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7月

 ひとつ年を重ねた。
 生まれて四半世紀以上経つけど私は依然誕生日が嬉しくて、ずっと誕生日を喜んでいたいと思っている。これをここ3年ほど言っているし、来年も言うつもりでいる。
 年齢を重ねる(「年をとる」だとネガティブなニュアンスが含まれる気がするのと、「重ねる」ってなんか美しいなと思うので意図的にこう書いている)ことに対してさほど悲観していない。年齢に対して要求される程度の社会経験を積んでいないことには引け目を感じているけど、年齢の数字が大きくなることに対しては何とも思わない。というか、二十歳過ぎたあたりから年齢が自分に紐づいている感覚があまりない。それもそれで

 コスメや美容、ファッションについて話題にするとき、「おしゃれでも美人でもなく、インフルエンサーでもなければ詳しいわけでもない自分の語りが誰に需要あるんだろう……」と頭によぎるけど、むしろ誰からの提供も受けていないようなその辺にいる人間だから参考になることもあるかもしれないと自分を納得させている。てか別に参考にならなくてもするし、楽しいから
 最近ようやくおしゃれが楽しくなってきた。今までマジでただの布だと思ってたから服屋の名前もわからなかったしどこにも自分の服が売ってないような感覚でいたけど、多少理屈を身につけたおかげでたくさんの服の中から考えて選べるようになった。それも嬉しい。

 TVerで配信されていた古畑任三郎を見た。めちゃくちゃ面白くてハマったし、全部は間に合わなかったのでFODの無料体験をするかどうか迷っている。これまでザコシのモノマネでしか古畑を知らなかったので、本当に「お察ししますぅ」と言っててびっくりした。ハンマーカンマーは言ってなかった。

 最近のインターネットはいかに自分の嫌いなものの価値を下げるか、自分がいかに可哀想で、自分の嫌いなそれはいかに可哀想な自分を踏みつけるかのアピールになってて気色悪い。前からそうだっただろと言われたらそうかもしれないけど
 どれだけ他人に酷い言葉を投げかけられるかのレースでもしているのか? としか思えないことがある。倫理や理性があったらとても口にはできないような言葉を平気で他者にぶつけて平気な顔をできるのはなんなんだろうか。何が原因なのだろうか。元を辿れば全部社会が悪い気がする。

 インターネットでいくらでも自分の好きな情報を自分の意思で選んで手に入れられる現代において、ボーッとしてるだけで別に興味のないものについて見聞きできるところにテレビの意味があると思っている。どうしても生まれてしまう偏りを均してくれるようなものだと思っている。

 noteのアプリから「今月中にあと一つ記事を書くと13ヶ月連続更新です!」と言われたので書いた。誕生月クーポンを使うために別に買う必要のないものを買おうとしている。そういう人間。

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