文章組手第15回「煙草 1500字」

 初めて購入した煙草はキャスターマイルドだった。そこから峰、チェリー、ウィンストン、KOOL、KENT、アメリカンスピリッツメンソール1、フォルテエキストラライトメンソールと移行した覚えがある。マイルドセブンもあったしハイライト・メンソールもあった気がするが煙草は色々買いすぎて覚えていない。

 喫煙をはじめたのは23歳だったはず。たしか俳優事務所にいた時だ。吸い始めた理由は非常に単純で、舞台で演じる自分の役に喫煙シーンがあったからだ。煙草の持ち方も吸い方も知らない。しかし役には積み重ねられた喫煙習慣がある。役者ならやらねばならぬ。どうせ舞台が終わったら煙草なんてやめるだろう。そんな気持ちで吸い始めたのを覚えている。
 しかし現実は非情(GAME OVER)。かれこれ15年も煙草を吸い続けてしまっている。

 俳優、声優なんて因果な仕事をしていると煙草は社交ツールとして非常に効果があった。ディレクターやプロデューサー、他のスタッフも喫煙者が多い。喫煙スペースに顔を出し、覚えてもらうために煙草を続けた。
「なんだ?君も吸うのか。若手なのに珍しいな」
 などと話して貰うことができ、芝居などについて教えてもらうことができた。逆に役者や声優は吸わない人が多く、飲み会などの時は煙草の箱すらその場に出さないことが多かった。

 声優や俳優なのに煙草を吸うなんてけしからん!そんな意見も見られるが、先輩たちは「その程度で潰れる喉ならそれは声優や俳優の才能がないのだ」とうそぶきながら煙草を吸っていた。

 煙草は社交の手段として優れていると考えている。もちろん吸わない方が健康には良いとは思うが、煙草を吸うことで「共通の罪悪感」を感じることができ、喫煙者同士の距離が縮まる。そして、もし吸っている煙草が同じ銘柄なら、妙な気恥ずかしさと同時に親近感を感じることもある。

 煙草を吸わない人にとって煙草を数時間は非常にナンセンスに感じるだろうし、社交なんて煙草を介さなくてもできるのでは?と感じるのは当然の摂理だ。しかし、人間誰しも社交がうまいわけではない。だからこそ、一つのアイテムと罪悪感を共有することでスムーズな会話が可能になる。
 初対面の相手、お互いのことを知らない、相手の強みや弱みもわからない。さて、どう立ち回る?そんな時に煙草は非常にインスタントな役割を果たすのだ。まさにちょっと一服である。喫煙者として世間からどんな形で見られているのかも理解し合うことができ、ヤニ臭い服で煙草を吸わない人の元に戻る気恥ずかしさと申し訳無さも知っている。もちろん喫煙から病気になるなんて嫌になるほど聞いた。それでもやめられない自分自身の弱さも知っている。

 罪悪感の共有は秘密の共有であり、弱みの共有だ。言うなれば「ともだちんこ」なのだ。お互いの弱い部分を出し合い、握り合う。どちらかが強く糾弾すればそのバランスは崩壊し戦争が起こる。そして喫煙者はその戦争の無意味さだけでなく煙草を吸う無意味さも共有している。
 煙草を吸うことで無意味な時間が発生する。だからこそ、その無意味な時間に無理やり意味をはめ込んでいく。それは逃避であり思考。無理にでも吸う理由や辞める理由を考える。その際の思考。やらなくて良いことをやる。煙草を吸っていなかったら必要なかったところに脳を使う。そんな贅沢な時間が喫煙、そして煙草の真骨頂なのではないのかと考える。一箱270円のジェネリック葉巻型煙草をもみ消しながら。吐き出しながら。

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