オウム真理教と私

1・24
 オウムの平田悟の裁判が始まった。オウムといえば東京拘置所に努めていた時、未決の称呼番号は3000番台までが一般。4000番台が公安。そして5000番台はオウムと決められていた。
 図書工場の俺たちは、誰から何の差し入れが入ったのかわかるから、毎日のように扱っているうちに自然と名前も覚えてしまう。
 オウムのメンバーが読んでる本で、洗脳が解けたか解けないかが分かったりしたな。
 その数年後に二度目の懲役で甲府に行くんだけどミシン工場にいたとき、覚えのある名前に出会った。富樫若清夫。珍しいから記憶に残っていた。
 誰とも話さず、お化けの様に痩せた男で、病人の様にミシンを踏んでいた。
 ある日、「富樫、お前オウムだろ」と聞くと、慌てた様子で、そのことは極秘で務めているので内密にといってきた。そうなると俺の取り調べが始まる。
山形出身の彼は、姉が失恋のショックから気がふれて、自宅を放火。巻き添えになった両親と、病院に送られた姉と、家族をいっぺんに無くして失意の中にいるとき自分を救ったオウムに入信。保険金で受け取った数千万円をすべてお布施して出家する。教団では科学の分野に携わり、地位も得て数々の事件にも関与した。刑務所でも一冊一万円を楽に超える難しい本を毎月三冊ずつ購入し読んでいた。
「富樫、化学が得意なら覚せい剤を作ってくれよ」そういうと、奴は「覚せい剤は化け学の方で、僕のは科学。分野がちがうので」なんて憎たらしいことを言っていた。「お前、ここを出たらどうすんだよ」そう聞くと、「私は尊師についていきます」と言っていた。彼の洗脳は解けていないのだ。何しろ信者に食わせていた、野菜を煮ただけのオウム食。何の味付けもない野菜を水につけて電流を流すとおいしくなると気が付いたのは私だと自慢げに言う。「お前真剣に言ってんのか。いいから娑婆に出たら俺にオウムのパンフレット送れ。体験入学するから」。あれだけの事件を起こした教団には興味がある。一度のぞいてみるのも悪くない。

俺が出所したとき、まさかほんとに入ってるとは思わなかったパンフが来ていた。すぐに電話してみると、修行の声で周りは騒がしい。
刑務所で知り合った男が連絡をしていたのがあまりうれしくないのか、代わりの者が富樫は死んだといってきた。
まあいい。ちょっと見学させてくれよ。体験入学ないのかって聞くと、「またの機会に」とあっさり断りやがった。すると悔しいのでなんでだめなのか食い下がる。何度言っても駄目なものはダメ。なんだよ誰でもウエルカムじゃねえのかよオウムはよお。なんで俺を断りやがって。
富樫、死んでないだろー。オウムに断られた男になっちまった。


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