懺悔:何故私はコックリさんの紙をビリビリに破いたのか

小学生と言うのは生物の中でもトップレベルに残酷な生物だと思います。まず容赦が無い。そしてターゲットを決めると全員で襲いかかる。さらに、「自分は悪くない」と思って生きている。小学生はこの世界から絶滅させられたらと思いますが、そうなるってえと全人類の未来が消えて失せますね。だから小学生を大切にしていかないといけないです。
性の対象にしてはいけないのです。余談ですが、私の家から小学校のプールが丸見えでしてね。詳しくは言いませんが一時間500円で良いですよ。

しかし、小学生の思い出と言うのは色んな人に聞いてみてもロクな思い出が出てきませんな。大抵「いじめられていた」「親の離婚に巻き込まれて苗字が変わった」「親戚に犯された」とかそう言う類の話しばかりじゃないですか。もうこれは辛抱たまりませんね。もう小学生滅ぼすべし。それか小学生を戦わせて5人のスーパー小学生だけを小学生として、残りの小学生はスーパー小学生の食事として取り扱うのはどうでしょう?これが世界の成り立ちです。人は少なからず人を食べているのです。そこを分かるかどうかで頭の良し悪しが分かるのです。わかっているのかね君は?僕ぁ全く分かりません。こいつはどうもご苦労さん!

私が小学校三年生の頃でした、小学校二年生の時にこの小学校に転校してきてた私は中々うまく立ち回っておりました。天賦の才と言われるレベルでのザリガニ釣りの上手さ。そして幼稚園の頃から柔道をやり続けていたお陰のフィジカルの強さ。それらを兼ね揃え、男子とはすぐに仲良くなり、ここから高校卒業まで一日も学校を休まないと言う記録を作り出したのです。しかし、小学三年男子と言う物はかなり知能指数が低い事は皆様ご存知の事と思われます。ウンコチンコで爆笑できる上にマンコと言う物は知らない。知っている人間はちょっとした村の長老並の待遇になり、エロ話しを聞くために給食のチーズやライチをあげたりして奉っていたりした物です。

しかし、女子って言うのはもうこの時期からおませさんですよね。もう二十数年前の話しですが、その時も「○○がかっこいいー!」「○○が好きー!」等と言う感じでおませに恋愛の話などをしていたりするものでした。そして三年生になると、ある程度男子女子で分かれ始めるのです。今まで普通に女子と遊んでいたりもしましたが、妙に距離が空いたり、一緒に帰っていたりしたのに帰ってくれなくなってきたりするのです。

男子はザリガニやでかい虫を捕まえたり、砂場で超でかい落とし穴を作ったりしては居ますが、女子はそんな男子を軽蔑しながらとある事にハマり始めるのです。それは「占い」でした。確実に体も心も子供であるにも関わらず、少し背伸びして大人の世界を見たい子供達、その第一歩として大人も子供も楽しめる、そして根拠がなくても楽しめる、さらに知っているだけで「周りと違う感」を楽しむ事が出来る占い情報を手に入れていくのです。

「今日ね!ウチは赤がラッキーカラーやから赤い服着てきたの!」

「ウチはー!今日はな!くまさん持ってたら良い事あるらしいからくまさんの下敷き持ってきたんやで!」

中々に可愛い物じゃないですか。こう言う光景を男子は「アホkuseー!」と思いながらサッカーボールやドッジボールを持ち教室内、廊下、校庭でボンボンぶつけ合ったり、登り棒の上から飛び降りて骨折したりして過ごしてフィジカルを延々と鍛え続けるのです。

「たけちゃん!ウンコ落ちてるで!」

「ほんまや!ウンコや!ガハハハハー!棒に刺して教室持って帰ろ!」

「おもろい!ウンコおもろいでー!ガハハハー!」

今思い返して見ると、そりゃ女子は男子を馬鹿にしますなあ。しかし、小学三年生にとってはウンコは最強の兵器で有り宝石でもあるのです。ウンコを上手く扱える人間がヒーローと成り、ウンコを軽んじた人間が奴隷となるのです。

