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「Presents Author Unknown」        Jason Falkner

今は亡き「すみや西那須野店」が好きだった。


「すみや矢板店」にも、更に「すみや宇都宮店」にも行っていたが、居心地が一番良かったのは圧倒的に「すみや西那須野店」だった。


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店内に入ると目当ての棚へ真っ直ぐに進む。
当時夢中になっていた「エルビス・コステロ」の作品を入手する為だ。
県北では此処が一番、コステロ作品が揃っている。

「いっぺんに聴くのはもったいない!」と、俺はワクワクしながら、一枚づつチマチマ買っていく。

阿呆な黒企業従事者である俺にとって唯一の
「生きる楽しみ」が此処には有る。


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90年代当時、日本でのコステロのアルバムは、初期作をMSIレコード、中期から近作までをワーナーミュージックが出していた。

最もMSIは輸入盤にライナーを付ける〝直輸入国内盤”という形態をとっていた。

「コステロ程のミュージシャンが、純然たる日本盤を出していないなんて!?」
俺は心底不思議だった。

それに対しワーナーミュージックの方は、「3枚買ったら1枚プレゼント」という、洋楽好きな貧乏人には嬉しいキャンペーンを年柄年中やっていて、それはそれは沢山買わせていただいた。(買わされていた、か。)

今、改めて考えるとCDバブル飽和状態も末期だったのだ。

一方では「リスクを負わない」方法で、
もう一方では「在庫処分の投げ売り状態」で

また少しづつ時代が変わろうとしていた。
レコードが、そしてカセットテープが消えた様に・・・。


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で。コステロを一枚手に取り、次は輸入盤バーゲン・コーナーへと足を運ぶ。

輸入盤コーナーは出会いの場だ。
未知のアルバム&アーティストとの出会いは至福の悦び!自然と胸が高まる。

「誰これ?」

CD餌台の一番前に「デカい自分の顔パネルを持った男が草原に立つ・・・」
という、何の捻りも無いのに、物凄く印象的なCDカバージャケットが鎮座している。

何となく強い吸引力を感じ、手に取ってみる。

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「じぇ、ジェイソン・フォークナー?」

誰だか知らん。

知らんが、気になる一枚だ。
取り敢えずCD餌台の端に寄せてキープ。
一通り見てから、最後に買うかどうか判断すればイイ。

・・・小一時間程チェック。
例のCDを手に取る。
まぁ、最初から買うつもりだったんだけどね。

次はレコードコレクターズ・バックナンバー棚へと足を伸ばす。

インターネットなど、まだまだ普及には程遠かったあの頃。
レコードコレクターズでCDを調べながら、じっくり吟味出来る環境は正に天国。

出来る事なら此処に住みたかった。

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「そうか。住みたかったんだ!」

どーりで今も店内の様子を良く覚えている訳だ。
そーいや店内奥にはレンタルビデオコーナーがあった。
俺、一度も借りた事無いケドね。

専らビデオのレンタルは町のレンタルショップ「ビデオ・シャトル」だった。
常連になり、バイトマンやシャトルの社長さんと仲良くなって、いつも洋画のポスターを貰っていたなぁ。

両店共、既に過去の存在だ・・・。


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「Presents Author Unknown」
    Jason Falkner    1996年

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ジェイソン・フォークナー

デビューは1988年、バンド「スリーオクロック」でのペイズリーパークレーベル(プリンスのレーベルだ。)からのスタート。
その後は、あの「ジェリーフィッシュ」だ。
アルバムではギターとベースを担当。
ジェリーフィッシュでは目立たぬ存在だったが、脱退後遂にソロデビュー。

しかしいきなりここまでやりますか!!
捨て曲一切無しの名曲満載!パワーポップの大名盤だ。
しかもジェイソンは殆どの楽器を1人でこなすマルチプレイヤー。
このアルバムでもその才能を遺憾なく発揮している。
(他アーティスト作品への貢献参加も多数。
ポール・マッカートニー、エイミー・マン、BECK・・・まさに引く手数多だ。)


エリオット・スミス、マシュー・スイートやブレンダン・オブライエンなどと共に、ひと時代を築いた男である。


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そうか。

Jason Falkner は俺と同世代か。

だからエルビス・コステロに惹かれる訳ね。

しかし、セカンドでのJasonのあの曲。
まんまコステロやん!!!!!阿呆www

追記
2021年現在。
未だ「エルビス・コステロ」は数作を除き、旧譜の純然たる日本盤は出ていない。


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