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太ったチー牛がボクシングと出会い人間になるまで

人間になったのは19歳になる少し前だった。

・このnoteを書くきっかけ
・自分は人間ではなかった
・人間への昇

・暴力の価値
・せめて、人間らしく

・このnoteを書くきっかけ

ここにたどり着いた人の中で白饅頭氏を知らない人はほとんどいないだろう。私は白饅頭氏が書いたとある記事を読んだところ、過去のトラウマがフラッシュバックされ思わず連ツイートをしてしまった。

すると、初めてツイートのいいねが100を超えた。こんなクソみたいな体験談でも、読んで面白がってくれた人はそれなりにいたようだ。インプレッションとやらは8万を超えていた。これは8万人が僕のツイートを見たことを表しているらしい。正直信じられない。

9月27日

人生初のバズを経験し満足していると、なんと記事の作者にリプをもらえた。

せっかくリクエスト頂いたので初めてnoteを書くことにした。ちなみに僕は小学校の読書感想文がどうしても書けず、先生の定期的な説教にも抗い、ついにはバックレ通した経験の持ち主である。まともに文章を書くのは人生で初めてに等しく、読み辛い点が多くあると思うが容赦してほしい。

このnoteは太ったチー牛がボクシングに出会い人間になるまでのお話です。

自分は人間ではなかった

僕の通っていた小学校は平和だった。おそらくいじめという概念が無かったと思う。不登校者もいなければ、理不尽な暴力を振るうもの/振るわれるものはいなかった。陰キャも陽キャもみんなそこそこ仲良くやっていたと思う。

例のツイートの出来事は中学校で起きた。世の中が理不尽であることを知ったのは、中学校に入ってからだ。

中学は他の地域の小学校と合流する形になったのだが、他の小学校は自分の地元より治安が悪かったらしく、僕はそこで、言葉や暴力で「他者の人権を侵害することに疑問を持たないどころか楽しむ人間」がいる事を初めて知った。

当時の僕のスペックは、不細工、デブ、ゲーム好きの陰キャ、といった感じであった。そんな人間が学校というヒエラルキー社会で底辺に割り振られるのにそう時間はかからなかった。理不尽な言葉や暴力を食らい学校から泣きながら帰ってきて親を心配させた事もあった。当時はなぜ急に人から見下され始めたのかわからず困惑し泣いた事もあったが、世の中とはそういうものなのだと次第に理解していった。

ここで、正真正銘の陰キャであることを証明する為に自分が過去に受けた扱いについて、いくつか紹介する。

中学時代
・ヤンキーの3年生に目を付けられ、帰りに鉢合うと追いかけられた。その度に走って逃げた。

・あくびをする → クラスメイト「眠そうだな」 → 自分「うん」 → ビンタされる

・太っている事から柔道部に勧誘を受けた。上級生に「素質あるよ」、「強くなりそう」などとおだてられて入部した自分が愚かだった。入った後は上級生にジャイアントスイングの流れで投げ飛ばされたり、よくおもちゃにされた。よく泣いていた。1年と少しで辞めた。

・廊下から他クラスの女子に呼び出され、ツイートの事件が起きる。告白の言葉を聞いても、告白されたと勘違いすることは無かった。なんというか「ゴミを見る目」というのを、ゴミなりに理解していた。

・「仲良くなった」女子がいた。彼女は陽キャかつ容姿も優れた存在でありながら自分を格下扱いする事は無かった。仮に陽子としよう。特に用が無くとも話しかけてくれた彼女は、僕にとって女神のような存在だった。

修学旅行の行きのバスの中でオロナミンCを飲んでいると、陽子に「ひと口ちょうだい」と言われた。間接キスである。内心、天にも上るような気持ちだったが、平静を装いビンを渡した。彼女は一口飲むとすぐ僕に返してきた。

僕はなんだか恥ずかしくて彼女の前でそのビンにすぐに口を付けることが出来なかった。彼女が別の席に行って友達を話し始めると、僕はやっとビンに口を付ける事が出来た。その時も極めて冷静に、何も気にしていないふりをしていたのを覚えている。別に誰も僕の事など注目していないのだが。

