最後になってしまった

こんばんは。
レモンコマドリの小野寺ゆきと申します。

今回は私の最近あったことについてお話させて
下さい。

私は今お笑い以外に老人ホームで看護師をしているのですが、大好きだったご婦人が私がお休みの間に亡くなってしまったのです。

ご婦人が無くなった夜、その昼間は私がご婦人のいるフロアを担当していました。
何も変わらない、穏やかな日でした。

いつも通り仕事を終えて、夜勤の介護士さんに
申し送りをして帰宅して。次出勤した時に、
その日の夜に亡くなっていたことを知りました。
 
介護士さんが定時巡回した時には呼吸が止まっていたとのことでした。死に目にあった介護士さんは、「夕飯の時も変わりはなかった。仕方がない。」と話されていました。

平均寿命はとうに超えている。
よく頑張って生きていらっしゃったご婦人。
いつなにがあってもおかしくないと言われたら
確かにそうな状況でした。

訃報を聞いて、とてつもない虚無感に襲われました。私が何かを見落としていたのかもしれないという後悔と途方もない寂しさと。   

頭が真っ白になっても日常は進んでいくのです。
今日も働かなくちゃならない。
ほかの入居者さんもたくさんいる。

数え切れない多くの死の中の一つとしてカウントされ、みな何事も無かったかのように働くのです。心の内はわかりません。でも私には、
みな割りきれているように見えるのです。

割り切れないのは私だけのようでした。
看護学生時代に「あなたは看護師に向いていないかもしれない。」「人柄は向いているが、現実とのギャップに耐えられないかも。」と言われたことがありました。

先生の言う通りでした。
私はきっと看護師には向いていないのでしょう。
ご婦人がいた部屋を見て、座席を見て、
横線が引かれた名前を見て、
涙が止まらないのです。

「寂しい。」が口癖のご婦人でした。
夜中にひとり旅立って、さぞ寂しかったろうに。
こればかりは運命だけれどお昼に見送れたら
よかった。何もかも後出しジャンケンのような
ものだけれど。

ご婦人が向こうでご家族に会えて、楽しくお話
できているといいな。寂しくないといいな。

こういった経験を重ねて、また明日、
目の前にいる人を大切にしていくのです。
後悔しないようにさせないように。


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