懺悔:何故私は彼女を払い腰で投げたのか

人間と言うのは因果な物で、「予想もつかない事」を心から求めたりします。何故そんな事を求めるのか?平坦な安寧の中で己の希求を全うするだけでそこそこグッドハッピーなライフの中でムービングポンチャック出来るのです。しかし、求めてしまう。求めると言う行為は何なのか?求めるの根底に有る思いは何なのか?例えばそれが破壊だとしたら、この世界の色はまだ増える余地があると言う事です。

私は声優専門学校二年でした。少し前に付き合っていた彼女とややあって別れ、学年が下だけど年齢が上と言うロリババア、ババア後輩に心惹かれ、いつしか付き合う事になりました。

人生で二度目の彼女、初めて付き合った人とはお互いに男女としての距離が分からず、そして学校の中で同じクラスで常に見える位置に居ると言う事があり次第にギクシャクして別れが生まれました。歯車は遠すぎると動かず、近すぎると負荷が強くなりその二つは壊れてしまうのです。丁度良い距離、それが必要なのは分かっていたのですが、お互いに毎日の不安や将来への渇望や現状の不信がハイパーレベルでアップアップしていたのでややあってコミュニケーションブレイクダウンしたのです。

「何故俺はコミュニケーションブレイクダウンしたのだ。普通に愛し合っていたはずなのに。しかし、距離が近いと油が差す隙間がなくなってしまうのだ。言いたい事を言ったり出来る隙間が」

私は別れの原因をそう言う風に理解しました。愛情と言うのは不思議です。言いたい事が多くなればなるほど言えなくなるのです。その心は「伝わっている」と勘違いをしてしまうのです。何も言わないと言う事は何も伝わらないと言う事。そんな大切な事に気が付く事が出来無い位、愛情と言うのは影に身を隠す存在なのです。

言いたい事、やりたい事はきちんと出来たのか?行動が頭の中を過ぎったとして、その行動に心が「これやったらあかんじゃないか」とかのブレーキをかけてしまう。もし、そのブレーキを取り外すことができたらどうなるのだ?多分、みんな人を殺すんだろうなあ。でも、このブレーキをある程度まで緩めて、「社会的に許される行動」までなら出しても良いんじゃ無いのか?そんな事を考えて毎日を過ごし、たまに遊びに行く時とかはちょっと自分の言いたい事を言ったりしていました。

言いたい事を言っても、それは本当に心から言いたい事なのか?やりたい事をしてもそれは本当に心からの行動なのか?一つを疑問に思ってしまうとその疑問から新しい疑問に繋がり、アリの巣に近い形の疑問が心を蝕んでいきます。蜘蛛の巣なら払い除けたらいいのですが、アリの巣だったら埋めないといけない。この埋めると言う行動もエネルギーをガンガンに消費していくので、不安の根と言う物の恐ろしさ、そして恋愛の難しさを肌で感じたりしていました。

「あんたどうしたの~?また何か悩んでるの~?」

「うーん、彼女と一緒に居る時など、どれだけ自分を出して本心を言うべきかとか考えてしまうんだよね」

「ホント細かい所で悩むわね~!私はひよちゃんと居る時とかは何も考えてないわよ?あんたもその位が良いんじゃない?それでダメだったらそれで良いじゃない!」

同じクラスの女友達から聞いたこの言葉に衝撃を受けました。そうだ、ダメならダメで良いのだ。心からの行動を見せずにそれなりに彼女と仲良く進んで楽しむ事は出来る。しかし、それは偽物では無いのか?本当に心を裸にして、もう無心でぶつかり合っていく、そんなバーレスクのような形が一番良いのでは無いのか?では何故本心を言わないのか?本心で行動しないのか?それは「嫌われたく無い」と言うのが最大要因だと思います。人は何かやる時、まずは「これどう思われるかな?」と考えると思います。それはもう恐ろしい程無意識に、そこを全く考えられない人が居るなら私は会いたくないですし、30歳まで生きられないで死ぬか殺すかをしていると思います。どれだけ自己中な人間でも、どれだけワガママでもまずは他人の目の中に映るであろう自分自身を指針として行動するのだと思います。

「君はあいつと付き合っている時、漫画とかから盗んで来た行動をしていたけど本心だった?」

「いきなり人の傷を抉るなよ。うーん、そりゃ最初は八神庵みたいな服を着て…言葉も…選んでたなあ…本心出すのって難しいと思うんだよね」

「それは何故か?」

「男女の付き合いってさ、最初は本心出さないで付き合うじゃない。それってさ、お互いの嘘の部分を好きになって付き合うって事でしょ?だったらそこで本心出すって事は相手が考えている「好き」から逸脱するんじゃないかなあ」