「後藤くん!そんなん教室に持ってこんといてやー!」

「ガハハー!ウンコウンコ!ウンコ凄い!ウンコかっこええ!」

「たけちゃん!ウンコ運ぶの上手いなー!ウンコの天才や!」

「オグマ!オグマも持て!ガハハハー!」

「わ!ウンコ!ウンコ来た!ガハハハー!」

そう言う風に毎日色んな物質と触れ合い、その中で社会性等も学んで行く事が出来ました。知とはウンコなのです。言い過ぎました。まあウンコはウンコですね。

我々がウンコや犬や基地作りを楽しんでいると、学校内に新しいムーブメントがやってきました。表題にもありますコックリさんです。コックリさんとは何か?簡単に説明するなら「何の能力も無いクズが集まって自分には何かあると言う馴れ合い」です。インターネットの元祖ですね。
私は心霊現象一般が何よりも嫌いなのです。娯楽としては好きなのですが、そこをアイデンティティにしたりしている人が何よりも嫌いなのです。考えてくださいよ。回りで「霊が見える」「この家何か居るね…」って言う人間居るでしょ?そいつらクズでゴミで霊よりお前を浄化したいわアホンダラ!って人じゃないですか。マジで。自分自身に何の魅力も能力も無いからこそ、その場で証明できなくて、詰められたらキリが良い所で逃げられる話題で煙に巻くんですよあいつら。本当に私の前でそんな事言ってはいけないよ?全力で詰めるし、立場上詰められない人でも一気に相場が変わりまっせ。
霊が云々って人はシーシェパードとかと同じ位ゴミ。

そんなクズ行為が学校に蔓延してしまったのです。休み時間、放課後…あらゆる時間でコックリさんをしている女子が居ました。男子はそれを遠めに眺め「外で遊べばいいのに」と思っていました。

「コックリさんコックリさん。○○君はウチのこと好きですか?」

「うごいた!うごいたうごいた!はい で止まった!」

「やったー!うれしい!!」

アホ、完全なアホですよ。でもまあ、思春期特有のアレでしょうから多くは語らないようにしましょう。少女の不安定な心が十円玉に乗ってスパークしているんでしょう。大人でこんな事やっていて、尚且つ心霊現象をエンタメ以外の形で信じている人間は死して護国の肥やしと成れという気持ちになりますが、まあ少女です。少女なのですから許しましょう。殺す直前まで攻撃を加えて砂漠に放置する程度で許しましょう。

しかし、このコックリさんは良くない方向にも使われたのです。

「○○ちゃんは何年後に死にますか?」

「○○先生を呪ってくれますか?」

呪術。もう呪術じゃない。少女達は自分ではどうにもコウニモならない問題をコックリさんに乗せて色々と聴いたりするようになりました。色んな学校でコックリさんが禁止されたのはこう言う背景があるからでしょう。私が教育委員会の偉い人なら「コックリさん=処刑」と言うルールを作るのに。アホじゃねえのマジで。

今、こう言う風に強く思っている人間です。当時からコックリさんの嫌な部分、心霊現象の釈然としなさにイラついていました。

「オグマ、何か女子キモいよな。なんであんなのするんや。ムカつく相手はシバキ倒したったらええやん」

「たけちゃん。俺もそう思うけど、シバキ倒す事も出来んからやろ。可哀想な奴等なんやで」

「オグマ、俺は何かイラつくんや。なんやあれ。○○ちゃんいつ死ぬとか聞いとるけど、○○ちゃんはアイツ等にいじめられとるやんけ。気に入らんぞ」

「たけちゃん、わかるわ。俺も気に入らんわ。でも俺、コックリさん怖いしなんも出来んわ」

やはり子供の心には何か不気味な、何かが起きてしまうのではないのか?と言う気持ちが強くあるのでしょう。オグマも他の友達もコックリさん女子に何も言えないまま数日が過ぎていきました。そんな時、一つの事件がおきました。私がいつものように教室内でボールをぶつけ合って遊んでいた時です。オグマが投げたボールを受け止め損ね、近くに居たコックリさん女子の顔面に直撃したのです。

