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窓から見える景色でとどめる?①

写真は、スイス・ミュンヘンで撮ったある教会からの一風景。

とても和やかな雰囲気の近く、昼間からビールを飲んでいる外人達が階段で座っていたりしたあの7年前。

時間はあっという間。7年という時は一瞬で過ぎていた。それでも当時食べたブラートヴルスト(ソーセージをパンに挟んだ手頃な食べ物)の味は、よく覚えている。

2つめのnoteである今回のテーマは、「何故その場所で居続けるのか?」

今まで俺は海外に2回ほど行っており、どちらも高校生の時だった。親父が連れてってくれた事に今は感謝しかないが、当時の事を語ろうかなって。そしてこのテーマの意味をより深く分かってくれることを願う。

一回目の海外は、初めてに投稿したnoteと今回のnoteの画像通り。スイス、オーストリア、ドイツに行った。初めての異国の匂い、飛び交う聞いたことのない言語、背丈が俺よりも15㎝は高い女性。異様な雰囲気の中にも、俺自身アイデンティティをそこで初めて感じたかもしれない。

自分は日本人であると。

これは後々語るとして、今回は2回目の海外について言いたい。エピソードは長くなるのだが、聞いてくれると嬉しい。

実は高校から空手部を始めていて、それが3年目を迎える手前、こんな話を親父から持ち掛けられた。

5月から留学しないか?

当時、6月の最後の大会まで残り2か月程だったため、残された猶予は約1か月。急すぎる事だった。高校1年時に海外に行ったっきり、少し外の世界に興味を持っていたため「行きたい」という欲はあった。しかし、あまりにも時間がなさすぎる

そんな思いを持ちつつ、段々と日が経つにつれ「行きたい」という欲が強くなる自分。しかし、最後の大会もあるし、空手部のやつに言えば「本当に行くん?」と言われたり。

無論、俺が海外に行けば空手部のやつらは寂しがることは分かってたし、迷惑をかけることも知ってた。そんな空手部と留学とに悩まされた俺はどうしたらいいかサッパリだった。

空手部は高校1年の時、中学から一緒の奴に誘われて興味本位で入った。楽しかったのは最初の3か月程。以降はかなりキツイ練習が入ったりして、辞めたいという気分であった。しかし、同期の部員は本当に皆仲が良くそんな雰囲気が大好きだった。練習中に気持ち悪くなり吐いたことなんてあったが、いじられることもなく、むしろ大丈夫かと言ってくれる、そんな奴らの集まりだった。今までの恩義も先生、コーチにそれぞれあったし、どうしようかと迷っていた。

そんな時だからこそ、偶然なのか。たったの一言で決断はすっと決まった。

それはある国語の時間。ぼーっとしながら授業を聞いていたのだが、その当時の先生が、急に顔を変えて言ってきた言葉がある。

先生「俺はこれだけは言いたい。やらないで後悔するより、やって後悔しろ。人生は一回なんだぞ。だからこそ、君たち高校生は社会に出て後悔してほしくない。授業を寝てもいいし、成績が悪くてもいい。ただ後悔だけはしてほしくないんだ。」

少し場の空気が変わったのは覚えている。そんなことを言う先生ではなかったからこそ、この言葉は深くささった。あの人だからこの言葉は刺さった、と今になって分かる。そんな気さくで優しい人だったから、俺はその言葉を聞いた後「留学しよう」と思った。





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