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ある日、森の中くまさんに出会った。

僕はなるべくその人の発した言葉をそのまま受け取るようにしている。言葉は深読みしようとすればいくらでもできる。しかし「こう言っていたが、実はこう思っているのかも...」と疑い始めるとキリがない。だから僕は素直な言葉をいう人と付き合っていたいし、素直に受け止めようとも心掛けている。たしかに言葉の裏返しみたいなこともよくある。「大丈夫」と言っている人が全然大丈夫ではないこともよくある。顔で笑って心で泣いている人もいる。そういう人の気持ちには敏感でいたいと思ってはいる。しかしやっぱり深読みはせずに一回はその人の発した言葉をそのままに受け取って信じたい。

恋愛で悩んだりすると「相手の言葉をそのまま受け取っていいのかわからない」状態に陥りやすかったりするので特に深読みは厳禁だ。

「どういうつもりで言ったんだろう...」
「あの言葉はホントなのかな?」
「口ではああ言っているけど...」
「あれ?もしかして私、嫌われてる?」

もう考え出したらドロ沼。しかも相手に確かめようもない。あからさまな態度を示していない限りはシンプルにそのまま受け止めた方が精神衛生上、良いに決まっている。これは恋愛に限らず対人関係でも同じことが言える。例えば仕事でミスってしまったときに「全然気にしなくていいですよ〜」と声を掛けられたとき『いや、絶対にそんな風には思ってない、ダメなヤツだと思われた!』なんて思ってはいけない。気にしなくていいのだ。いや、ちょっとは気にする必要はあるけど、サラッと流せばいい。気にしても無駄なんです。相手の優しさだけに感謝して、次頑張ればいい。

これはあくまでも一例だが、相手の言葉の裏側を読み取ろうとして疲弊している人は多い。おそらく過去に傷付く出来事があったのだ。手放しに信じることできなくなっているのも仕方ないのかもしれない。自己防衛本能とも言える。しかし自己防衛が自分の人生の可能性を狭める結果になってしまう。

イエスマンという映画がある。
すべてのことにNOと言っていた男がすべてのことにYESと答えるようになって人生が劇的に変わっていくというストーリーだ。

前半のNOパートではすべてのことがうまくいかなくなる。自分の時間だけを大切にするために誘いはすべて断り、仕事でも面倒だなと少しでも感じると避ける。自分の周りの出来事に対してシャットダウンして受け入れようとしない。主人公は三年前に離婚をして、そこから塞ぎ込んでしまったのだが、周りの友人たちは何を言ってもか「NO」と答える主人公に次第に愛想を尽かしてしまう。

この前半NOパートなんですけど、観ている方は周りの友人の擬似体験をする。観ているとマジでイラつく。こんなヤツの友達は辞めたくなるよなと思う。周りの声を掛けてくれる人たちを素直に受け入れないことがどれだけ自分にとって悪影響なのかがよくわかる。

そのフラストレーションを後半のYESパートで見事に解決してくれる。すべてのことにYESと応え始めると一見トラブルに巻き込まれているようだが人生がドラマチックに変化していく。ホームレスに金をくれと言われて有り金を全部渡すのだが、その後に運命の相手に出会うことになる。ちゃんと痛い目も見るのだが結果としては人生が楽しくなっていくのだ。

「それは映画の話であって〜」と喉まで出掛かった人にはイエローカードを出したい。自分の人生をつまらなくするのは、その心だよ!あと一枚で退場なので素直な気持ちで最後まで読んで頂きたい。

そもそも人は失敗を恐れ過ぎている。
たしかに森でヘビに噛まれたら「あの森にはもう行かない方がいい」と思う。自己防衛としては正しい。しかし森の奥には美味しい果実が待っているのだ。その果実こそが人生の歓びなのである。失敗があった方が物語は面白くなることをみんな知っているはずなのに、なぜ自分の物語では失敗を恐れるのであろうか。失敗のない人生なんて味気がないのに。

僕は高校の時にワンゲルに入っていたのだけど、リアルな話、森でクマに遭遇して追い掛けられたことがある(しかも二回)しかし僕は登山は辞めなかったし、山頂を目指した。山にクマはいるけどそれを恐れていたら見れない景色があるのだ。

生きていると色んな人と出会うし、イベントに遭遇する。自分の思うようにならないことの方が多いし、痛い目を見ることもある。しかしそのことを恐れていけない。痛みの向こう側に果実が待っているのだ。そこで足を止めてしまったら残るのは痛みだけ。蛇がいてもクマがいてもその歩みを止めてはいけない。

まずは素直に受け止めて、YES応えてみよう。

この続きはまた今度。それでは良い人生を!


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