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日記/油絵

七月一日

 15時間の『ベルリンアレクサンダー広場』を観終わった。 
 長いし、やたら画面がもわもわしてむさ苦しいし、ずっと陰気で面白かった。別のファスビンダーの映画を観たくなったので、もう一度『自由の代償』を観た。
 漫画を描くとき「ショックで手に持ったコップを床に落として割る」みたいなありきたりは無数にあって気を抜くと何も考えずに使っているがファスビンダーの映画にはそういうものがないかのような新鮮さがあって楽しい。映像の中にいるのは人というよりお喋り肉という感じがする。
 ファスビンダーとフランシス・ベーコンは、男が好きだったり屠殺場が好きなところなど共通するところがある。自分もお喋り肉を描かねばと思う

七月二日

 マティスやベーコンの絵を見ていたら、たまには大きな筆でザックリと絵を描きたくなってくる。Gペンでちまちま描くのにもへきえきしてきた。
 メルカリで油絵セットを買ったが筆が無かった。ちゃんと確認して買えばよかった。失敗した。画材屋へ行って筆を買った。
 油絵を描きだして、すぐに思い通りに行かないので飽きてくる。辛抱して描く。影の色がわからない。

七月三日

 喫茶店へ行って18話のプロット。一気に書いた。妻が家の鍵を忘れたので、喫茶店まで取りに来た。そのまま隣で本を読み出した。
 家に帰って日本民謡大観を聴きながら油絵の続きをした。
 インスタを見たら町田康さんが『奈良へ』の本の写真を猫と一緒に投稿してくださっていたので嬉しい。大学の授業が近いのだろうか。
 油絵は描けば描くほど色が濁ってしまった。ナイフで絵の具をごっそり取ってべたべたと厚塗りした。モノの影の色が分からない。

 夜、妻も試しに油絵を描きだした。すぐに面倒くさそうにしている。
 自分はなぜかそわそわする。最近季節の影響かそわそわする日が多い。本を読んでも映画を観ても集中できない。
 油絵をとつぜん描きだしたりして、漫画は行き詰まっているわけでもなく描いたら描けるが、本当に描くべきものがなんなのか分からない。ファスビンダーを観ていると「なにをおっしゃる愛と死のほかに描くべきものがあるか」と思う。そんな大きなテーマはとてもじゃないが描けない。
 本当に描くべきものは読者にも分からないし自分にも分からない。分からないものを分からないまま描こうとしているのは雲を掴むような話だ。いままで自分が何を描いてきたのかも分からない。足元だけを見て山を登るように直感的に目の前のコマだけは描くべきものが分かった時もある。そういう偶然をこの先も待つしかない。
 いったい世の中の漫画家の人々は、自分が何を描くべきなのか知っているのだろうか。物語りながら湧き出てくる物語の違和感を感じたときどうしているのか。分からない世界で頑張っているカフカの『城』を読んでいると、ここに解決策がある気がするが解決しない。こんなどうしようもないことを考えているのは漫画家としてどうかと思う。

七月四日

 喫茶店でネーム。18ページまで一応描いた。
 家に帰って料理、それから油絵。
 失敗して色を重ねていくうちに陰鬱な絵になってくる。

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