帰りのバスの中で、その子を含めて数人のグループで話をしていると、「キスをしたことがあるか?」という話題になった。クラス上位の陽キャ(彼女持ち)が「お前はないだろww」と言う。僕は「まあ、無いけどねwいいだろ別にww」と返した。

キスが何だというのだ。僕は今日それに匹敵する体験をした。キスなんか何も羨ましいと思わない。本気でそう思っていた。

すると彼は「間接キスも無いの?w」と聞いてきた。僕は「あるよ」と答えた。陽キャの顔が「おっ?」と興味ありげな表情に変わる。

もちろん、僕は行きのバスでの出来事について話すつもりは無かった。そんな事をすれば彼女の立場が悪くなるかもしれない。それくらいはわかっている。自分はその辺の陰キャと違って自分を弁えている陰キャだ。言うつもりはなかったし、詳細を聞かれても適当にはぐらかすつもりだった。それなのに「ある」と答えてしまったのは、馬鹿にされる事に少しだけ抵抗したかったのかもしれない。

だが、ここで陽子は思わぬ行動を取った。僕の「あるよ」に対して食い気味に、言葉を差し込んできた。

陽子「あるの?って事だよね!?」
僕「え?」
陽子「陽キャくんはあるの?って事だよね!?」
僕「え?・・いや・・・」
陽子「(僕)くんは、陽キャくんは間接キスした事あるの?っていう質問をしたんだよね!?」
僕「・・・・・うん」

おわかり頂けただろうか。彼女は僕と間接キスをした事が明るみに出る事を恐れ、言うなと釘を刺したのである。

その時の陽子から感じた感情は「怒り」「蔑み」ではなく「危機感」だった。僕のようなヒエラルキー下位の人間と間接キスをしたという事実が明るみに出れば自分のクラス内ランキングに悪影響が出るのは避けられない。それだけは阻止せねばならない。彼女は自分を守るのに必死だった。

「仲良くなった」というのは僕の勘違いだった。僕は「周囲から僕と仲がいいと思われる事」そのものが彼女にとっては加害となる底辺の人間だった。自分がそうである事はなんとなくわかっていたが、明確な態度で示されるのは辛かった。

高校時代

・登校中に歩きながら肉まんを食べてたら女子二人組に「キモww」と言われた。周りにも何か食ってるやつはいたのになあ。

・筆記用具を隠された。返せといったら殴られた。周りに人は居たが誰も助けてくれなかった。

・陽キャに廊下からデカい声で「おいブタ!ww」と指を指されながら言われた。クラスに人が大勢いる前で。僕は苦笑いするしかなかった。みんなはどんな顔で僕を見ていたのだろうか。

・電車通学の際に、自分が乗っている車両に中学生の時同じクラスだった女子が乗って来ようとして、車両のステップに足をかけた瞬間、正面にいる僕を発見するとUターンして別の車両に移った。僕は携帯をいじるふりをする事しか出来なかった。それまでは電車で会うと、話しかけたり話しかけられたりしていたが、それ以降話しかけることは止めた。

・高校最後にクラスのみんなで某バラエティ番組のパロディのショートムービーを撮ろう、という話になった。みんなで構成を考え、僕は撮影班の一員として、土日も学校に来て撮影した。撮影も終わりしばらくしたある日、登校するとクラスに自分以外は2人(オタクで陰キャの奴)しかいなかった。ホームルームの開始時刻の少し前、クラスのみんながゾロゾロと入ってきた。なんだかすごく盛り上がっている。話を聞くとその日は上映会の日で、みんなは早く登校して映像を見て朝から盛り上がっていたらしい。僕は知らなかった。

ひとまずこんなところ。僕が底辺の人間である事は理解して頂けただろうか。なんか書いてて泣きたくなってきた。どんだけ情けない人生歩んでるんだ僕は、と我ながら思う。そもそもなぜ僕は労力をかけて過去のトラウマを思い出しているのか。意味がわからない。記事の作者にnote書いてほしいとか言われてテンション上がったは良いが、マジで辛い。たすけて。