「後藤君!何するんや!」

「うわあ、素直にすまん。ごめんね」

「お前なんか!コックリさんに呪ってもらうからな!」

そうして私は呪われる事に決定したらしいです。放課後呪うとの事でその様子を見る事にしました。

「たけちゃん、怖いわ。たけちゃん呪われるんか」

「オグマ、そんな事有るはずないで。まあ見てみようや」

そして始まりました。私を呪うためのコックリさんが。

「コックリさんコックリさん、来てくださったら はい に動いてください」

見ていると はい に向かって指と硬貨が進んでいきます。当たり前やないか。そう言う風に決めたイベントやろが。

「後藤君を呪ってくれるなら はい に動いてください」

はい に動いていきました。だから当たり前やないかそう言う方向に向けての会やないか。

「どう言う風に呪ってくれますか?」

硬貨は動きます。少女の悪心を心に、指先に乗せて。

で…

ん……

し………

ゃ…………

でんしゃ、電車?どう言う事なのか?その場に居た全員がキョトンとしました。

「わかった!電車や!後藤君は電車に轢かれるんや!!!」

何を言っているのか。小学校へは徒歩で通っているし、最寄駅までは歩いて三十分以上かかるし、何よりそんな用事は無い。本当にアホですね。せめて車とかそう言う感じにしていたらワンチャンあったかとも思うのですが。
しかし、スイッチが入ってしまいました。人を、人に対してなんという事を言うのか。なんと人を馬鹿にした行為か。そしてもし呪いやら何かが来たとしても、形が無い悪霊なんぞよりも形があり血肉がある人間の方が強い。血肉があるから強い。大は小を兼ねる。それに人によって見えるか見えないかすら変わる存在が何か出来る訳ねえよアホンダラぁ!
瞬間私は走り出しました。紅に染まった訳ではありません。怒りで染め上がり、フューリーロードを歩いたのです。

「あ!何するん!?途中でやめたらあかんねんで!皆呪われるねんで!」

「じゃかましい!アホンダラァ!ウオオー!」

ビリリリリリリリリ!

細切れになるコックリさん紙!引き攣る女子!爆笑するオグマ!ここには世界を構成する全ての要素がありました。怒り、悲しみ、喜び。その全てが渾然一体となり、ミラクルビューティフルワールドを作り出してくれたのです。ああ、コックリさん、ありがとう。最高の気分だ。シャンパンを持ってきたまえ。今夜は寝かせないぜ?

女子は泣いて居ました。私がビリビリに破った事で自分自身も呪われると思ったのでしょう。呪いなんて無いのです。昔はあったかもしれません。何故昔はあったのか?それは昔の人が不安だったからです。呪いと言うのは不安です。少しの不安を増幅し、連想させる事で一つの呪いとしてこの世界に生まれるのです。このインターネットが蔓延る現代社会、この現代に於いて呪いは無いのです。あるとしても炎上や中傷等の直接打撃制に移行しているのです。だから怖い物は何も無いのです。

ビリビリに破いて数日、全く何も起こらない事にびっくりした女子達が、コックリさんの効果に疑問を持ち、そして私が担任に事のあらましを説明した所為で学校内コックリさんは禁止となりました。清く強い心を持った人間が悪心を粉砕せしめたのです。これは心の勝利、正義の勝利と言っても差し支え無いでしょう。私の心が悪心と言う闇を打ち消す事に成功したのです。パワートゥーザピープル。力こそパワー。力こそ正義。

こう言う風な出来事があり、そして心霊で金を荒稼ぎする人間を見てきたお陰で私は心霊現象を完全否定する人間として仕上がりました。数年前、バイト先の女性と食事に行ったのですが、その人が「私ね、幽霊とか分かるんですよ。彼ら…そんな悪い子じゃないですよ…フフフ…」と宣うので、真っ向から前述のロジックを使い「お前には魅力がない。だからそう言う事を言うのだ。お前は友達居ないだろう?お前はそれで良いのか?何も無いから無から湧き出た詭弁で戦おうとしているのは分かる。だが、それで何かあるのか?」と三時間程詰めたらその人はバックレてしまいました。可哀想に。何かあったのでしょう。

この話しを書こうと思い、私を呪おうとした女性の名前を検索したらFacebookが出てきました。おや?と思い見てみると結婚して子供も生まれて幸せそうな生活を満喫していました。その子には障害があるみたいですが、呪いとかそう言うのでは無く確立の問題なのでしょう。私は長く声優行為をして地獄の非正規雇用と甘んじていましたがこれも呪いでは無いのでしょう。全ては自分自身と偶然と確立なのです。無に対して責任の所在を求めるのは愚者の誉れでしか無いのです。愚者は求め縋る。そこに生まれる弱さを悪心持つ人に食われる事こそが呪いの本質では無いのでは?と考えます。

人を呪わば穴二つ。膣と肛門と言う意味ですね。良き健全ライフを!

以上を「何故私はコックリさんの紙をビリビリに破いたのか」の懺悔とさせていただきます。ありがとうございました。

※この記事は投げ銭です。何かポンチャックパワーを感じましたらよろしくお願いします。

ここから先は

0字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?