「噂に聞いたコスプレ首絞めセックスがそうだったの?」

「後藤、マジでぶん殴るよ?何で知ってるんだよ」

「あの子、鉄板ネタとして使ってますよ。うぐ~!って感じだった!!とか言いながら」

「うわあ、最悪だ。別れて良かった」

そうなのです。人は本心を出さない。最初から本心を出したらそりゃドン引きされますよ。死体食べたいみゃお!浮浪者と一緒に蛆虫サーカスのスタートだ~!とかいきなりブチかますと大変な事になりますよ。良くて今後無視、悪くて糾弾会ですよ。

だからこそ、私は付き合い始めた今だからこそ、本心を少し多めに出して「好きになった部分とのギャップ」をぼかして行く事が出来るのでは無いか?と考えるようになりました。
今ならまだ間に合う。俺は同じ轍を踏まない。そうだ。人間と言うのは成長の連続なのだ。小さな失敗から大きな成長を学び、そしてその成長から成功を勝ち取るのだ!これが圧倒的成長!圧倒的!!!成長!!!

そうと決めたら即行動ってのが男ってやつですよ。俺は動く。やるのだ。本当の俺を出し、そして本当の俺を認めてもらい、果てに本当の俺を愛してもらうのだ。
その為に必要な物は小さな勇気。それを心に感じて進むのだ。それがメンズの心得よ。

後日、彼女と三宮に出かける事になりました。普通のデートです。本心を出すと言っても普通に出した所でそれは中々気付かれ無いです。だからこそ、心に浮かんだ事を全て声に出す、ちょっと速度が凄い人みたいな感じで一緒にふらふらしていました。

「あの標識!赤い!!」

「なんであのおっさん靴下黒いんだ!」

「火垂るの墓!かかってこい!!」

色々と思いついた事を発言しても、さすが年上の彼女です。ある程度引いてはいましたけど、そのテンションに対応してくれてどんどんノッてくるようになりました。
今までは好かれる事ばかりを考えて、私も借りてきた言葉や行動を使用していたのかもしれません。その借り物から解き放たれた向こう側にこんな楽しい事があったのかと心が沸き立ちました。本音とは誠意、本音とは純なる思いだったのです。それを受け入れてもらえないなら終われば良い。本音を隠して相手と付き合うならそれで良い。相手が「借り物の俺」を求めているのなら、お人形でも抱いて自分に都合の良い想像をふくらませていたらいいのです。俺は、俺は人間だ。生きている人間だ。血の通った人間だ。だからこそ予測不可能だ。根底にあるのは愛情だ。愛情は免罪符なのか?多分違うだろう。愛情は頼るべき物なのか?少し違うだろう。だが、そんな事を気にしてしまうと言うのは愛情の対極にある行為では無いのか?少なくともそう感じるのだ。

そんな若干キマったテンションで歩いていると不意に悪魔のような気持ちが心の中に湧き出しました。最初は一筋の垂れる水でした。その水がもの凄いスピードで量を増し、いつしか心の井戸から溢れ、今や私と言う街を飲み込もうと言う勢いになっていました。


「この子、いきなり払い腰で投げたらどんな対応するんだろう」


何故そんな事を思ってしまったのか?それは全くわかりません。心と言うのはいつも不条理を抱え、大脳新皮質が条理を提供する事でバランスを取っています。その条理の枠が無くなってしまったのか?私は狂ってしまったのか?しかし、そんな事を考えている間にも、彼女を払い腰でぶん投げたいと言う思いは大きくなってきました。不意の夕立、いつしか忍び寄る雨雲、まさにあの存在感、あのスピード感なのです。気が付いたら私はずぶ濡れになっていたのです。心から湧き出した「大・払い腰衝動」と言う雨によって。

「どうしたん?」

「いや…どうかはしたけど大丈夫」

「そうなん?今日は一杯喋ってくれるね。嬉しいわ」

「そう?いつもと違う?」

「何か健ちゃん、心開いてくれたんかなって感じてるで」

「それはどう思う?嬉しい?嫌?」

「そんなん嬉しいに決まってるやん」

「じゃあもっと本音と言うか…思った事は隠さなくて良いの?」

「良いよ。そう言うのも健ちゃんやと思うし」

許可が、下りた。後はタイミングだ。さらに心の速度を上げた私は「いつ、どこで、どの威力で」払い腰を掛けるかを考えて心が一杯になりました。払い腰でぶん投げた後の相手のリアクションを数十通り考えて一人でニヤニヤしたりしていました。彼女はそんな私を見て「楽しそうにしてくれてる」と思っていたらしいです。甘いな。俺はお前に払い腰を掛ける事しか考えていないのだ。もっと自分のアンテナを磨きたまえよ?戦場なら死んでいるよ?

