第74章

もし、人間が死ぬことを怖がらなくなったら、

死刑とかいう法律は無意味だよね

(人間は、それでも、こんな世界でも、生きたいと思う、そういう設定なのよね)

(タオの俺がそう作ったからなー)

だがしかし、

(この章をちゃんと理解できるかな?)

死刑というのは、人間の作った制度だよね

だがしかし、

そもそもタオがこのすべての世界を支配してるのを思い出してよ

一見、一時的に、悪事や詐欺で繁栄している人がいたとするよ

それを人間のシステムが、政府や警察権が捕縛するとするよね

それで法治主義から裁判とか人権手続きを経て死刑になったとするよね

だけどさ

冤罪とか、捕縛できずにのうのうと生きながらえる悪人もいるでしょ?

これって正義??

人間がどれだけ頑張っても、完全にはほど遠い

例えば、自称人権主義者は、冤罪の大きさをもっと実感すべき

人権とやらが等しく存在するならば、それはもはや無意味な指標

なのに都合的に何れかの権利に感情移入する

犯罪者「かも」しれない人を一方的に攻撃あるいは防御する前に

誰もが冤罪のひとりも救えなていない

救ってる気持ちに満足している自我の事実を認めなければならない

それはただの欲望だよー^

お前ら人間が、本当の正義を為せるなどと思うな

それが、タオがずーーーーーーっと言ってる、傲慢で欲望なんだよ

それがこの世界の罠なんだよ

だから、だいぶ前に言った

日本仏教界のスーパースター親鸞(しんらん)の悪人正機説!

「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」

あんな善人ですら天国に行けるんだから、悪人はまして天国行きに決まってるで

この現象世界の「善人」こそ、「我こそ善人」という欲望に取りつかれた、最低の人種

悪人はたしかに悪人だけど、彼らはさすがにあまり良くないということは、うすうす気づいてる

もちろん中には狂ったやつもいるけどね!

極端だけで論じるのが自称「善人」の悪いとこだよ!

善人は、悪人と同じくらい最低

繰り返すまでもないけど、これがタオで、陰陽、極は極に至る

本当に善人は、自分を善人などと「みじんも」感じたことがない

俺もしかしたら善人?の時点でアウト

これがタオ

これがタオ

最後のほうなので、繰り返し述べておいた

悪人正機説をいちおう述べておくと、

悪人は、自分が善人などと不遜なことを思わない、

だからこそ、タオ=仏の力によって、他力によって往生(輪廻)する

善人はそれに比べ、自らを勝手に仏に近い存在と自尊する不尊な存在、

だから、悪人よりも、仏からタオから、遠い存在

これが悪人正機説である

他力本願のことである。自力で涅槃できるなどと思わないという意味

そして、これが現代日本2015に、結果的に最大信徒を誇る浄土真宗の開祖(と勝手にされている)親鸞なの

なんだか日本的だねー

(どうでもいいが、ちなみにナベシは、親鸞が嫌いwww)

(ナベが好きなのは、同鎌倉泰時時代の明恵(みょうえ)

(親鸞の師匠の法然と大激論。平安の空海vs最澄と同レベルの頂上決戦)

※いちおう直訳です

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人間が頑張って正義の法治を為そうと法家が頑張ったとしても(これはアンチ法家)

ぜったいに冤罪や補足不能は起こる

それは残念ながら法家の敗北である

それを認めよ

だが

我がタオは、

絶対に間違いを起こさない

なぜなら、

それがタオだから

この世界は、たしかに一見、不条理で不合理で不平等だが

だが個別の事象を超えた「明知」から見れば

実は、ほんとに公平にタオが実施されていることに気付けるのだよ

ガルマお坊ちゃま

そういう生命の直感を思い出せば

この世界の人為的な法律や世間体がどうであれ、

いずれ、からなず、お前は、裁かれる

タオによって

だからこそ、

人は法律ではなく、

直感によって、

死刑を恐れるのだ

それはタオからの最終宣告だからだ

これが「天然の」死刑執行人である

そしてだよ、

本当の死刑執行人はタオだけである

それに代わって、人為的に法律とかによって死刑を執行したとしても、

それはあたかも、

現在2015で世界最古の会社?と言われる宮大工「金剛組」(AD578創業@wiki)

に代わって、法隆寺を補修する公共事業をロビーによって獲得するくらいの愚行

天の死刑執行を、人間が肩代わりするくらいの愚行

(ナベシは死刑には賛成w歳出が嵩んで仕方ないという財政目線。けど本当は違う略)

まとめ

本当は自然と天が行う懲罰を

人間が人為的に行うのは、仕方がない、と同時に

その裁判や弁護や公判維持を行う法曹、これに署名する法務省関係者、これを現実に行う執行員、

さらにこれを維持する無言の国民すべて、この現代法治世界のすべての人間が

実はこの責めを負っている(情緒的なことじゃないよ!)

実は、誰もが、間違って他人を制度によって殺すことの愚行を分かち合っているのが現代だ

(だから単純に良いとか悪いじゃないよ、いまさら!)