見出し画像

旅4日目 世界遺産 白川郷を歩く

白川郷

共同作業形態「結い」の文化の白川郷に行きました。
山に囲まれ、冬は雪に閉ざされる地域。厳しい自然条件の中で互いに助け合う文化が育った場所。屋根の葺き替えから、一年を通して様々な行事を各家が助け合い、相互扶助の関係が文化として育まれてきたところです。

画像1

合掌造りの風景

画像2

茅葺について、職人に聞いてみた

かやぶきを交換しているところに出くわしました。前々から聞きたかったあの屋根のてっぺんの藁の棒について、作業から離れたおじさんにインタビューをしてみました。出会う人から情報をもらおう!

あれは、どんな役割があるのでしょうか?☟

画像4

”かんざし”
屋根を支えるために金属を使って止めているらしく、錆を止めるために設置しているとのこと。女性の頭に付けるかんざしのように見えることから”かんざし”と呼ばれているとのこと。毎年この部分だけは新しいものに交換するそうです。

屋根の茅葺は昔は、今よりも20年長くもっていた

この茅葺、なんと昔は50年に一度葺き替え作業をしていたそうです。近年は30年に一度になっているとのことでした。20年も短いサイクルになってしまった理由は、”いろり”を使わなくなったから。

いろりを使うによって、屋根がいぶされ、コールタールのように全体を強め引き締める役割があったのが、現在は使っていないので、強度が保たれなくなったとのことでした。まさにいろりの多重機能。いろりを使って部屋を暖め、屋根を引き締め、湯を沸かし、魚を焼いたり、餅を焼いたりなどの調理もできるという使い方だったんだと思います。

街の人に文化についてインタビューすると、白川郷は火薬を造っていたそうです。薬草に尿をかけて発行すると、火薬ができるとのことで、前田家に届けていたとのことでした。

家の継承:長男だけが家を継ぐ。それ以外は・・・

家は代々長男だけが継ぐことができるとのことでした。分家という考え方はなく、長男以外の兄弟は、結婚も許されず、全て家の労働力として働いていたそうです。女性に関しても、長男に嫁ぐことができた人以外の女性は、飯炊き女として、家のために働かされたとのことでした。

ですが、年頃になると、次男三男も他の女性と恋に落ち、子供ができるこ都もあったとのことで、生まれた子供は神からの授かりものとして、母親のもとで育てられたとのこと(私生児)。長男以外の結婚は認められず、家も与えられず、月に一度、親子3人で会うことは許されたとのことでした。財産は分けてもらえない代わりに、開墾されていない山で、自ら開墾し、そこにそばなどを植えるなどして、育ったものに関しては、当人の財産として認められたということを教えてくださいました。なかなか切ない時代だったようです。

画像3

突然現れたバッタの壁。合掌造りで使用されていた茅葺で作ったとありました。3個で100円。売ってました。

***Goodwill Forestへのヒント***
*それぞれのシステムに機能性を多重に持たせるようにする
*人と人が助け合う関わりの仕方を考えよう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?