話を戻すが、僕はドラマに出てくるような苛烈ないじめにあったわけではない。暴力も多少あったが大した事は無かった。これを読んでいる人の中には「俺の扱いはもっと酷かった。こんなの大したことじゃなくね?」という人もいるだろう。だが、僕はこれが本当に辛かった。過激なイベントこそ起こらないが、「ただなんとなく、みんなが僕を下に見ている」という感覚。わかる人にはわかるだろう。僕の人権を軽く扱う行為は、いただきます、ごちそうさまのように自然に行われ、そこに誰も疑問を持たないのだ。

6年間の下層での生活は普通を夢見る事を諦め、底辺をさまよい続ける覚悟をするには十分な時間だった。僕の一生はずっとこうなのだと思っていた。

ボクシングに出会うまでは。

・人間への昇

大学に入って1カ月くらい経った頃だろうか。大学での陰キャポジも安定してきた頃、クローズZEROという映画を見た。小栗旬が主役を演じる高校生が、ヤンキー高校の頂点を目指すという物語だ。

映画を見終わった僕は格闘技を習える場所を探し、大学近くのボクシングジムを見つけると翌日見学に訪れ、そのまま入門した。

「急にどうしたこいつ?」と思われただろうか。どうもこうもない。ただ強い小栗旬に憧れたのだ。殴り合いが強い男をカッコいいと思った、それだけだ。はじめの一歩やホーリーランドが好きで厨二病が治っていなかったせいもあるかもしれない。


ジムの人たちはそんな僕でもを快く受け入れてくれた。それまで本格的な運動をしたことが無く、めちゃくちゃ鈍臭い奴だったと思うが、トレーナーは積極的にミットに誘ってくれた。プロの方々にはスパーリングの度にボコボコにされたが、たくさんアドバイスしてくれたし技術が上がると褒めてくれた。みんな良い人達ばかりだった。

通い始めの頃は特に楽しくて、1日4時間ほどの練習を週5で通う時もあった。最終的にプロを除く、練習生の中では1番レベルが高かったと思う。トレーナーから他の練習生に指導する事を許され、ミットを持たせてもらえるようにもなった。

自分の成長を応援し、一緒に喜んでくれる人達と過ごすという時間はそれまでの人生で味わった事が無くて、新鮮で幸せだったのを覚えている。


そして、18年間太り続けたデブはついに痩せた。

脂肪がそぎ落とされた肉体は別人のようになった。肩回りは盛り上がり、背中は大きくなった。胸囲は大きくなったが腹筋は割れ、腹回りは細くなり、くびれのある逆三角形になった。元々骨格自体がごつかった事もあり、見た目は多少威圧感も備わった。体形が変わると周囲の自分への扱いも変わっていった。

・周囲から雑ないじりが無くなった。
僕はずっと、いわゆる「いじられキャラ」であった。中高ではいじりの際に、言葉の節々で「こいつは雑に扱ってもOK」的な雰囲気を感じる事も多く内心不快な時も多かったが、それが全く無くなった。周囲からのいじりは心地良いものになった。

・話した事が無い人から興味を持って話しかけてもらえるようになった。
陽キャや、ヤンキーっぽい奴に話しかけられる事があった。馬鹿にされるのかと思ったらそうではなかった。それどころか、自分に対し少し畏怖を感じているようだった。「よう、ボクサー」と声をかけられて、内心めちゃくちゃ嬉しかった。顔には出さなかったが。

・飲み会や旅行などのイベントがあれば声をかけてもらえるようになった。

そればかりか、僕の都合に合わせて日程を変更してくれたりもした。

制裁役として扱ってもらえた。
仲の良いグループの中でお調子者ポジションの奴が一人がふざけていると、女子の一人が「ほんとあんたうるさいわ~w、(僕)くん、あいつに肩パンしてもらっていい?」と言った。それを聞いた彼は「いやwそれはヤバいってww(僕)くんの肩パンはマジでヤバいでしょwwwごめんごめんw黙るから許してww」と言った。
この時はとても気分が高揚したのを覚えている強い奴として扱ってもらえるのはめちゃくちゃ気持ちが良かった。もちろん、リングの外で暴力的な振る舞いをした事など一度も無い。

