忙しくても考えてしまうこと

最近とても忙しい。
はずなのに、ついやりたいことを考えてしまう。

ポジティブに考えると、忙しい時でも思い浮かぶくらいやりたいことであること。
ネガティブに考えると、妄想が進んでやりたいことが肥大化してしまうことと、やりたいことがやれていないな、という暗い気持ちが溜まること。

僕は多趣味なのか好奇心旺盛なのか刺激に弱いのか、やってみたいなと思うことがたくさんある。

行動にも移せていることもある。
長続きもしないし、散発的だから生産的でもない。

自分はどこに向かっているのだろう。

キャリアの不安もある。やりたいことじゃなく、仕事として求められることも学んだほうがいい。

健康も大事だ。
運動をして、よく眠って、栄養たっぷりの食べ物を摂る。

家族との時間もとっても大事。
ゆっくり紅茶でも飲みながら話したいし、触れ合いたい。

やったほうがいいな、やりたいなと思うことはいくらでも出てくるのだ。

この中で何を優先して、何を選ぶかが、いわゆる個性につながっていくのだろう。

なーんてことを考えていると、では自分はどうあるべきか?というふんわりとした問いが浮かんでくる。
この問いに答えなんてない。答え合わせすらできないだろう。
要は気の持ちようということだ。

どうありたいか。
誰もが、幸せでありたいだろう。

じゃあ自分にとっての幸せとは何か?
家族と過ごすこと?趣味に打ち込むこと?仕事で成功すること?
人によって千差万別。

モデルケースなんてものも、このご時世では難しいだろう。

どう生きるか、どうありたいか。
昔の分かりやすい成功例である、働いて結婚して車を買って家を買って…みたいなレールには乗りづらい。

なんだかんだ、後から振り返って幸せだったなーと笑える生き方がいいのだろう。
たぶんそれは、後から振り返ると言えることで、当時は大変なこともあるはず。

つまり、今夜泣きで体調不良になり、仕事がすごく立て込んで残業続きで、心身共につらくても、後から振り返ると笑えるはずなのだ。

いつかそう思えるはずだから頑張れ!という自分への鼓舞。
本当は今やりたいことについて整理をしたり考えすぎてしまうことへの対策を書きながら考えようと思っていたことを今思い出す。
脱線どころか発車時点から方向違いになっているが、なんだか心地よい。

ぼんやりと、文章を書くというのもいい娯楽だ。

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