見出し画像

10/30

 好きな人やものならありすぎるほどある(透明人間/東京事変より引用)人生なので、休みが土日だけじゃ足りねーーーーーーーーーーと毎週思っている。出かける日、昼まで寝て溜めてる録画や動画を見て飯食ってまた昼寝する日、家で掃除とかする日で最低三連休は欲しい。でもお金も欲しい。
 諸事情で仕事をしていなかった期間は、やろうと思えばなんでもやれるほど時間がありあまっていたのにそれをやれるだけの気力とお金がなかったからひたすら寝るか、Twitterと YouTubeとSpotifyを反復横跳びしていた。もったいね〜。もっと散歩とかすればよかった。

 人権やジェンダーについて話したり、差別反対を掲げている人(それ自体は当たり前と言うのも違和感があるくらい至極当たり前のことだし、私もその立場を表明する)が、自分の好きなものや所属する属性以外には敬意や理解がなく、不寛容であったり冷笑的であったり、なんなら蔑視的な態度をとっている様子とか、ルッキズムに苦しんだ人がまたルッキズムによって他者を傷つけている様子、また、フェミニストを自称する人がミサンドリーに傾いている光景を見ると、「エーッ」とびっくりしてしまう。批判したり皮肉ったりする前に、何よりも「エーッ」が出てくる。「それはいいんだ?」というか。そういった矛盾も人間だからあるだろう。私にもある。意識はしていないところで拭いきれないものがあるだろう。それでも、「その姿勢でいて、私やあなたの望む社会になるだろうか」と喉まで出かかってしまう。対話は難しい。他者の考えを無理やりねじ曲げることや論破することは対話ではない。そもそも、こちらが対話するつもりでも向こうにその気がなかったら話すら聞いてもらえない。世知辛い。
 ↑という内容を1週間ほど前に下書きに貯めていたら、フォロワーの多い人が上記のような振る舞いでやや燃えていた。気まずい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?