さあ、どうする?いや、細かい事を考えて払い腰を掛けてもそれは本当の払い腰なのか?心から溢れ出た本心の混じりっけが無い払い腰と言えるのか?タイミングとかそう言う細々した物を考えると、俺の払い腰が汚れていくような気持ちになる。払い腰はただただ払い腰であれば良い。払い腰に貴賎は無い。その払い腰を光らせるも汚すも俺の心一つなんだ。俺は払い腰で彼女を投げたい。その気持ちが一つあれば後は何の問題も無いはずなのだ。そう、払い腰、純粋な払い腰。十年以上俺のフィニッシュムーブとして使ってきた払い腰は今この瞬間の為にあるのだ。いや、そんな思いすら不純だ。何千回と練習を積み重ねてきた払い腰を「掛けたい!」と思ったタイミングで掛ければ良いのだ。その時彼女は宙に浮くだろう。何が起こったかわからないだろう。そして地面と接触した衝撃で「投げられた!?」と気が付くだと。それだけなのだ。この世界、世界は情報が多すぎる。その情報の根底にあるのは「欲求」だ。誰かに伝えたい、届けたい、その欲求でしか無いんだ。それを情報が鈍化させ意味すら変えてしまう。そんな世界に慣れきってしまっている事が一番の問題なんだ。払い腰を掛ける。払い腰を掛ける。払い腰を掛ける。払い腰を掛ける。払い腰を掛ける。払い腰を掛ける。どのタイミングで払い腰を掛ける?今本当に払い腰を掛けたいか?違う。今はまだ。心が払い腰に入り込んでいない。じゃあ今!!!違う。位置取り的に体落としに近くなってしまう。
払い腰ってこんなにも純粋だったのか…払い腰って…恋愛その物だったんだな。今やっと気が付いた。気が付くのは遅かったが、まだ手遅れじゃないはずだ。ありがとう払い腰。

少しあるいて南京町と言う中華街に向かう途中。ちょっとした商店街があります。ふと「かき氷」と言う旗が見えました。何となく足を止めて「宇治金時食いてえ」って思っていると、彼女もその目線の先の旗に気が付いたのか私の後ろに立ちました。

「あ、かき氷やん!食べていく?」

私は彼女の方を向きました。完璧な位置取りでした。払い腰の神が私に微笑んでいるかのように、サムズアップをしている姿すら見えました。

エイヤッ

細身の彼女はふわっと宙を舞いました。声も出さず、表情も変えず。心から溢れ出た払い腰は空間を切り取るのです。その時、「超払い腰空間」がこの世界に生まれ、超払い腰空間には私達二人しかいませんでした。いませんでした。僕は何を思えば良いんだろう。僕はなんて言えば良いんだろう。こんな夜は会いたくて会いたくて、とザ・イエローモンキーの名曲JAMを口ずさんでしまいそうな空間でした。

「痛っーーーーーーーーーーーーい!!何!?何!?!?!?」

「大丈夫?ほら」

私は手を差し出して彼女を起こしました。彼女は自分自身が払い腰で投げられた事に気が付いていませんでした。私は関西でも屈指の強さを誇る柔道野郎でした。凄い柔道選手に投げられると理解が出来無い内に寝ていると言う事があります。この純なる払い腰への信仰が現役を退いた私をその域にまで高めてくれたのでしょう。

彼女は何も言いませんでした。もしかして転んだのか?と思っていたのかもしれないです。その後は二人で南京町、モザイク等の神戸名所をウロウロしてのんびりと二人の時間を過ごし帰路につきました。普通に笑い合ったりバカ話をしたり。払い腰なんてこの世界に無かったかのように。

次の日学校で彼女と会いました。学年が違うので違うフロアなのですが、たまたま私が一年生が居るフロアにテレビモニターを取りに来たのです。その時に会いました。彼女は練習用の短パンを履いていました。そしてその足には小さなアザがありました。

「あれ?そのアザどうしたの?」

「あんたが昨日私を投げたんやろ!!!」

「お前、知ってたのか…?」

「投げられたんやから知ってるわ!!」

「嫌いになった?」

「ちょっとびっくりしたけど、帰り道「何で私投げられたんだろ」って思ったら面白くて思い出し笑いが止まらんかった」

「君は良い女だな」

空を覆う曇天の上にはいつも青空が広がっています。その曇天は肝心な物を隠す存在です。しかし、その曇天があるからこそ、隠されていた真実の意味や重みが分かるのです。雲を切り裂く思いを天に届ける。もしかしたら自分一人では無理かもしれない。だからこそ挑戦すべきなのかもしれません。

届いた後の一筋の光、背中に受けながら、熱を感じながら

以上を「何故私は彼女を払い腰で投げたのか」の懺悔とさせて頂きます。ありがとうございました。

※この記事は投げ銭です。何かポンチャックパワーを感じましたらよろしくお願いします。

ここから先は

0字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?