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恩は売れる時に売る

2014/9/6 記
 月形刑務所の、特にこの工場は平和だよ。
 府中や甲府の刑務所の時は、必ずどこか一触即発の嫌なムードが漂っていて、いつも身構えてないと危ない雰囲気だった。
 誰かにむかつかれてるともしれないからだ。
 特に朝の出役時、舎房を出て廊下に並ぶ時は要注意だ。
 よく喧嘩が始まるからだ。
 この時間なら、いきなり殴りかかっても、やるだけやった頃には、オヤジに止めてもらえるからね。
 皆それを狙ってことに及ぶんだ。

 甲府の雑居にいた35歳の頃、やはり出役の際舎房を出ようとすると、一週間前にバツ明けでこの部屋に来た身長185センチの大男が、順番にドアを出ようとしていた年配の先輩の背中をいきなり蹴飛ばした。
 先輩はドアの横に全身でぶつかり跳ね返って倒れた。
 この大男、なにが気に入らなかったのかさっぱりわからない。
 先輩が狙いなのか、誰でもいいのか?
 皆、外に出ていて、まだ舎房の中にいるのは倒れてる先輩と大男、そして最後に出ようとしていた俺だ。
 俺も身の危険を感じたから、止めるついでに後ろから飛びついて引き倒し、裸じめだ。相手がでかいから俺も必死だよ。怪我したくないからね。
 非常ベルが鳴って駆けつけたオヤジたちに引き離されてそいつは連行された。本当なら俺も連れて行かれるところだが様子を見ていたオヤジが言ってくれたのか俺は助かった。
 本来なら止めに入った俺も取り調べなのだ。

 後からわかったことだが、そいつは前の工場で夜中に部屋中水を撒いて、懲罰に行っていたという。
 要はおかしいのだ。
 そんなのがいっぱいいたよ。
 その後、蹴られた先輩は現役のヤクザだったものだから、ことあるごとに他の工場と接触する場面では、関連の組織の人間が俺のところにそっと話しかけてくる。

「後藤さんですか。うちの◯◯が、助けていただいたそうで、ありがとうございました」
と、こんな感じに。

いや、俺も自分の身が心配だったんで、とは言わないよ。
そこはばっちり値打ちをつけてさ、

「ええ。◯◯さんを怪我させるわけにはいかないですからね」

なんて答えておく。
ちょっと恩着せがましかったか?
でもそんなんでいいだろ。

自分でも知らないうちにヒーローになっちゃうこともあるってことさ。
(笑)

PS
若かったからな。
今なら一緒にやられてるな。

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