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夏の終わりの大掃除

今年の年末は大掃除をしない。

少し前のことになるけれど、夏から秋にかけてばっさりと家の中を片付けたからだ。たかが賃貸の2LDKだから物量は知れたものだが、かなりのモノを思い切って捨てた。

なかには安物なのに数十年来使いこんできたタンスなどもあった。この界隈に引っ越してきたのは、私がまだ幼い頃だったが、その頃に駅前の商店街にあった家具屋で購入したもので、その日のことは今でもうっすらと覚えている。今では商店街はあの頃より少しくたびれて、その家具屋もすでにない。

そうした子どもの頃からの記憶が刻まれたものも含めて必要なもの以外はばっさりとやった。金銭的に豊かとはいいがたい家庭で、いつまで経っても暮らし向きに大差はなかった。私が社会に出てからも大差ないのは困ったものだが、だからだろう、母の物持ちのよさには片づけをしながら少し呆れた。

そんな母が亡くなってから、季節がひと巡りしていた。

私もさすがに母親が恋しいという年齢ではない。母の部屋を丸一年そのままにしていたのはむしろナーバスにいろいろと考えなかったからだとも思う。

まあ、いいじゃん。とりあえずこのままでも。

哀しくないわけではないし、寂しくないわけでもない。ただ、敢えて切り捨て、抜け出し、這い上がらなければならないような性質の悲しみではなかったということである。

母の晩年は私も覚悟を深めていくしかない毎日だった。肺の持病と認知症、さらにコロナ禍。自分なりにできることはしたと思うが、何を書いても言い訳にしかならない気もする。

最近になってふと考えたのは、次は自分の番なのだな、ということだった。現状のままでは、私にもしも何かあったとき、親類縁者には結構な迷惑をかけてしまうことになる。

だからまず母と、そして母が手元に残していた父のモノを徹底的に捨て、
次いで私のモノもひと区切りつけておくことにした。自分のモノに関しては、なんとなく父母に詫びるような気持ちもあったかもしれない。

すまないね、おれのモノも捨てるから勘弁してよね。

私のモノもすべて業者に任せてしまえば、おそらく大したことのないボリュームではあるのだけれど、うっかり誰か(例えば妹とか)が自分でやろうとすれば、今回私自身が迷ったように、処分に手こずったり、捨てるのを心苦しく思ってしまうようなものもあるかもしれない。そうしたものがなるべく残らないようにした。昔の写真、かなりの量の日記などなど――私にも、もう必要ない。

父母のモノも自分のモノもほぼほぼ片付いた。妹のモノも、幼稚園の先生から来た年賀状や母子手帳など、呆れるような古いものがあれこれと出てきたが、それは本人が苦笑しながら持ち帰った。

ずいぶんとすっきりし、仏壇以外は私のモノばかりになった家に、女の子のぬいぐるみがぽつんと居ごこち悪そうに残った。初めて女の子の孫ができたときに父母が買ってきたものだ。二人の間でどのようなやりとりがあってこのコを選んだのか、当時ひとり暮らしをしていた私は知らないが、ちょっと個性的(過ぎるかもしれなかった)なそのぬいぐるみは、残念ながら当の孫娘には気に入ってもらえなかったようでずっと父母の手元にあった。

さて、どうしたものかと半月ほど仏壇の隣に座らせておいたが、ふと思い立って神社にお任せすることにした。私はとりたてて信心深いわけでもないのだが、時折、散歩とも小旅行ともつかない気分で神社仏閣にふらふら出かけていく。そうした中に人形の奉斎殿をしつらえている神社があるのを思い出した。よく足を運んでいる神社だ。

ぬいぐるみをデイパックに入れ、さやかな初穂料を包んで出かけていった。奉斎殿には巫女さんがいて応対してくださった。なんだかカフェの店員さんのような明るい笑顔に不意を突かれた。けれど、さらに意外だったのは、自分がその笑顔になんだかとても救われた気持ちになったことだった。何もかも片っ端から棄ててしまったことに罪悪感のようなものはあったが、それは自分で思っているよりずっと強かったのかもしれない。

帰りにひとつ、アイデアのようなものが浮かんで、「まあそういうことでいいか」という気になった。

母の家具も衣類も何もかも、あれは捨てたのではなく彼女の元に送ったのだ、というなんだか至って都合のいい言い訳だった。


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