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革命的ロジック

正直 文章を書くのが苦手だ

言いたいことだけ詰め込んでできあがったものを読むと、それはあまりにもわたしのエゴで、わたしの主張ばかり強すぎて、読む人に頭の中を覗かれているようなきもちになってしまう

それからわたしは、人の痛みや哀しみを理解するのが苦手だ。よくわからない。共感性がない。乏しい。だからだれかの哀しみを描くとき、それは間違いなくわたし自身が経験したわたしの負の感情になる

小説を書くのが好きだった。中学生の頃はひとつ書き上げると読ませてと頼まれ、わたしのノートは教室中をまわっていた。授業中に読んでいて取り上げられたら恥ずかしいから、絶対に家か休み時間に読んでねとお願いしていた記憶がある。高校の頃は、人に頼まれて小説を書いていた。

だけど今ならわかる。あの頃のわたしが小説を書くことを楽しいと思えていたのは、わたしの書く物語を「待ってくれる」ひとがいたのと同時に、わたし自身がまだ空っぽだったからだ。まだわたしのなかで名前のつけられない感情、そしてまだなんの色もつけられていない広い世界があったから。あのときにくらべていろんなことを経験した今は、なんにもないところからあたらしく人を誕生させ、その人を動かし、感情を生み出し、そのひとの人生、あるいは人生の一部を物語のなかでつくりあげていくという創造性がたしかに死んできている

それがわたしの物語でない限り、わたしはそれを鮮明に、わかりやすく、だれかに共感されるように書くことができない。その物語の主語はいつも「わたし」だからだ

だからエッセイや詩のほうが向いている。書きたいことを書いたらよい。きっとだれかおなじような感性の人が読んで、わたしの感性をおなじようにわかってくれるだろう。あるいは、自分が生きてきた中で自分の鏡に映った他人を考察していくのでもよい。またそれもおなじように考えていた人から共感されるものになるだろう

放たれた言葉の裏側を見つめ、その人の人格や経験を含めた深くを探求していくということ、それこそがわたしの、言葉への真の探究心であり、存在意義なのだと思う

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