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大学を辞めた理由が、、、

神奈川県在住22歳どこにでもいる普通の人です。

気楽に見ていただければ幸いです。

始まりは『まさか』という坂との出会い

簡単に

僕は去年の5月までただの大学生でした。

小学生から続けさせてもらってた野球で地方の大学へ進学し、ピッチャーとしてプロ野球選手になる事を目標に日々練習をしていた。

ご存知の方もいると思いますが沢山のプロ野球選手を輩出してる名門大学で1年生の秋の全国大会でベンチに入れてもらい、試合には投げれなかったのですが、自分の無力さをより感じ日々の練習に励んだ。

そして冬の練習を越え、2年生の春のリーグ戦が始まる3日前の調整試合で事は起きました。

先発で試合開始2球目の事です。

「ブチッ」

実際には音は聞こなかったのですが、投げた瞬間肘から先がどこかに飛んで行った感覚でした。(リアルです笑)

その試合は僅か3球で降板。

その日の帰りのバスでは、リーグ戦どうしよう、このままじゃプロに行けない、いつ治るんだろうということばかり考えていました。

翌日病院へ行った所「内側側副靭帯断裂」

薄々は気付いていましたがそれはないかと心のどこかでは思っていました。それで普通の靭帯はブチブチちょっとずつ切れるそうなのですが僕の場合一気に切れたみたいで肩や肘を痛めた事がなかったので嘘だろと思いました。

そこで『まさか』という坂に出会いました。

僕自身ポジティブなので治るだろうと思っていました。当時大谷選手が始めにやったPRPというまだあまり認められてない自分の治癒力だけで治す方法かトミージョン手術で僕は考えた末、PRP治療法を選択。

この選択をした時、僕は覚悟を決めていました。

手術はしない。

この結果がどちらに転んでも後悔はしないと。

そして後悔しない為には今を頑張ること、と治療しながら怪我をしないための体作りを一から始め、復帰したら思いっきりボールを投げてやろう!この身体なら平気だ!と自信はありましたが、、、

結果は失敗。

靭帯は一度切れたら仮の靭帯はできるのですが修復はしないのでダメでした。

僕はそこでこいう運命だったんだな。いつまでも下を向いても良いことはないと思い、プロ野球選手の目標を変更しました。

プロ野球選手になる道をやめ、次は社会人の一流を目指そうという方に方向転換。

僕自身、大学は野球の為に行ったのでその野球をやめると決めたらもう居る意味ない。

そして大学の監督に心の内まで全て話しました。俺は学校側の人間としてはお前を止めるしかないけど、俺個人としては辞めても良いと思う。お前は成功できると言って貰った時いい監督に出会えたなと今でも感謝しています。

そして去年の5月に大学を辞めました。

やりたい事をやろう

次回このやりたい事をやろうについて書きます。

そして次の目標は何になったのか。

この記事を読んで頂きありがとうございます。

よろしければコメントやDMなども受け付けてるのでご意見、ご感想の方を聞かせていただければなと思っています!

本日はここまで

ありがとうございました!