インプットのためのアウトプット
我々の知的行動は大きく分けて、インプットとアウトプットの2つがあります。
ググったり、Youtube見たりするのはインプット。
こんなふうにnoteを書いてるのはアウトプット。
人に伝えたいという目的のもと情報集めするのを「アウトプットのためのインプット」と呼んだりしますね。
ブログ記事を書いているときの裏取りなんかは、それですね。
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インプットとアウトプットが偏ると、だいたい良いことは起きません。
アウトプット過多だと、アウトプットの質が低下しやすいですね。同じことばかり繰り返していたり、いろはすぐらい薄いアウトプットだったり。
(いろはすレベルは濃くないか?)
インプット過多だと、「あれも書かなきゃ、これも書かなきゃ」で倒れます、私みたいに。
そこでなんとなく気にかけている(気にかけはじめた)のは、インプットのためのアウトプット。
学校のノートは、まさにそう。
覚えるために板書したりメモしたりするわけです。
エンジニアとして生きていると、「議論は空中戦じゃなく地上戦へ持ち込め」という鉄則が強制的に身につきます。
要は上辺だけの言葉じゃなくて、目に見える形でアウトプットすることで、議論全体がまとまって良質なインプットが得られるわけです。
私は、学校のノートが非常にキレイと評判で、テスト前はいろんな人に借りられてました。
困ったことに、自分は自分のノートをあまり参考にせず、テストもひどい点をとるのでした。
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アウトプットする機会を失い続けた今、noteやブログを学校のノートみたいに使ってもいいじゃないか、と思えています。
自分が身につけた内容を整理するため。
頭をきれいにするため。
仕事におけるノート術が、まさにそう。
ノート術の本を色々買い漁っていた時期がありましたが(見事にどれも身につきませんでしたが)、結局どの本も言いたいことは「頭をキレイにするためにノートを取ろう」でした。
良質なインプットのために、アウトプットをしよう。
劣悪でもいい、出したり入れたりを繰り返すうちに、インプットもアウトプットも良質になるはず。
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…と信じて、書き散らしたのがこちらの記事になります。
お粗末さまでした。
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