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俺がnoteを始めたわけ

YOYO!!
俺の名はGORO。NFTを作っているアーチストだYO。

ツイッターでよくPOW‼って言ってるオッサンを見たことがあるかい?それが俺だ!

ところで最近ディープなゴロリアン達から「もっとGOROアートの核心に迫る情報が知りたい」というハガキが送られてくるようになってきた。
確かに今の所、俺の芸術上の主張や信念といったマジメな話が記録されている場所は世界中のほぼどこにもないんだ。

そこで、今後はこのnoteを使ってよりマニアックな情報を発信していく予定だから楽しみにしていてくれ!!(^_-)-☆

今回は手始めにGOROがNFTを始めた頃の話や、今に至る経緯を軽めに語ってみたいと思う。
次回以降はアートの話なんかもしていこうと思うYO!!


--STAY TUNED--

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【プロローグ】

GOROはかつて美術の道を志す大変有望な若者であったが、芸術家になり損ねたばかりか大量の負債を作った挙句にアルコールに溺れ、昨今では息を吸っていのちを食べて排泄するだけのサルではないとは決して言い切れないような醜態を晒していた。

2020年のそんなある日、画面がバキバキになったスマホでスマートニュースを見ていたGOROはある言葉を発見した「Non-fungible token」刹那、大脳新皮質に電流が走り遥か昔に失った人間としての記憶が一瞬、GOROにヤッホーしてきた。これまでの経験から、現物のアート作品を部屋にストックするコストや経年変化との闘い、面倒な美術品配送、ギャラリーやデパートからの7割近い中抜き、信ぴょう性の分からない真贋鑑定、などなどの大変さが身に染みて分かっていたのだ。それらが一気に解決するとなると美術への参入障壁は崩壊する。おそらく、Youtuberがタレントを駆逐したように、これからは大量の素人が作品を作ったり売ったりする事を始め、いづれ古い「美術家」達を食ってしまうのではないか・・・

しかし、それと同時になんかめんどくさそう!と思ったレイジーなGOROは焼酎を飲んでNFTの事などは忘れ、その日は寝てしまった。なんという迂闊!

時は流れて2021年の春、いよいよ借金の返済に首が回らなくなってきたGOROはついに勝負に出た。更に借金してiPadを買い、あの「NFT」の販売を始める事にしたのだ。その頃には親切な解説サイトがいっぱい出ていたので超カンタン☆だったが、若干出遅れた感は否めなかった。とりあえず毎日3枚くらいスケッチ的なやつを描き、InstagramとTwitterで宣伝を始めた。(クリプトゴローを開始する前の時代の話である)

いちばん最初の絵

https://opensea.io/assets/0x495f947276749ce646f68ac8c248420045cb7b5e/93780919874639963794053430560820856568833509252098614288113507692135552385025/



【POWの起源】

当時のGOROは数名からしかフォローされてないどう見ても怪しいアカウントであり、売れる方法もサッパリ分かっていない状態だったが、ある仮説を胸に抱いていた。

「絵自体に価値はなく、流動性が価値を作るのではないか?」

もし、絵自体に価値が内在していてただ単に絵さえ良ければ高い値段で売れるのならば、なぜフランスの蚤の市で巨匠の作品がそれと気付かれずに1000円くらいで売られてしまったり、有名な人の絵だと分かった途端に億の値段がつくような悲劇が起こるのだろうか。或いは、なぜ芸能人の描いたゴミみたいな絵が数百万円で取引されたりするのか。(その後、考えが方がやや進化するものの、とりあえず当時はこの程度までしか考えていなかった。)

詳細は割愛するが、そういった事をもにょもにょと考えながら日々ツイッターの使い方を模索していたのだ。そして圧倒的に不足している流動性=つまり知名度を補うためローコンテクストで、マス層にリーチできる情報発信が得策と考えたGOROは下記のような方針を策定した。

・日本のマーケットは当時そこまで活発ではなかったから、言語は英語。
・誰でも理解できる言葉で人柄が伝わりやすい表現をする
・天気や食事など最大公約数の多いテーマを話す
・文章すら読まない人の為に写真も投稿する

そして熟考に熟考を重ね、ついにGOROはツイートした。


「FUCK」



続けて、文字を読まない人向けにその日食ったゴミみたいなメシの写真も投稿した。

・・・・

この作戦が成功したのかどうかは不明であるが、これが始まりであった。
その後この「FUCK」は長い時間をかけて突然変異を繰り返し、現在の「POW‼」になったのである。


【アーチストとしてのGORO】

しかし、最近(2022年)になってGOROは冷静に考えた。借金まみれのGOROの夢は「死ぬ前に一度でいいから自由を謳歌したい」、そしてあわよくば「アーチストとして認知されたい」という事だ。それなのに俺は、朝から晩までずっとPOWPOW言ってるだけでいいのか?
例えば、美術館なんかに行ってキャプションに「最強最悪のアーチストだPOW!( `・∀・´)ノヨロシクだPOW!」とか書いてあって、それ以外に一切情報が分からないアーチストなどいるだろうか?いや、いない。


GOROがこれまで封印してきた芸術に対する考えを、どのレベルまで語るべきかは分からない。しかし、少なくとも初めてのNFTを作ってから1年弱が経ち、作品の価値を上げていくという意味でも「なんかPOWPOW言ってる変なおっさんの絵」という段階から「石畑悟郎というアーチストの絵」という段階へステップアップしていく時期が来たと考えている。

もっとも、今アーチストにステップアップしていくと簡単に言ったが、これはかなり難しい事だ。芸術とは性質的にハイコンテクストなものである。ハイコンテクストとはつまり、良さを理解する為にある程度ハードルが設定されているという事だ。不特定多数の有象無象の者達からイイねしてもらう事を目的とする「エンタメ」とは対極に位置していると言えよう。
つまり、芸術家という商売はSNSと相性がよくない。例えばこのnoteだって、最後まで読んでくれる人なんてフォロワー100人につき何人いるだろうか?さらにそこから、深く理解してくれたり購買行動につながる人がどれほど出て来るだろうか?一朝一夕で結果が出るものではないし、これをやったから数か月後に#BAYCを超えられる。というものでもない。

それでもGOROは、創作物について最低限の説明をする事はアーチストとしての責務だと思っている。そして、単に商業的な意味合いだけではなく教育者としてGOROの持っている知識を伝えたいという欲求も持っている。NFTは創作活動を一般の人々に開放した。そして、創作に関する知識も無料で広く開放されればそれはとても素敵な事ではないかと(余談ではあるが、日本の美術教育制度はクソだ!!)。

おそらく、GOROがこれから書くnoteは、ロバート・ヘンライの「アート・スピリット」のようなバイブルとなるだろう。もしかしたら、歴史を変えちゃうかもしれない。そのくらいの本気度で取り組んでいく積りだ。
最後の行まで読み進めてくれた君だけにこの言葉を贈る。

油断するな!!!

GORO










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