・女子から格下扱いを受けなくなった。
別に好かれたわけではない。ただ、不快な扱いをされなくなっただけだが、それだけで十分だった。

人間に昇格したのである。僕はおそらく、ボクシングをやっていなかったら大学でも人並みの人権は手に入らなかったと思う。ジムには大学を卒業したっきり行っていないが当時お世話になった方々には感謝してもし足りない。

僕の人間としての人生は大学からスタートしたのだから。

・暴力の価値

「暴力を所持している人間」というのは、それなりに特殊な存在らしく、
18年間ずっと自分をゴミクズだと思っていた僕に初めて「自己肯定感」というものを持たせてくれた。

「筋トレが最強のソリューションである」というtestosterone氏の名言(ギャグ?)があるが、これは特に陰キャにとって当てはまると思う。

現代社会の日本において、暴力を行使することはほとんど全ての状況で悪とである。許されるのは、自分や他者の生命が危険に晒された時くらいなものだ。僕は積極的に暴力を行使する事などないし、自分が行使される状況も一生に一度あるかわからない。

では、暴力を身につける事は無意味なのか?僕の答えはNOだ。実際に暴力を行使する必要は無いが、自分と相手が暴力を行使し合った時、「間違いなく自分が勝つ」と思えれば、自然と心に余裕が生まれ、堂々と生きる事が出来る。

下の写真は高校と大学の時の自分である。顔はぼかすがそれでも差は伝わると思う。

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この間半年。サイドにラインが入っているのは、クローズZEROに出てくる滝谷源治(小栗旬)の真似です。根がオタクなので・・。

「強そうな見た目」というのはそれだけで有用だ。不快な扱いを受けにくくなるし、人によっては興味を持ってもらえるケースもある。
無論、「不快な扱いを受けるリスクが下がる」=「好意を持ってもらえる」ではない。むしろ怖がられるケースもある。上の写真の頃は道を歩けば人が勝手に避けていった。遠くから歩いてきた相手が自分の顔を視認した瞬間、人間1人分真横にずれるのである。それはそれで、正直悪い気分ではなかったが。

・せめて、人間らしく

「人は見た目が9割」という本がベストセラーになった。僕も読んだがあれは真理なのだと思う。周囲の僕への扱いは変わったが、ボクシングをやる前後で、僕が変わったのは見た目だけだ。人生を変えるにはそれで十分だった。

もし、まだ人間になれず苦しんでいる誰かがこのnoteを読んで、ちょっとだけ頑張ってみよう、と思えるきっかけになれば何よりだ。別に格闘技を始めろというわけではない。強そうに見えればいい。見た目を変えるだけで周囲からの扱いは劇的に変わる。職業や所得と比べて、自分の体形、見た目というのは比較的コントロール性が高く、かつ費用対効果は絶大だ。

ここまでさんざん自分の不幸を嘆くような文章を書いてきたが、僕は自分が受けた理不尽な扱いをある程度は仕方ないとも考えている。単に「市場価値の低い存在が低い評価を受けた」というだけの話だ。何も特別な事はない。

現実は厳しい。生まれてしまった以上は生き続けるしかない。それが嫌なら死ぬしかない。それもまたあなたの選択だ。僕は止めない。容姿も金もある芸能人だって死を選ぶのだ。僕らが死を選ぶ事に何の不思議があるだろうか。ちなみに、僕は高校の頃にリストカットを試みた事がある。が、ちょっと血が出ただけで痛すぎて速攻諦めた。あれは無理だ。

僕らには助けてくれる人なんていない。包容力のある彼くんが唐突にログインする事も無い。空から女の子が降ってくる事も無いだろう。

弱い男は人間にカウントされない。人間になる方法は強くなる事だけだ。

現実には「力が欲しいか?」などと語りかけてくる謎の存在はいない。
でも、入会金と月謝を払うと「こうしたら強くなれるよ」って親切に教えてくれるおっさんは割といる。それらをどう活用するかはあなた次第だ。

拳闘を祈る。








<追記>

とても共感できるひろゆきの動画があったのでおいときます。



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