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文章組手「仕事」5000字

 仕事、人生初の仕事は中学時代から手伝っていたビル清掃の仕事だった。父親の会社だったので社会勉強も含めて大きなビルからマンション、団地、公共機関などの掃除をやっていた。
 しかしこれらは手伝いの範疇。履歴書を書き「銭がほしいズラ!」と血涙流して社会に飛び込んでいくスタイル。私は多くの仕事を経験してきたがそれ即ち多くの仕事を辞めてきたということだ。
 仕事は歴史、歴史を受け止めることで自らのウィークポイントが見つかる。それらをしっかりと網膜に焼き付け、今後の人生に活かすと共に2020年の弾みにしたい。

高1 コンビニ店員
 人生初バイトだ。本当は当時仲の良かった福田さんと同じファミレスに行こうとしたが当時飲食バイトをしていた兄が「はじめてのバイトであのクソ忙しい店は辛いと思う」と言われコンビニを選んだ志の低さは今も心の中で鈍色に輝いている。皆さんは輝いていますか?消しちまえバカが。
 ミスターオクレに似たオーナーと奥さんと息子がいつも青い顔で働いていたのを覚えている。そして同じ中学校出身の先輩が働いていた。Tだ。今でも覚えている。なぜなら非常に強いナックルパートを顎にブチこみたい程に嫌いだったからだ。こいつがマクロス7楽曲のコピーバンドをやっていてチケットを無理やり買わされたのでマクロス7も嫌いになってしまった。
 Tは俺にすべてを任せてスタッフルームで寝続けていた。そして呼び出すと機嫌悪そうに接客をする。それを教育とぬかしやがるゴミだった。呪われよ。ペットを飼っているならペットの足が折れてほしい。いや、ペットに罪はないか。Tよ。呪われよ。
 そんなこんなで3ヶ月ほどで退職。理由は「先輩がクズ」。のっけからひどい。

高1 ドーナツ店
 2つ目。これはあまり記憶がない。なぜなら2ヶ月もやっていないからだ。辞めた理由は「人数の都合上週1か2でしか入れない」と言われていて、やってみたらマジで稼げなくてびっくりした記憶がある。
 しかし、ここは非常に人が良かったり、あのドーナツ店はここまでちゃんとしてるのか!と信頼できるきっかけになった。ただ、店内に鳴り響く山下達郎氏の楽曲が脳に焼き付き少し嫌いになってしまった。退職理由は「もっと出勤したかった」

高1 ゴルフの打ちっぱなし
 高校1年だけで3つ目か。いや、父親の仕事も同時で手伝ってるから4つ。正直、割と仕事を辞めまくっていることにびっくりしてしまっている。俺、こんな短気なの?ポンチャックマスターは不真面目だ!退職マスターになれ!ってまあまあお客さん、ここからが見どころ。なんとここから卒業間近までずっとここでバイトをした。理由は業務が楽だったからだ。
 業務は人工池に作られた打ちっぱなしで受付をやったり打つ場所の地面をキレイにしたり、先輩が船でボールを回収してきたカゴにクレーンつなげてボール洗浄機に入れたり、そこから出てきたボールをカゴに詰めて置きに行く。これが一連の業務だ。回収は1時間に1回。それ以外はマジで何もしてなかった。そしてここの特徴はバイトのヤンキー率が100%だったことだ。社員は世捨て人みたいな人のみ。どんな職場だよ。
 とある日、私は事務所に呼び出され受付の顧客名簿を見せられた。
「上から読んでいきなさい」
 そう促され、名前を二十人分程読むと「君は…漢字がたくさん読める!明日からフロントだ!」と言われフロントに大抜擢。ちなみに髪の毛が黒ってことも好印象だったらしい。どんな職場だよ。
 フロントには店で飼っていた雑種のでかい犬がおり、受付の合間に犬を触ったりできる幸せな環境だった。しかし、それも永くは続かなかった。高校3年の夏頃、オーナーから呼び出された。
「じつはこの打ちっぱなし、勝手に作った経緯があり裁判中だったのだが先日裁判に負けたのでなくなります」
 どんな職場だよ!!今現在、その場所は大きな公園になっている。ってことは市の土地を勝手に使っていたのかよ。めちゃくちゃだな。厳密には事務所は持ってたけど、池が市の物だったっぽい。退職理由「不法占拠バレ」

