見出し画像

日記/報酬

5月12日

 後年の深沢七郎が後藤明生との競作で『報酬』という短編を書いている。これが凄い小説だ。

 この小説は、渋滞のなか「俺」が前を走るトラックに「南無阿弥陀仏」と書かれているのを見つけた話から始まる。
 「俺」は、過去に死亡事故をおこしたことがあるので、贖罪のため南無阿弥陀仏と大きく書いてあるのに違いない。と考える。ここは笑った。
 話は変わって「俺」にデンワが鳴る。
 Kさんというヒトが突然、「逢いたくなりました」と言ってくる。しかし、つまるところ倉庫を貸してくれ。という話であった。
 Kさんは冷凍されたキジバトを土産にもってくるが、ハトを食べるヒトがまわりに居ないことから、「ハトの肉は美味いですか?」と「俺」が聞くと、Kさんは黙って、その眼はボーっとしている。「ハトの肉は美味いですか?」ともう一度聞いてもKさんは黙っている。
 この場面は笑えるが薄気味悪い。
 ハトがまずい肉だと考えた「俺」はKさんをとんでもない奴だと思う。
 それからマイクロバスを運転して帰る忙しないKさんを「俺」は魔人だと思う。
 それからLさんの話になる。

 その日は晴れていた。秋の陽ざしだが刺すように照りつけている。隣りの町からLさんが来ていた。次の日曜日は秋祭りで、その世話人だからなにかと忙がしい。祭りの日は街の道は歩行者だけになって、この辺の道が回り道になるそうである。その方向指示の立札を立てて廻っていた。俺とは飲み仲間だから家の中に入り込んでいたのだが、そとで「オ」とLさんを探している声がする。

 こういう「オ」みたいな音だけを書いているのが妙だ。深沢七郎は人間を音の出る筒だと思っている感じがある。
 それからLさんの息子が交通事故に遭った話になる。ビニールに包まれた息子さんは、眼と口を開けて、動かなくなっている。
 この描写は恐いが、話はあっさりとまた別の話になり、最後は、さまざまな花の咲いた坂道を「俺のくるま」が走っていく。

ころげるような危険な花の坂道は、魔への報酬かもしれない。ぐーっと、アクセルに力がはいった。どーんと、山へくるまが突っ込んだ。すーっと、魔はドアから出てきた。

 これで小説は終わる。
 なんかの短編集で、フリオ・コルタサルの小説に、永遠に続く交通渋滞の話があった。後からゴダールの『ウィークエンド』を観たとき、影響を与えていたと知った。『ナッシュビル』にも似たような場面があって、それも影響なのかは分からない。映画の『クラッシュ』にも高速道路を見下ろす場面があるがなにやら交通量も多くて異様な感じがあった。あれは交通事故で性的快感を覚える人々の話だった。
 渋滞に何かしらを感じる人はいる。テクノロジーの発展は動脈硬化を起こそうとも二度と後戻りできないのである。

 深沢七郎にとって「くるま」は南無阿弥陀仏と書かれていたり、花のなかを走っていたり、棺桶のようなイメージなのだろうか。
 危険な花の坂道は、この小説が描かれた1982年の好景気と無関係ではあるまい。
 しかし山につっこんだくるまのなかには魔が乗っている。あの事件に、あの事件に、と頭の中でいろいろ思いだしてしまう。

 自分は利己的な目的を隠して「逢いたい」と言ってキジバトを土産にやってくるKさんに人間関係の一番グロテスクな部分を感じた。
 だいたい明るい世渡り上手な人間、ビジネスライクな、芸能人の浅い名言ばかりツイートしてるような人間がこういうことをする。
 いまは魔人だらけの世の中である。軽薄でなければ勝ち残れない世の中になったことは、ちょっと見渡せば分かる。くるまに乗り込むほかは無い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?