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1999年/連載より「ライトフライヤー2号」

 おれがまだ5才くらいの頃、ライト兄弟の伝記を読んでもらうことに夢中になったことがある。「空を飛んでみたい」という子供の頃の夢を叶えた彼らに共感したおれは、親父にせがんで紙飛行機の本を買ってもらった。それは単純に折り紙のように作るタイプではなく、きっちり線に沿ってカッターで翼やボディーのシエイプを切り取り、組み立ててはセメダインで接着していく、というどちらかといえばプラモデルに近い構造のものだった。

 おれと親父は協力してひとつめの飛行機を完成させた。しかしそれはまったくといっていいほど飛ばなかった。あまりにも接着剤を使い過ぎたせいか、重すぎて落下してしまうのである。その頃住んでいた10階の部屋の窓からも投げてみたが、紙粘土が落ちてゆくようにしか見えなかった。

 何ヶ月かの間にコツを覚えたおれたちは、ある春の日「最高傑作」を完成させることに成功した。「ライトフライヤー2号」とおれが名付けたその紙飛行機は、完璧なまでのボディラインと重心の微妙さを保っていた。窓の外は晴れていた。おれは親父が後ろで見守る中、遂に「2号」を風にあずけたのだ!

 「飛んだよ、お父さん!」投げた瞬間、おれは叫んだ。ゆっくりと、しかし完全に風を支配しながら、彼女は京都の空に浮かび続けた。丸く旋回しながら、清楚な美女の恥ずかし気なダンスのように、静かに遠くの景色に消えてゆく「2号」。車が走る道路に近づくとさらにもう一度上昇し、最終的に建て替え中の喫茶店の工事現場に落下したのであった。

 おれたちが「2号」を目にしたのは、それが最後だった。もちろん何度も探した。しつこくしつこく探した。工事現場だけでなく彼女がいそうなところはくまなく探したが、見つかりはしないのだった。あまりにも落ち込むおれに「もう一回、作ればいいやんか。郷ちゃん」とまだその頃27、8だった親父は言った。彼は同じ本を買ってきて、同じ形の飛行機をおれに作ってみせてくれたが、それは面白いくらいに全然飛ばなかった。

 2、3日後京都に冷たい雨が降った。おれはびしょ濡れになった彼女を想って泣いた。

(完)

西寺郷太/「バナナないよね」より 1999年

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