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正直者の不運

2014、3,18
 作業しているとさ、交代のオヤジが暇なのか、目の前にやってきて俺が仕上げた材料を手に取って何か言いたそうに眺めている。
 あんまり時間をかけて人の前に立っていられるとつい、作業の事で手落ちでもあるのかとオヤジを見たくなる。  ダメダメ、その手に乗ったら脇見でやられるのだ。粘られても決して負けたらだめだ。
 昔、このしつこさに負けて、連れていかれたやつがいた。隣で俺は、笑いをこらえるのに必死だった覚えがある。

 それは甲府刑務所でのお話。
日曜日に慰問演芸があったので、パイプ椅子の並べられた体育館に工場別に繰り込んでいる最中だった。
 順番が早いと、一番最後の列が揃うまでずっと目をつぶっていなければならない。この黙想ってやつがどうもみんな苦手だ。
 うるさいオヤジが通路のあちこち、舞台の上まであがって「黙想ー」「目を閉じろーっ」と、ここが俺の見せ場だ、とばかりに意気込んでいる。
 府中あたりでは、出席を辞退できるので、このうるさい繰り込みが嫌で出席しないのが大勢いる。
 慰問は部屋のテレビでも流してくれるからだ。
 すると、開演前に空席となったパイプ椅子を、大慌てで片付けるわけだか、こんなに人がでてこないんじゃ、慰問も来なくなっちゃうよね。
 その日も俺たちは、早めの繰り込みだった。
 オヤジは相変わらず、黙想、黙想と、怒鳴り散らしていた。
 舞台の上のオヤジは特に、夕べ嫁さんと何かあったのか、その憂さを晴らそうとしているかのごとく、声もかすれんばかりだ。「おい!そこの奴、目を閉じろって言ってんのがわかんねーのか」「聞こえねーのか、お前だよ」指名してきた、もう連れ出す気だ。
 しかし言われてる奴も目を閉じてるのだから答えるわけにはいかない。
「おい!しかとしてんじゃねーよ。さっきからずっときょろきょろしやがって、前から三番目の右から5番目」。そんなこと言ったって誰も自分が何番目に座ってるかなんてわかるはずないだろ・何のために黙想させてんだよって言いたくなる。
「お前だってんだよ。薄目開けててもわかるんだよ」
そういったとき、なんと俺の隣の奴は、自分が言われてるとずっと思ってたんだろうね。ついにしつこさに負けて、薄目のまま自分を指さして「俺ですか」ってやっちまった。関係ないのにだ。
「ああ?なんだお前は、お前も言うこと聞けねえのか立て!」その瞬間言われてたのは自分じゃないってわかったんだろうね。しかしもう後の祭りだよ。
「おーい、そこの前から二番目の一番端の奴、連れてけ!」
 まもなく始まるい慰問演芸、そいつは見れなかったよ。一番楽しみにしてたのに。

現在

笑ったなあ。なんてまぬけなやつだか。今でもあったときは必ずこの話でいじるけど、あんまりしつこいのもなんだからそろそろ、ね。

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