死刑のある日は

 昨日、安倍政権後4回目として7.8人目となる二名の死刑が執行されたとニュースでやっていた。

 初犯で務めた東京拘置所の図書工場で俺は死刑囚の差し入れや宅下げやパンフなどの担当もしていた。
 明治5年に建てられた木造の工場は床板があちこち反り返っては所々に穴が開いたぼろ床で、隣には猫の額ほどの狭い教会堂がある。高さ30センチほどの舞台があって、正面のアコーデオンカーテンを開くと古い建物には不釣り合いな豪華な祭壇が現れる。
 死刑のある日だけここが開かれ、そこへ坊主がやってくる。
 俺がいたころ、永山則夫ほか4名の死刑が執行された。
 俺の机の上には死刑囚一人一人の名前が書かれたファイルが並べてあって、それぞれの資料が挟んであるんだ。
 ある朝突然「誰誰のファイルをくれ」とオヤジに言われると、その名のファイルを抜き出してオヤジに渡し、リストから外す。死刑執行の手順だ。
 やがてその死刑囚が借りていた、死刑囚専用の特別官本が返却されて来る。
なかには、「長い間お世話になりました」なんてメモを書いて添えてくる者もいる。と、「ああ、こいつは今日やられるんだな」ってわかる。きちんと本を並べたうえ、ひもで結んで縛られており、挟んだメモにはしっかりした文字が丁寧に書かれていたりすると「覚悟ができてるんだな」と感じるね。中には本がバラバラでかごに入れられて届くときもある。
あたりが線香臭くなって、廊下を坊主と、花を抱えた係のおばさんが祭壇に向かって歩いていくと、隣の俺たちは午前中の作業が中止になる。  図書係の俺たちは場所を移動して時間をつぶすんだけど、東拘の最低オヤジが揃う図書工場。
 夏には蒸し風呂のような狭い部屋に閉じ込めて将棋でもやってろ。
 冬は雪が降ってんのにグランドに出されてソフトボールやれってよ。 やることが逆だろってんだよ。だいたい雪の中にボールが埋まったらもうわかんねえよ。くそ寒いのにボール探しで終わっちゃうんだからよ。
 思い出すと、ほんとに意地の悪い嫌な奴ばかりだったなあ。
 俺の刑務官嫌いはここから始まったんだ。

5.6年も前に書いた日記に、ペンタブレット使って色入れてみるんだけど、なんだか出来上がりは何もしない方がいいみたいだな。(現在の意見)

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