やれる時にやっておいた方がいい

この話は一部ノロケ話に近いかもしれない。

僕は過保護な親のもとで育った。
お金をかけてもらい、わがままを聞いてもらい、問題は全て親が解決して、親の期待に沿って動いた。

反抗期なんてなかったし、進路も全て親が決めた。
中学時点でそこそこ成績が良かったので、高校は内申点だけで受かれる私立の大学附属に行き、エスカレーターで大学に行った。

着る服などもだいたい親が決めた。
なんといえばいいのか、自分なんてものはなく、ずっと他人の人生を生きているかのようだった。

そう、書いていて思い出したが、進路どころか、就職先すら親の意見に従ったのだった。

初めての大きな意思決定は、社会人1年目。
親の希望で家から通勤していたが、そうそうに忙しさの限界を迎えた。

なので、家を出ようと思ったのだ。
今思うと初めての意思決定としては大きな選択だ。

しかし、それはまさしく転機だった。
反対されながらも一人暮らしを始め、圧倒的な自由があった。

典型的な実家育ちとして、洗濯機もまともに回せないところからだった。
けれど、自炊をしたり作り置きをしたり、部屋のレイアウトを考えたり、少しずつ自分で調べて学んで決めていった。

それはもう楽しかった。

そのあたりで妻と出会った。
職場での出会い。

出会いの詳細などは省くが、初めて、家族以外の人に自分自身が認められた気がした。

おかげで、少しずつ、自分本来の気持ちを前に出せている気がする。
あれをやってみたい、これが苦手だ、あんなことはどうだろうか。

妻のおかげで、好奇心に気づけたことがたくさんある。嫌だったんだと気づけたことがたくさんある。

だから、妻は最愛のパートナーであると同時に、一番の恩人でもある。

芽生えた好奇心によってあれこれやりたいことはある。
それはもうたくさん。

けれど、それ以前に妻に貢献することの方が優先度が高い。
貢献には家事育児が入っている。

つまり、小学生の娘と1歳の息子の育児も当然優先事項だし、貢献に含まれる。

となると、とにかく時間がない。
家事育児仕事で日々が過ぎていく。

自分のしたいことがやれていないな、とは思う。
けれど、そもそもとして気づかせてくれた妻への貢献が先。
気づくのが遅かったなーとしか言いようがない。

やれる範囲でやっていこう。

ここ最近、仕事が忙しくなり、娘の反抗期のようなものにも振り回されて、いっぱいいっぱいになっていた。
ので、夕飯の鍋を作りながら改めて自分の考えを整理してみた。

何が言いたいかというと、時間はどんどんなくなっていくので、やりたいなと思うことがあったらやれるうちに手をつけましょう、ということ。

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