているのを見ると「俺のとは違えなぁ……(「臨場」の内野聖陽)」になる。もちろんそこに熱量を傾けている人は存在するし、それを否定はしない。そういう気持ちになるときもあるから。
 だけど、私の応援とは違う。私は「推しに貢いでる」のでも「推しの影響力、人気を誇示する」のでもない。コレクションを眺めていると心が潤うから、単に集めるのが好きだからお金を払っている。あ、でも私の好きなアイドルグループはまだCDを出していないけど、もしその日が来たら売り上げに貢献したくて同じCDをたくさん買う日が来るかもしれない。まあそれはそれとして(気弱)
 的外れな批判を目の当たりにするようになってようやく、推し活ブームに拒否感を示す人の気持ちがわかってきた。企業やメディアが、こちらの熱意や好意を商業的に利用することに対する嫌悪感。そして何かあると素知らぬ振りをする白々しさ。舐められてるなーと感じる。外野から、気に食わない対象にうつつを抜かしてるバカな集団に好きなだけ石を投げられて、それが正しいことのようにまかり通って、いくら的外れでも批判されないってさぞ気持ちよかろうなあ。話が逸れてしまった。この話はおしまい。

シルバニアのポップアップストアにいたパンダのシルバニア赤ちゃん
シルバニアのポップアップストアにいたパンダのシルバニア赤ちゃん

 前にも書いたけど、オタクじゃない自分の人生や趣味も大事にしていたい。貯金も親孝行もしたいし保険に入ったり資産形成も始めたい。遠征じゃない旅行にも行きたいし、ボーナスが出たらパーソナルカラー診断を受けたい。したいことやりたいこと食べたいものが多すぎる。好きな人やものが多すぎて見放されてしまいそうだ(月に負け犬/椎名林檎より引用)。
そのために心身健康でいたいものです。

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