認識ってヤバい

最近”集中”に関してリサーチしたり、自分なりに思考したりしています。

ちなみに、なーんで集中に関する話してんのに、認識がどうこうとか言ってるのは、集中って集中それ自体より、集中している以外の時間が、集中するときの質を高めるんじゃないかな??っていう考える対象を変えてみた、そんな意味があります。

で、なんとかゴールドマン忘れてもうた、、たしかEQ著者の人かな。

その人の著書であるフォーカスを読んだり、株式会社DAncing Einsteinの代表、青砥さんの講演聞いてみたりですかね。このDAってどうやらドーパミンから由来してるみたいですよ!たしか!

その他だとnendo 代表、佐藤オオキさんのスピード時間術がすっごいしっくりきた内容でした。集中力とかに関してはあまり触れてはいませんでしたが、まさに今回思ったことと共通項たくさん!!そんな内容でした。

そんな中ふと思ったのが、”集中”って実は集中してるときが重要じゃないのかもしれない、なんて思ったりしました。

もちろん集中してるとき、その瞬間自体は重要だと思いますが、その瞬間をいかに作れるかってのは、前提条件になってくると思うんですよね。

というのが、何も考えてない時間、内なる時間、これって外に注意が行きやすい現代社会においては、少なくなってきてると思うんですね。例えば、スマホとか??便利になればなるほど、外への注意はいきやすくなりやすいですよね。

1億総白痴化。そんな考え方もあるくらい、内に対する注意がなくなっていくのって怖いことです。

かくいう僕もそのうちの一人の可能性が非常に高いのですが、そうもならないために今は”何も持たず”朝の散歩を日課にしています。それだけでなく、一人のときはまじで外をぼーーーーーっと眺めてたりすることもあります。筑波大教員の落合さんもそんなこと言ってた言ってた。たしか。

ただ、なんで内なる自分に見ることが大事かと思ってることには理由があります。結局目の前の作業に集中する、要は”受験勉強的な集中”には外界をシャットアウトする力が必要だと思うんです。シャットアウトだと語弊があるかな?どちらかと言うと、気になってもすぐ忘れる、そんな感覚かと思います。

そんなわけで、一人の時間はやっぱりうちに入る瞬間が大事だと思いますね。普段それをすることで、なんか作業するぜ!ってときに、周りの物音が気になる、そんなときは集中してないな~よし!集中しよう!なんて、メタ認知出来るんじゃないかと思ったりしてます。

そしてベストがよし集中しよう!で集中できる、そんな癖がつけるとなお良いな~なんて思いました。



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