人から貰ったお題文~トカレフ~

実験的にやってみよう。やります。

目の前に銃がある。拾ってきた銃だ。巣鴨駅近くに落ちていた。最初はモデルガンかと思ったがどうも違うらしい。ずっすりと重く、圧倒的な存在感を感じる。この存在感は人の命を自由にできる存在感だ。モデルガンとかに感じる薄っぺらさは「命に対しての不干渉」から来る存在感なのだろうと思う。そして銃は自信の象徴だ。ただ何となく毎日を生きているだけの俺がこのトカレフを手にしただけで何にも変えられない高揚感と、世界を自由に出来るのでは無いのかと言う気持ちを感じている。

銃、武器とは何なのか?古来から人や獲物を殺す為に疲れてきた物だ。しかし実際に手に取ってみると何か違うと思う。これは他者を撃ち抜く物ではあるが、何よりも自分自身を撃ち抜く物では無いのか?もちろんそれは肉体を撃ち抜く事も出来るが、それ以上に、何かこの心を撃ち抜く事が出来る載ではないか?

ただただ眺め、触れているだけでもその存在感が私の中に入り込んでくる。妙に昔の嫌だった事、殺してやろうと思った人間の顔が浮かんでくる。今までは多少そう言う事を考える事があったとしてもここまで明確な形で考える事は無かった。ただ鉄の塊を手にしただけで私の心の中に思い描いていた「形」が現世に現れ、そして雄弁に語りかけてくる。強さを私にくれるのか?それとも銃を取らねば何一つ変える事が出来無い私を見て嘲笑しているのか?ただただ無表情で無機質な一丁のトカレフは数十年来の友人以上に語りかけてくるのか?

一発撃ってみるか?

私はそう思ったが口には出さなかった。口に出してしまうと、形作られた存在感が着色され、どうあがいても目に入り込んで来ると思えたからだ。ただただ強い存在であるこのトカレフが、凶暴な獣の様な息遣いを発し、そして野生その物の匂いを醸し出すもしれない。口に出す事はダメだ。止められなくなる。

拾ってから数時間触り続けている。例えば、例えばの話しだ。これを誰か使うなら誰が一番ふさわしいのか?私の事を一番信頼してくれている友人?今一番いけすかない奴?それとも通りかかった無関係な人?何か違う気がする。この圧倒的な存在感にはそう言う存在はただの添え物でしかない。私は何かを変えたいのだろうか?それとも変えたくないのだろうか?ここには力の象徴がある。これがあれば後の事は考えなければ何でも出来るはずだ。昔見た銀行強盗みたいに、弱気を救う正義の味方の様に。存在感を借りて、そしてそれを用いる事で何者かになれるのではないか?しかし、そうなると「それを用いらない限り何者にも成れないのか?」相反する気持ちが私の心を一層ざわつかせる。

「撃ってみるか」

私は口にだした。そうなるともう止まらなかった。窓を開けるとそこには誰かの所有物の林が広がっている。少し指は震えている。トカレフ、映画とかで見た事があるがこんなにも軽いのか。私は引き金に指を掛けた。

「ドゴォン!!!」

思った以上の音、反動に驚いた。しかし、ただそれだけだった。たった一発の銃弾が私の心を持っていったのか、ただただ胸には虚が押し寄せていた。使う自由、頼る自由、放つ自由。その先にあるのはただただ連続した現実であり、このトカレフに過剰に期待していた私の過去が通り過ぎただけなのだ。

ただ唯一良かった事は今日はよく眠れそうと言う事だけだ。心地よい音を脳に再生しながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?