声優専門学校1年 個人経営のカラオケ店
 高校の残り時間は父親の手伝いで糊口をしのぎ過ごした。そして次なるバイトはカラオケ。料理に力を入れており、自宅で多少作ったりしていた私には最適だった。それに声優専門学校に通っており、上京後は自炊もしなければいけなかったのでその練習にもなった。
 学校では昼から夜まで練習漬けなので、上京費用などを稼ぐには夜勤しかなかった。私は14時からのレッスンだったので22~6時のシフトで勤務。確か最大で週5程度働いた。1日入れは約1万円。しかし出勤すると朝7時に寝て昼12時に起きて新大阪まで通い夜までレッスン。
 肉体的にはキツいはずだったが、そこは若さのパワーか、二年間を勤め上げることに成功した。夜勤で給与も良かったし、上京費用も稼ぐことができた。今はオーナーと店名が変わってしまっているが、施設自体は今でも存在する。阪和線上野芝駅からすぐのカラオケ店だ。こんなに良い思い出しかないバイト先、後にも先にもココだけだ。そして、ここから30歳をすぎるまで夜勤しかしない地獄の生活がはじまる。退職理由「上京による退職」

上京
20歳 カラオケチェーン店
 花の都大東京は池袋。アニメ専門店の真横のビルのカラオケ店。そこが上京してすぐにはじめたバイト先だった。関西で言うところのジャンカラ。チェーン店だ。部屋数は前職の数倍。目の回るような忙しさだったが、大学生やバンドマンや役者志望など、将来に夢を見ながら働いている人が多く楽しかった。
 ここの夜勤も楽しく、夕勤の女子高生とシフト入れ替わりのタイミングで仲良くなり、皆で池袋で遊んだりデートのようなこともした。カラオケバイトはマジで楽しい。酔っ払いやクリスマスシーズンの性行為客はちょっと辛いが時給が良いしでかい声出しておけばなんとかなる。だが問題勃発。声優専門学校の学生とプロとの違いは何か?それは「スケジュールキープ」だ。当時私はテレビや舞台を中心に俳優として活動していた。ロケは夜中もあり、ありがたいことに仕事がぼちぼち入るとシフトが不安定になる。休みの都合は皆協力してくれたが、その優しさに耐えられなくなりあえなく退職。退職理由「役者業と両立せず」

21歳 メルオペその1
 さあさあ地獄の一丁目。ここから約十年に渡る地獄が始まるんだ。覚悟は良いか?俺はできてる。安易なパロディーは身を滅ぼすよ?
 なぜ人はメルオペをやるのか?それはシフトがマジで適当で大丈夫だったからだ。今は割と厳しいがこの時代はすごかった。時給も2000円とか普通だった。
 この仕事をはじめた理由は役者仲間からの紹介だった。「シフトが自由で舞台やロケの休みも取りやすいしバイトも多いから迷惑かかんないよ」そう言われたらやるしかねえ!仕事をはじめてびっくり。マジでメールオペレートをしているだけだった。詳しい内容は書けないがサッシの通りだ。
 芝居とバイトの両立はできていたが、同じ時間帯のバイトが会社備品パソコンを盗んだらしくその日入っていた人間は全員クビという地獄のような理由で退職。退職理由「濡れ衣」。

23歳 メルオペその2
 まだまだ地獄の三丁目。往路は続くよどこまでも。次はインターネットで探した。あった!ちなみにここで出会った人は今も親交がありたまに遊んでいる。フジロックに出演者側で出た人も一緒に働いていた。
 働きはじめて一年後、私は俳優事務所を辞めて声優専門学校に出戻りする。学業とバイトという上京前の生活が生まれるが、ひたすらバイトと学業。そして卒業後にプロの声優となる。仕事というテーマで考えると声優のことも書かないとだけど社会保険入れないし。。。まあそんなこんなで人生ではじめて長期間のバイトとなった。しかし時代の流れには逆らえない。徐々に業界の景気が悪くなってきて事業を縮小することになったのだ。退職理由「事業縮小により」

29歳後半~ メルオペその3
 一度覚えた楽の味は忘れられない。なぜならバカだから。しばらく派遣の仕事などをして食いつないではいたが、またメルオペの道にイントゥージアリーナ。渋谷でのんびりとやってはいたが、一つ大きな事件が起こる東日本大震災だ。
 バイトはバックレや東北が実家の人の退職などでガタガタになりはしたが小規模なりにボツボツと続いている。そしてその次の歳にさらなる事件が。声優事務所を退社した。その馴れ初めで一本書けそうなので詳細は省くが、大きなショックとなりほぼバックレに近い形で退職する。退職理由「ハートブレイクひとりぼっち」

