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日記/大阪へ

 4月25日

 ウドンが食べたくなって天王寺へ。
 大阪の街が全体的にガスっていて、聴いとったコクトー・ツインズとおうてる感じだった。

 鶴橋で友達と会い新世界の松屋へ。松屋は天ぷらウドン二百五十円。美味かった。

 骨董品屋へ行って一時間くらい店主の人と喋る。
 『リービング・ラスベガス』のサントラだけが棚に置いてあった。
 『義男の青春』に出てくるような、戦後の白黒の助平写真を何百束か500円で購入した。

 友達のマンションへ行って、助平写真を選別した。

 鶴橋でキムチとチヂミを買って帰った。

5月1日

 昨日『はにま通信』7話目を描き終えた。

 二階と台所のコンロを掃除した。
 掃除中『タイタニック』の最後の場面を繰り返して観た。音楽が良いと思った。

 夜、B'zを聴きながらウドンを作る。
 最近はウドンに首ったけだからだ。

 仕事から帰ってきた妻は「B'z嫌。消して」と言うが、俺は90年代のB'zが好きで、それは音が死んでいるからだ。夕方、車のラジオから粗い音のB'zが流れてきたとき、何もかもが過ぎ去った気持ちになったのだった。

 夜、寝るときも『タイタニック』の最後の場面を二時間繰り返して観て、3時ごろ眠る。

5月9日

 福井や島根の老人たちが世間話をしている録音のカセットテープを持っていて、どうしても聴きたいので、ヨドバシへ行って4000円で中国製のラジカセを買ってきた。
 その後、喫茶店で漫画を描いていたら、ろくに飲んでいないコーヒーにハエが飛び込んできて死んだ。
 嫌な予感がして、家に帰ってカセットを再生したら、どれもテープが切れてしまった。

5月10日

 妻と手押し相撲をしたら妻が突き指をしてしまった。

5月11日

 2018年のひばりヶ丘のGoogleのストリートビューを観ていたら、あの頃の俺が居た。

5月12日

 朝7時に起床。
 晴れていたら奥丹波の田植え祭りへ行こうと思っていたが曇りだった。

 曇りの日で、低気圧で、二時間かけて田植えを観にいくのは陰鬱だ。それに、伏見稲荷や三輪明神でも田植え祭りはあることを知った。

 今日、榎本俊二さんが大阪にイベントに来られることは知っていた。ちょっと漫画を描いてから大阪へ行った。
 まどの一哉さんも来ていて久しぶりにお会いした。まどのさんは2月に大阪に引っ越してきたそうである。

 『ザ・キンクス』の本を携えてサインを貰いに行った。榎本さんにご挨拶すると『はにま通信』面白いですよと仰ってくださった。自分は、おかきを渡してから

 「榎本さんのような人気の漫画家が、僕の漫画をリツイートしてくださると、自分のようなマイナーな漫画家も名が広まりますんでね。ありがたいんですね。そうすっと、色々な編集者の人にも名が知れ渡って、今後仕事もしやすくなりますでしょうからね。」

 榎本さんは「いや・・・・・どうかな」と少し右側の方を見ておられた。

「広島からはるばる来たそうですね。自分も妻が広島なんですね。もしかしたら将来移住するかも知れませんワ」

 というような事も言った。
 自分は榎本さんも作品もよく知らないが喋ると喋ってしまうのだ。
 榎本さんは、前日に『令和元年のえずくろしい』を買ってくださったらしい。それも嬉しいことだった。

 トーク・ショーは、どこかアイロニカルで軽妙でサービス精神旺盛な人だと思った。
 トッド・ソロンズの映画が好きだそうである。それなら『えずくろしい』も気に入ってくださるかも知れない。それが気に入ったら自分は、是非とも『奈良へ』も読んでいただきたいと思った。

 トークイベントは、最後はクイズ大会になった。正解すると榎本さんが持参した景品を、早いもの勝ちで貰えるそうだ。
 遠慮をしなければと思ったが手を挙げてクイズに答えた。正解したので前に出て景品を選んだ。

「あ、大山さん・・・・・」

と、榎本さんの声が、聞こえたようである。しかし、自分は手元を見ていた。顔をあげずに『ゴールデンラッキー』のサイン入り全3巻をスーっ。と貰って席に戻った。
 イベントが終わって、まだザワザワしているうちに会場を出た。

 家へ帰ると妻が台湾の知らんバンドのカセットテープを買ってきていた。妻も知らんバンドだという。ラジカセが勿体無いからだという。聴くと、鼓膜に刺さるような低音質で良い感じだった。

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