ライター講座を受けて人生が変わった話。
2年前の話である。
ツイッターのコツは完全に掴んだ僕はバズを量産していた。呟けば必ずバズっていたし、それに比例してフォロワー数も爆増した。いわゆる『アルファツイッタラー』の仲間入りをしたのだが、そんな僕のもとに「コラムの連載をしてみませんか?」いうDMがTwitterに届いた。
送り主は元電通のコピーライターで、奈良新聞社取締をしている西島知宏さんという人だった。電通のことを電気通信(NTT的な何か)の会社だと思っているくらい業界のことをなにも知らなかったので、当然西島さんのことは知らなかった。そして多くの人と同じようにコラムなんてものを書いたことがなかった。
あとで知ることになるのだが西島知宏さんはコピーライター業界では有名人である。ご存じない方は『西島知宏』でググって欲しい。見覚えのあるコピーがいくつも出てくるはずだ。
『日本人初の女性総理は、きっともう、この世にいる。』奈良新聞社“国際婦人デー”の広告で西島さんが書いたものだ。
西島さんのことも、ライティングのことも全然わからなかったが、『140字を15個連ねたら文章になるのだから、なんとかなるだろう』という安易な考えのもとに依頼を引き受けることなり、翌月から西島さんが運営する『街角のクリエイティブ』での連載がスタートしたのだった。
コラムといわれてもどう書けばいいのかわからないので、とりあえず最近の身の回りで起こった事件や出来事を日記感覚で書いてみたり、特に何もないときは記憶の引き出しを開けながら、思い出話を書いてみた。コラムというよりもエッセイ風のなにかを書いていたのだが、最初のうちはポンポンと調子よく書けたものの、ネタはすぐに尽きた。思い出の引き出しは限られているし、日常は平和である。ドラマチックなことなんて滅多に起こらないのである。静かな生活の中で『書くことがなくなる』のは連載を持つコラムニストの宿命なのだ。
ライティングに関しても最初は【140字のツイート×15個】という単純計算で考えていたが、よくよく考えてみたらツイートを15個考えるのも結構大変な作業だ。やってみてはじめて気がついたのだが『ツイート』と『2000字』の文章は作り方が違う。ちょっと考えればわかりそうものだが、僕はライティングをなめていたのだ。
そしてライターを始めたばかりの僕は超イキっていた。勢いのある文章で意外とPV数を稼げていたので完全に調子に乗っていた。
「文字数が足りてなくても面白ければいいじゃないですか!」
「僕は編集いらないんで、そのままの文章で出してください!」
こんなことを編集長の西島さんに言って困らせていた。
タイムマシンで戻れるなら、あの頃の僕を助走した上でかなり強めに殴りたい。
『相手は言葉の神様ぞ??』
そんな僕を見放さずに、連載を続けさせてくれた西島さんには感謝しかない。(この場を借りてありがとうございました!)
