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死刑囚と私

2014.3.15

週末は、例によって昔話しだな。
 俺は高校三年の夏に初めて薬でパクられた。横浜の伊勢佐木警察から鑑別所に移送になるときに、バスの中で警察官が言うんだ。
「神奈川県警もそのうち問題にされるよな。部屋がないからって少年を殺人犯と同じ部屋に入れちゃうんだから。知ってたか?留置場で一緒だった奴は5人殺してんだぞ。」って。
 確かに一緒だったよ。藤間静波って、言ってた。俺より三つくらい上だった。
 扇形の留置場で、対面にいたやくざに、殺した時の状況を教えろと言われて藤間は、返り血がどう、手が滑ってどうと、いろいろ言ってたけど冗談とばかり思っていた。
 なぜか留置の担当は、誰もが藤間に対して冷たかった。
 鑑別所から帰ってきて、家でテレビを見ていると、藤間が護送される場面がニュースになってた。
 パトカーに乗り込んだ時、藤間は反省してない容姿で、カメラに向かってピースサインを出してた。
 奴の事件は、なんと別れ話のもつれから彼女の一家全員を刺殺したもの。逃げ惑う被害者たちを、キャベツ畑まで追い詰めて、皆殺しだ。

びっくりした。まさか本当のこととは思わなかったし、どちらかといえば感じのいい男だという印象だった。どうしてあれほど担当に嫌われていたのか、まったくわからなかった。
 そして俺はこの、間違いなく死刑になる男と東京拘置所で再会する。

 東京拘置所の図書に勤めた作業中、書籍に差し入れの許可証を張っていると、藤間の名前が出てきた。 あいつだ。13年たった今もあいつの名前は忘れるはずがない。
 お母さんだけが時折面会にやってきて、差し入れを入れて帰る。
 日本国民全部が全て敵に回っても、このお母さんだけは、最期まで味方なのだと思うと胸が詰まる思いがした。
 俺は同囚に聞いた。作業中移動するとき、藤間とすれちがうことあるかって。その時は教えてくれと。
 すると数か月後、敷地内の通路を移動していると向こうから台車を杖代わりにつかまりながらよろよろと歩いてくる男がいた。
「後藤さん、あれが藤間だ」と言われてびっくりした。留置場で逢った時の面影は全くなかった。そしてすれ違いざまに見た藤間の顔はまるで老人だった。13年の独居生活で歩くこともままならなくなってしまったのか。
 ただ死刑執行を待つだけの身となって、気の毒なほどやつれた男は、前方の通路を横にそれた。
 そしてそのまた13年後、八王子の拘置所で、ラジオから流れるニュースが藤間の死刑執行を放送していた。



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