31歳 メルオペその4
 フリーの声優としてやりたいことをやったらあ!と意気込んでは見たものの、同人声優と昔のコネで呼んでくれた人の仕事以外なにもねえ!自分でトークライブなどをやりはじめたのはこの頃だ。ここは今までで一番小規模だった。メルオペ業の世界に陰りが見えてきて、誰もが腰掛けの仕事としか考えていなかった。社員ですらそんな感じだ。
 なので私も腰掛けとして働いていたが声優としてもうどうしようも無いと感じ、ついに就職に向けて動き出す。退職理由「就活のため」

32歳 契約社員 DTP
 11年前に出会った友人を頼りにDTPの仕事をはじめる。ちなみに転職サイトを利用して計60社くらい落ちた。舐めとんのか。ここでは2年程度働いて職歴を作ろうとしていた。30歳を過ぎて正社員経験がないことの社会的信用のなさを痛感し、雇用主も次のステップのためにと雇ってくれた。はじめての普通の仕事は多少退屈ではあったが「誰かのためになっている仕事」と実感できたのでやりがいはあった。前述の通り2年ほど働き退職。退職理由「キャリアアップのため」

34歳 正社員 ベンチャー企業
 さあここだ!今や飛ぶ鳥を落とす勢いの会社で新卒の人が入りたい会社にもちょこちょこ選ばれているところになぜか私が入社。詳しい内容は書けないがライターとしての仕事だ。ネットで探して応募したら元声優の特殊経歴に目をつけられ面接と相成り、面接官がチームリーダーの女性だったのだがどう見てもコスプレイヤーっぽい雰囲気。それとなく好きそうな声優名を出したり、オタク的な会話をしていたら面接が終わった。絶対に受かったと思いながら帰宅してPCでメールを確認すると受かっていた。声優だったことをやっと肯定できたよ。
 しかし、バキバキの成長中ベンチャーなので全てのスピードが早く数字でしか評価されない。だが戦いは芸能の世界でもやってきた。私はライターとして入社して3ヶ月で制作量チーム1位になり、割と重宝いただける立場になった。しかしこのあたりで人生にケチが付き始める。声優専門学校時代の仲間がハンドメイドの仕事を立ち上げ、私に手伝いを要請してきた。
 ベンチャーにいて調子に乗っていた私は「起業してみてえなあ!」の思いがあり、少しずつ手伝いの幅を増やしていく。そして後述の「かわいいお店」に繋がる下準備をはじめた。するとトントン拍子でうまくいく。「いずれは社長や。オホホホホ」そんな阿呆な考えを形にするために退職をする。退職理由「頭が悪かった」

36歳 紙ちぎったり折ったりする仕事
 前職が薄給だったので引越し費用や当面の生活費を稼ぎたい。そう考えて取り敢えず給与が高く賞与もアツい会社に入った。業務内容や社内の空気は完全にゴミ。なぜ地球にこんな仕事があるのかが不思議でしょうがない仕事だった。働いている人間も普通に会社じゃ無理だったようなカスしかいねえ。
 未だに色々思い出してムカつく。倉庫燃えろ。心を無にして働き、ボーナスをもらった次の月に退職。こんどこそ俺は社長になるんだ。退職理由「賞与額が割と良くて金が貯まったから」

37歳 自営業 かわいいお店
 学んだことは多かったが、感謝は外部で手伝ってくれた人にはする。現在進行系でくすぶっているので書けない。退職理由「見限った」

 これが、コレが俺の職歴か。俺の人生か。割と冷静に見るとかなりゴミじゃないか。俺は何をやってきたんだ。40歳前のおっさんの人生がこんなもんなのか?同じ年齢で子どもが多くいる人もいる。死んだ年下もいる。それなのに俺は、俺は。。。しかし頭が悪い人間は頭の悪さを活かして加速するしかない。
 2019年、私は決めた。仕事において「自分以外信用しない」ことを。自分の責任で自分ができることを出来る限りやる。しかし誰も俺の世界には入れないし俺も入らない。自分でできることをやる。そのためにカレー屋をやろうとしている。もうサラリーマンも無理だ。入社することもできないだろう。何もしてこなさすぎた。だからこそ、ここから人生の逆転を狙うには。。。いや、もう狙わない。小説を書く時間を確保できて好きな仕事を好きなだけやる。しかしそれは激烈にだ。そうするためには自営業が一番だと気がついた。
 多分、この先は本当に辛い。地獄だと思う。一歩踏み出すのは希望ではなく絶望の可能性もある。しかし、身体だけでなく心が求めてしまっている。そんな生活を求めてしまっている。今度は、今度はうまくやる。この道は声優時代に歩いてきた道だ。

 私にとって仕事とはなんだろうか。テーマにはしたが正直答えは出ていない。しかし、決めたことはある「自分のできることを最大限にやる」それをいずれ仕事と呼べるように。

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