「文字数が足りてなくても面白ければいいじゃないですか!」
こんなことを言っていたが、たしかに短くても良い文章は存在する。しかし僕の場合は単に『書けない者』の苦しい言い訳に過ぎなかった。ストーリーをちゃんと伝えようとしたら必然的にボリュームが出てくるものだ。まずは『切り口』、そしてどう『深堀り』をするか。そして『ディテール』をどう書き出すか、この3点がちゃんとできるかで差が出てくる。僕の場合はどれもが力不足だったので文字数が足りなくなるのは当然の結果だった。素人がいきなり文章を書こうとすると、この文字数が足りなくなる『2000字の壁』に最初にぶち当たる。
「僕は編集いらないんで、そのままの文章で出してください!」
こんなことも言っていたが(僕なんですけど)
ほんとにこいつは何様なんですかね?(僕なんですけど)
いまならわかる。素晴らしい文章には良き編集者の存在が必要不可欠である。当時の僕は編集者の存在意義をまるで理解していなかった。
『自分で考えたそのままの文章が一番面白いに決まっている!』と思い込んでいたのだ。しかし記事を何本も編集してもらっていくうちに、編集者の存在意義を完全に理解した。今までに何人もの素晴らしい編集者と出会ってきたが、編集によって文章の質がグンッと良くなる。凄腕の編集者だと提出した初稿が『どこかの天才が書いたんですか?』と思うくらいに素晴らしい原稿になって返ってくる。
文章の基本もわかっていないのに生意気を言ってイキっていた僕でしたが、苦戦しながらも工夫をして、サイト内の月間ランキングではいつも1位か2位だった。そしていつも1位争いをしていたのが『読みたいことを書けばいい』の著者である田中泰延(タナカ ヒロノブ)さんだった。
ヒロノブさんの文章は圧倒的に上手かった。読者にストレスを与えず、グイグイと文章の世界に引き込むパワーがあり、文章の書き方にグラデーションがあった。私生活を漫談のように書き綴ったと思えば、映画評ではそのままパンフレットに載せられそうな、徹底的に調べ上げられた綿密な記事も書いていた。旅紀行もまるで自分が旅をしたかのような読後感があった。ヒロノブさんの文章はその時々で書き方が変わり、いろいろな表情を持っていた。記事を読むたびに「いったい刀を何本持っているんだ」と毎回驚かされるのと同時に、自分の文章の拙さを気付かされるのであった。もちろん僕は素人に毛が生えたような三下ライターだったので、実力の差は火を見るよりも明らかだったが「こんな文章ではまだまだライターとは名乗れないな」と日々痛感していた。
ヒロノブさんに触発されて書くことを本気で勉強してみようと決意をして、西島さんが主催していたライター講座、明日のライターゼミ【明日ゼミ】に入ることにした。この決断が僕の人生のターニングポイントだったと今でも思う。
明日ゼミでは今回【ぶんしょう舎】でも登壇していただくヒロノブさん、橋口幸生さん、トイアンナさんの講義もあったのだが、どの講義でも「そういうことだったのか!」と自分の目から鱗がポロポロとこぼれ落ちるのを感じた。そして通いはじめるようになってから、明らかに以前よりもわかりやすい文章になっていた。明日ゼミに通う前までは文章は感性で書くものだと思っていたが、文章のロジックと技術がちゃんと存在して、それを習得すれば格段にライティング能力は上がることを実感した。それは僕だけではなく周りの受講生にも感じたのだが、2年前に明日ゼミで一緒に学んでいて、当時はそんなに有名じゃなかったのに、今ではめちゃくちゃ活躍している人たちがたくさんいる。そして明日ゼミの良かったところはライターを目指す人だけではなく、各分野で活躍するプロフェッショナルもたくさん勉強しに来ていたのが良かった。その人たちから学ぶことも多かったし今でも仲が良い。
『ライター講座を受けて人生が変わった』というのは決して大げさな話ではない。2年前の春から冬までの半年間、文章を学び、書いて、あがいた。その時間は僕にとってかけがえのないものだった。
2020年11月からライター講座【ぶんしょう舎】を主催することになり、最高の講師陣に登壇してもらえることになった。僕が知りうる限り最高のライター、コピーライター、編集者にお願いすることができた。すでに147名の方が申し込んでくれたが、全6回の講義を通して学んでくれたら、この147名の中からかならず活躍をする人が出ると確信をしているし、応援をしたい。
そして活躍の場は一見、書くこととは無関係な分野かもしれない。しかしどの分野においても思考を言語化することは重要である。パッションを言葉にして伝えることができれば、いろいろなことが実現していく。
「夢は口にするところからはじまる」
よくそういわれるが、ただ口にしただけでははじまらない。より具体的に、わかりやすく、そして聞いた人がワクワクするような言葉でないといけない。ライターを志す人だけではなく、言葉の力をつけたい人にも【ぶんしょう舎】の講義を受けてもらいたい。
僕がライター講座で学んだことを、【ぶんしょう舎】で次の人に渡せればと思っている。
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